日本サッカーリーグの思い出
ひっそりと更新します。新型コロナ禍に見舞われた2020年も、もうすぐ終わります。横浜は苦悩のシーズンを送りましたが、ここでは触れません。
さて、日本サッカーリーグの思い出などというタイトルをつけましたが、私は日本サッカーリーグを観戦したことは一度もありません。世代的に存在は知っていましたが、TV中継もないし近隣で開催もされない。スポーツニュースで結果くらいは流れていた気がしますが、多くの人にとって身近なものではありませんでした。
実はカルビーは、日本サッカーリーグの時代にもサッカーカードを発行していました。1987-1988シリーズ、1988-1989シリーズ、中断を挟んで1991-1992シリーズと、3シリーズ発行されました。なお、この当時の日本サッカーリーグは、秋春制で開催されていました。
日本サッカーリーグを知らないくせに、つい入手したカードを紹介します。さすがにこの当時のカードまですべて揃えるつもりはございません、はい。
1987-1988
No.62 木村和司
日本人プロ第1号。若いねえ。
No.73 水沼貴史
特技が運転技術?こちらも若いねえ。
No.73 水沼貴史
同じ番号で、バストショットのカードもあったようですが、資料が少なく全容は不明。
No.90 木村和司
No.100 オスカー
日産のレジェンドであることは伝え聞いているものの、プレーをまったく知らない。
No.101 金田喜稔
Jリーグ開幕目前で引退し、主にTBS系のマリノス戦の中継で解説を務めていた。日産の主力がプロ契約に移行していく中、最後までアマチュアを通したそう。
1988-1989
No.61 水沼貴史
デザインは前年と同じ。
No.71 柱谷幸一
柱谷兄弟って日産所属だったんですよ。
1991-1992
No.48 レナト
こちらもオスカーと並ぶレジェンドだが、やはりプレーは知らない。
No.49 木村和司
ところで、昔のカードはこんなに小さかったんですね。プロ野球カードも同じ大きさでした。1991-1992のカードは、翌年から発行されるJリーグチップスのカードと同じ大きさです。
日産時代を知らないことは、私にとってある種の負い目でしたが、今年は応援のルーツとか、クラブとの距離感とかについて考えさせられる年でした。皆様よいお年を。