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カギは「一様さ」からの脱却 〜 近自然森づくりのモヤモヤ

研修や講演などで近自然森づくり(林業と環境の両立)のお話をすると、一定割合の人ががっかりして帰られる…と、ここでも何度か書いています。

林業や森林管理の現状を憂い、魔法のような付加価値の高い売り方・コストカットのやり方があるのではと期待して来たのに、結論が「パラダイムシフト」と「教育」とは…。

「まずはイノベーションで現状を改善して、もっと余裕ができたら森づくりに取り組みます」と言う方もいます。足元が崩れれば未来もないわけですから、まず目先のことをやらなければならないのは理解できます。

ただ思うのは、その「余裕」が訪れる時は来るのだろうかということ。なぜならば、森づくりの考え方そのものに手を付けなければ、目の前の手入れ遅れの山の問題が解決したとしても、時と共に手入れ遅れの山がまた新たにできてくるからです。

時間とともに課題(理想と現実のギャップ)は大きくなる

森というのは人が手をかけ続けなければ健全に保てない、という言い方をすることがあります。しかしこれはあまり正確な表現ではなく、手をかけ続けることを前提にして作られた森は、手をかけ続けなければならない、と言うべきかもしれません。

いま全国で放置林と言われる暗い森が広がっているのは、エネルギー革命や木材価格の低迷など様々な要因が考えられますが、そのひとつに1960年代から1970年代にかけての労働賃金の急激な上昇があると私は考えています。ここで労働集約的な森づくりは一旦破綻しているとも。

そして手入れにコストがかけられなくなり、理想とは程遠い(いわゆる手遅れの)森がたくさんうまれてしまいました。

この放置林の問題を解決すべく、多くの関係者が努力をされていますが、ここで考えたいのは、私達はこのペナルティをいつまで払い続けなければならないのかということです。

おそらく、短期目線(目の前の経営改善)と長期目線(新たな資産形成/森づくりの方法を探っていくこと)、その両方を同時に行うことが必要だと思うのです。

「自然がすることは自然に任せて、少ない介入で管理目的を達成する」という近自然森づくりの基本原則は主にその後者に適用されるもので、この前提をうまく言語化して伝えられていないことが人を「がっかり」させてしまうのだと反省しています。

現場では実際にどうすればよいのか(何から手を付ければよいのか)。先日横井秀一先生(造林技術研究所)の造林学講義を受けた際に印象に残った解説がありました。

■ 一様な間伐は繰り返しが必要
 □ 一様にやや明るくなる → その後は一様に暗くなっていく
■ 濃淡のある間伐をする
 □ とくに明るいところができる → それが維持されやすい

下層植生の発達を目指すなら/横井秀一

間伐をして補助金を受けようとするとき、検査官からは対象地でまんべんなく(一様に)木を伐っているかを問われます。これにはいろいろ理由ががあるのですが、手を入れ続けることで太さも高さも揃った一様な森を仕立てて将来皆伐することを前提にしているので、目標に対する手段としては間違ってはいないわけです。

ただ、今後この「手を入れ続けること」が難しくなるのであれば、一様ではない、濃淡のある手入れを行って複雑化していくということにヒントがありそうです。現場でやらなければならないのは意外にシンプルなことなのかもしれません。

ただし、この場合は森づくりの目標を考え直す必要があることに要注意。これまでのやり方を全域で一気に止めるのもダメ。なぜならば森づくりには長い年月がかかるので、私達は当面は今の資源で食っていかなければならないから。そして、新しい方法が正しいとも限らないから。

近自然森づくりのお話をすると、「あたり前のことをあたり前にやるということですね」という感想をいただくこともあります。その通りなのですがそれが難しい。

ああ、モヤモヤしますね。

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