対立思考の限界
あんまりここでは政治的なことは書かないのですが、東京の某市の市長選挙結果を見ていて、やはり「対立思考はいずれ行き詰まる」ということを改めて思いました。
具体的には「Aを下げることでBを上げて見せる」ということを指します。このやり方は手っ取り早い(例えばお金や支持者が容易に集まる)ものの、時間が経つとその効果は上げ止まり、そして尻すぼみになって行きます。
なぜそうなるかの理屈はシンプルで、Bが良く見えたのはBそのものが良かったからではないことに多くの人がそのうち気がついてしまうからです。イベントとしてヒーロー的な何かに飛びつくことはあっても、人はいずれ夢から醒めたように線引きからグラデーションの世界に戻っていきます(それが自然だから)。
もっとも、アメリカの2大政党制のように対立候補同士の力関係が同等の場合は機能するかもしれません。これは違う前提でのおはなしで、通常は続けようと思うならば、相手の存在ありきという依存体質ではなくて、そのものに価値があるように自立しなくてはなりません。
自分が行っている活動で言えば、近自然森づくりという考え方は法正林思想に対するアンチテーゼから勃興したわけですが、では近自然森づくりがみんなにとってどのように幸せをもたらすのかを示せなければ、やがて衰退していく運命にあります。
「あの人達はダメだなあ」だけではダメという当たり前のことを、自戒として思った次第です。