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正しく怖がるために(原発事故と森林管理のこと)

東日本大震災から10年後の2021年3月に出版された「森林の放射線生態学」を参照しながら、今日という日(3/11)に原発事故と森林管理のことについて書いてみようと思います。

福島第一原子力発電所の事故は、林業や森林管理にも多大な影響を及ぼしました。特に福島県はきのこ原木の一大産地であったため、森林での放射能汚染は原木きのこ栽培のサイクルを止めてしまいました。

事故の後、森林科学の研究者達が現地で地道な観測を続けていて、この10年で様々なことが分かってきています。

森林には放射性セシウムを保持する機能がある

原発事故で放出された放射性物質のうち、森林管理にとって継続した観測の主な対象となるのはセシウム(特に173)になります。他の放射性物質は放出量が少ないか、放出量が多くとも半減期が短く人体や環境への影響は少ないとされています。

セシウム173の半減期は30年で他の放射性物質に比べると長いのですが、樹木の寿命や林業のサイクルはさらにこれよりも長いということを前提に置いておくことが、これからどういう対応するのかを考える上での大事な判断材料のひとつになります。

空気中の放射性セシウムは、雨により樹木の枝葉に吸着し、その後森林土壌の表層に長く留まります。これは土壌中の粘土の粒にセシウムが吸着する性質があるからで、森林から流出する量は少ないことが分かってきました。

これは、森林は放射性物質を保持して、半減期を稼いでくれていると解釈することもできるでしょう。

森の生き物への放射性セシウムの移動は一様ではない

では、森林内に吸着した放射性セシウムは、森林内の動植物の体内に移動したり、濃縮されたりということはないのでしょうか。

まず、木材利用についてですが、被災したエリアの樹木から生産した木材を建築材として利用しても、それによる被曝量は無視できる範囲内ですが、樹皮を堆肥や敷料に使う場合は木材よりも濃度が高くなるので検査やモニタリングが必要となる場合があります。

厳しい基準値が設けられているのは、きのこ原木・薪・炭・チップです。例えばきのこ原木やほだ木は 50 Bq/kg、調理加熱用の薪は 40 Bq/kg、木炭は 280 Bq/kg を超える場合は販売ができません。

菌や動物はどうでしょうか。ミミズなどの土壌生物、あるいは小動物については、食物連鎖による放射性物質の濃縮は確認されていませんが、きのこや山菜での放射性セシウムの蓄積が多いこと、それらを捕食する大型動物の蓄積が多い事例が確認されています。

これらの生物内の蓄積の推移については、今後も継続した観察とそれに応じた規制の運用が必要になりますが、私たちが知っておくべきは、被ばくの影響というのは「線量 ✕ 被ばく時間」で決まるものなので、要は程度問題だということでしょう。

「リスク = 被害の大きさ ✕ 頻度」という、危機管理の基本中の基本の応用とも言えます。 

森林での除染対策はバランスが大事

原発事故以降、森林内の落ち葉層を除去するという除染対策が行われました。これは森林に接する田畑や宅地の空間線量を減らすための作業ですが、林縁から20mを越える範囲で行っても効果は頭打ちになることが分かってきました。

つまり、林業従事者の被ばくをどう防ぐかは別に議論しなければなりませんが、森に入らないのであれば、全域で除染することはあまり意味がないということになります。それよりも除染作業は最低限に留めておいて、森林内の放射性セシウムの半減期を待つ、という選択肢も持つべきと思います。

森林管理にとって問題なのは、放射性セシウムそのものの扱いよりも、人が立ち入らなくなったことによる森の変化、かもしれません。

かつて、薪や炭などが家庭用エネルギーの大半だった時代、有機肥料しかなかった時代は、森林には強い人為の介入がありました。里山というのはそうやって作られていった森林生態系のひとつのかたちです。日本では戦後にプロパンガスや灯油が普及したことで、里山への人為の介入が極端に減り、樹木の高齢化が一気に進んでいます。

森は急激な変化を嫌います。それは人為の介入だけではなく、介入をやめることも含まれるのだろうと思います。近年被害が拡大している松枯れやナラ枯れといった現象と無縁ではありませんし、スギ・ヒノキなどの植林山の放置が防災上の問題を引き起こすことも知られています。

原発事故と森林の関係は、どうしても除染対策がスポットを浴びがちですが、人が急に関わらなくなった森林がどのように変化していくのか、ということも併せて考えていく必要がありそうです。

放射性物質の動向を知ることは、森林の物質循環のおさらいになる

これは私の個人的な見解ですが、放射性物質が森林の中でどのような挙動を示すか、を追っていくと、そもそもの森林の物質循環というもののおさらいになる、ということにも気が付きました。

水、炭素、窒素、ミネラル…森林を形作る様々な物質は全て循環している。森林に携わる人であれば誰もが頭の中でも感覚的にも分かっていることですが、これを言語化しようとするとなかなか難しいものです。

放射性物質の挙動を追っていくことは、森林科学の最新の研究を知ることにもなり、特に水やミネラルの循環の再確認・整理に役立ちました。

さらに専門外の方々にとっても興味を引きやすく、森林の物質循環のことを知ってもらうのに良い機会になりうることも、自身の普及活動の経験からも分かってきました。

「正しく怖がる」ための情報を取りに行こう

この本の中では、学術的な深堀りと同時に、その情報をどうやって市民と共有するかというコミュニケーションの課題が端々に現れていて、研究者達の苦悩を読み取ることができます。

ただ、私がつとに思うのは、このインタープリターの仕事は行政マンやコンサルタントといった技術者(エンジニア)の役割であって、研究者には目の前の研究に集中してもらうことが全体利益のためには大事なことではないかということです。

同時に、市民は専門家からの情報を待つだけではなく、積極的に情報を取りに行く姿勢も必要でしょう。国や行政のやることは信用ができない、と言う前にこういう研究成果に触れてみて、何が分かっていて何が分かっていないかを知り、その上で思考を組み立てる方が説得力が増しますし、正しい対策に繋がると考えます。

一般科学や森林科学の知識がないと少し難しいかもしれませんが、かなり読みやすくまとめられていますのでおすすめの一冊です。「怖がる」から「正しく怖がる」へ。

参考・引用:森林の放射線生態学、松本昌司・小松雅史、丸善出版 2021

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