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社会で生き抜くために 〜 成人の日に寄せて

※ 2021/1/11 excite blog より転載


新成人の皆様

先行きの見えない時代と言われています。こういう時代に、誰しもが不安になったり、何か生きる道標を欲する気持ちになったりすることは、想像に難くありません。

最近、若い世代の人たちから相談を受けた時に、よくお話することがあります。それは「群像の感覚」を身につけることの勧め、です。

群像の感覚とは、東進ハイスクールの林修先生が紹介されていた言葉で、「社会に出た時に自分の強みは何なのか。そして、自分の実力が周囲と比べてどのポジションにあるのかを客観的に見定められる能力」のことです。

自分が「できる」と思い込んでいることと、本来自分が「できる」こととの間にズレが生じているのに、そのズレを自覚できていないと、何が起こるのか。

私が思うに、どうも人というのは、自分が尊重されているかどうかを気にする生き物のようです。社会に出た時に、自分に合ったポジションにうまく収まっていないと、尊重されていないような気持ちになり、世の中がとても辛いと感じるのです。

では、群像の感覚はどのようにすれば身につけることができるのでしょうか。2つ方法を挙げてみます。

ひとつは、やはり歴史に学ぶことでしょう。幸いにして私達が住む日本という国は、とても歴史が深いばかりではなく、昔の人々の生き様が記録として残されていますし、それらを元にした歴史小説も多数出版されています。

私がお勧めしたいのは、信長・秀吉・家康の時代を生き抜いた細川藤孝(幽斎)という人の一生を見てみることです。司馬遼太郎の「国盗り物語」は、美濃の国に勃興した斎藤道三、その影響を受けた信長、そして信長を葬った明智光秀の三者を中心とした歴史小説ですが、藤孝がこの激動の時代をいかに生き延びたかが所々で登場します。

清和源氏の流れとして鎌倉時代から現代まで続く細川家の歴史をたどる時に、藤孝は欠かせない存在です。現代となっては家を守ることの価値観は変わってしまいましたが、群像の感覚のお手本のような彼の処世術に学べることは多いと思います。

こういった書物(創作であってもよいと思います)を入り口に歴史上の様々な人物を知ると、いや、自分はこっちの人の生き方のほうが好きだな、ああはなりたくないな、などなど、いろんなイメージが展開できるはずです。

ふたつめは、今のうちにチャレンジと失敗をしておくことです。失敗をした時には、年配者になぜ自分は失敗をしたのかを聞いてみてください。年配者は様々な経験によって、失敗の原因を分析することに長けています。

成功体験はその時を生き延び、信用を得、モチベーションを維持するのに必要ですが、時に環境の変化への適応力を削ぐというリスクがあります。失敗体験とその原因を知ることは、群像の感覚を得る一助になるばかりか、皆さんの生涯の財産になるはずです。人生にとって成功と失敗は車の両輪です。

人生はいつでもやり直せる、と人は言います。そのとおりなのですが、失敗の経験をその後の人生に活かせる時間は、長ければ長いほどよいのはないか。だから、私は若いうちの失敗を勧めます。わざわざ失敗することはありませんが、起きた場合には利用してやろうと構えるくらいで丁度よいのではないでしょうか。

気をつけなければならないことがあります。皆さんが歳を重ねる毎に、社会から期待されることは変容していきます。いちど社会の中にうまく収まったからといって、安心はできません。群像の感覚は磨き続けなければならないのです。

世の中はどんどん変わっていきます。私達も1年経てば1つ歳を重ねます。これは何人であっても変えることも止めることもできません。そして、動いている人から見ると、止まっている人は後退して見えます。

このギャップが様々な問題を引き起こします。つまり、ニーズが変わっているのに以前の感覚でいるとズレが生じ、それは自分が尊重されなくなったという誤解につながります。

群像の感覚のお話から見えてくるのは、私達は変わり続ける運命にあるのではということ。そして変わり続けた結果、どのような人生のゴールを迎えるのか、それを楽しみに日々を過ごしてみませんか、という提案です。

私は林業/森林管理の仕事をしていますが、山の中で大木を拝む機会が度々あります。

大きな木の下では、なかなか小さな木は大きく育つことができません。それは上から若い世代を押さえつけているかのようです。しかし、大木はその寿命を悟ったとき、大量の種をつけることがあります。そして死を迎えその身を大地に還元した後、次の世代の栄養となっていきます。

いつも鬱蒼として変化の無いように見える森でも、あちこちで死と若返りが繰り返され、自然の森は全体として安定しています。森の木々に意味の無い木は一本たりとも無い。私の森づくりの先生はそう教えてくれました。

そうそう、群像の感覚を磨くのに、もうひとつ方法がありました。森を訪れる機会がありましたら、それぞれの木々の関係性を観察してみてはいかがでしょうか。何かヒントが得られるかもしれません。

今日という日を迎えられたこと、本当におめでとうございます。皆様に幸多きことを祈念します。

※この文章は某所から依頼があって寄稿した原稿を一部改変して再掲したものです。

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