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Jリーグチップスの思い出 2003②

1stステージで優勝した横浜だが、2ndステージは開幕3戦で2分1敗と苦戦。そこから5勝3分と盛り返す。第11節、国立でのセレッソ戦は、2-2のドローに終わったが、鬼気迫る猛攻でドローに持ち込み、ファン投票でも選ばれるほどの伝説の試合として刻まれている。

第12、13節の連敗で、多くのサポが観念してチャンピオンシップのチケットを購入したが、第13節で柳想鐵を退場に追い込んだ鹿島の小笠原の泣き顔が、最終節でスクリーンに大写しになるとは。横浜の劇的完全優勝で終わり、2年連続でチャンピオンシップは行われなかった。

第2弾

レギュラーカード

132 榎本哲也
正GK榎本達也がキャンプ中に負傷したことにより、ユースから昇格2年目の哲也にチャンスが回ってきた。安定したプレーを披露してきたが、2ndステージ最終節磐田戦でグラウを突き飛ばし、一発レッドを食らう。スタンドの某一団からは激しい罵声が飛んだ。勝ったからネタで済んだものの。

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133 中澤佑二
背番号を東京V時代の22番に変更。以後、2018年限りで引退するまで、横浜の背番号22を背負い続けた。同じCBの松田が不調に喘ぐ一方、中澤は攻守とも絶好調。あっという間に横浜の顔になり、堅守の系譜を継ぐ男になっていった。

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134 那須大亮
岡田監督にボランチで起用され、才能が一気に開花。不動の存在だった上野を差し置いての起用に、コーチ陣からは反対の声も出たというが、那須はプレーで納得させてみせた。連覇の重要なキーマンの1人。その後はあちこち渡り歩いたが、2019シーズン限りでの現役引退を発表。

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135 遠藤彰弘
やっとカードになったよ。主にバランサー的役割で、上野の影に隠れがちだったが、岡田体制下では前への意識が強くなり、攻撃でも存在感を発揮。エコパでの磐田との開幕戦で決めた、電光石火の先制ゴールは、記憶に新しい。

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136 久保竜彦
コンディションが整ったときの身体能力は規格外。2ndステージ第14節アウェイ仙台戦では、降格危機にあった仙台を追い込むハットトリックをマークしたが、また行ってねえ。2ndステージ最終節磐田戦で、アディショナルタイムに勝ち越し弾を決めたときは、頭が真っ白になった。

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U-22ミャンマー戦カード

横浜在籍選手は入っていない。アテネ五輪世代の那須は、まだ呼ばれていなかった。

日本代表インサートカード

2003.4月〜6月の日本代表出場全メンバーで構成。

IN-29 奥 大介
裏面を見ればわかる通り、呼ばれても出場機会は少なかった。クラブでは輝いた奥も、代表にはあまり縁がなかった。

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各クラブエースストライカー

ネット限定販売のJリーグチップススペシャルボックスにのみ封入された。各クラブ1人、横浜からは当然この男。それにしても、現在ではエースストライカーという概念は希薄になってきた。

AC-08 久保竜彦

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おまけ

AC-09、清水時代の安貞桓。まさか、翌年横浜に来るとは。

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8年ぶりの栄冠の後、天皇杯3回戦では市立船橋高校相手に2-2からのPK戦にもつれ込む失態を演じた。このときの映像は現在に至るまで毎年使われることになる。その後、横浜は準々決勝で鹿島に敗退。天皇杯が年末集中開催だったこの当時、リーグ優勝のお祝い気分は天皇杯敗退で吹っ飛ぶのだった。

2004年に続く。

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