量か質か、どちらが正しいのか
※2018/9/6, 2020/5/27 exite blog より転載
農業と林業は根本的に違うところもあれば、似通っているところもまたあるな、と改めて考えさせられた記事があった。
伝統野菜を大切にする理由って、何?(2018/9/6, FOOCOM.NET)
この中の「自己満足や趣味の範囲でしかないのか?」という問いかけにはどきりとした。多様な森づくり、と発信をしても、こういう風にしか思われていないのかも、と感じることがままあるからだ。
直感的にこれは良い、これは嫌だと言う感覚は大事だし、科学的根拠を整理しておくことも大事。その際に林業で困るのは、基本的な用語の定義すら人によってかなりバラバラなことだ。林業の議論はこの解釈・定義論で時間切れになってしまうことがたくさんある。
自然というのはそれだけ多様であって…山仕事というものはそれだけ奥深いもので…で、今の時代良いのだろうか。真理を追求して整理していくのは研究者の役割だけれど、その結果を発信/応用していくのはエンジニアの役割だ。自戒を込めて、この後者があまり機能していないのだと思う。
直感か科学的根拠か。これも二者択一ではなく、両方必要なのだろう。農産物の場合は「だって、美味いから」に、多くの人を納得させる説得力がある。だからその先の「なぜならば」に人は耳を傾ける。林業ならば何だろう?
近自然森づくりでは様々な考え方のシフトを求めるが、その中の一つが「量から質へのシフト」だ。
少品目大量生産から多品目少量生産へとも言いかえられるが、要注意なのは、量がどうでも良いわけではなく、量は質の要素のひとつになる、という意味。
どんなに高品質な樹木を育てても、低質材は必ず一定量発生する。だから林業から量の要素を排除することはできない。
食料で置き換えてみると、腹いっぱい食べたい、から、美味しいものを食べたい、になるのは量から質へのシフトだが、美味しいものを満足する量食べられたらもっと良い。オーガニック志向は時代の流れかもしれないが、全ての人に食料を行き渡らせるということが軽視されてよいわけではない。
量の世界を攻撃することで、質を高くしよう(高く見せよう)というのは対立思考。対立思考は人やお金を集めるのに手っ取り早いけれどいずれ行き詰まる。そういう考え方からは距離を置きたい。