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木を伐るのは悪いことか?

(2021/11/14 excite ブログより転載)

奈良の季刊誌「さとびごころ」さんからの依頼で森づくりについて寄稿した際、私は冒頭で自身に問いかけました。

木を伐るのは悪いことか? というテーマと、林業者は長い間向き合ってきました…

このことについて、もう少し深掘りをしてみたいと思います。

「負荷は集中、対策は分散」の原則

人が豊かに生き延びることを目指す近自然学(山脇 2005)では、様々な原則が提案されています。そのひとつが「負荷は集中、対策は分散」です。

環境には良くないことだけれど、どうしても必要なもの、発生してしまうものは一箇所に押し込めたほうが良い。逆に環境に良いことは一箇所で盛大にやるのではなくて、少しずつで良いから広範囲で行ったほうが良い、という考え方です。

例えば、動力を用いた人や物の移動は多くの場合環境負荷となります。だから、一人ずつ車を持つ(負荷の分散)のではなく、電車やバスなどで移動することで負荷を集中するほうが環境にとってはマシ、と考えます。

都市の中の公園や街路樹(対策)はどうでしょう。大きくて立派な森林公園が1つだけあって他に緑がないのと、小さくて良いので気軽に立ち寄れる緑地帯があちこちにあるのと、どちらが住民にとって住みやすいでしょうか。

ダメージを最小限にし(どこかに押し込め)、小さな対策で最大限の効果をあげることができればそれに越したことはありません。しかし、目の前の行為や現象が果たして負荷なのかそれとも対策なのか、その見極めを誤るとまったく逆方向に向かってしまう可能性もあるということになります。

※この原則からすると、環境対策であるはずの再生可能エネルギーは小規模分散型であるべきなのですが、個々の施設の効率化のために(部分最適化のために)大規模化するので上手くいかなくなっていく(対策ではなく負荷になる)と解釈できます。

木を伐ることは負荷なのか、対策なのか

木を伐る手法は、大別すると2つあります。すなわち皆伐(丸刈り)と択伐(抜き伐り)です。皆伐が環境にとって良いこと(対策)だという人はあまりいないかもしれません。皆伐は森に急激な変化を広範囲に及ぼしますから、やり方を間違うと、防災、生態系保全、景観などに様々な影響があります。

皆伐する理由はいろいろありますが、そのひとつには、伐って収穫したあとにスギやヒノキなどの一斉林を(また)造成したい、というものがあるでしょう。そのような資産づくりをするのが目標であれば、規模にもよりますが手段として皆伐は正解です。

ただし、皆伐だと採算が合うというのは、伐採による環境負荷に対するペナルティを林業が支払っていないから、という大変厳しい見方をすることもできます。山側からはこれに対していろいろ反論はありますが、いずれそういう議論になるかもしれないという準備は必要かもしれません。

単一樹種による一斉林施業、つまり皆伐再造林を行うエリアを限定し、その他の森林は天然林として手を付けず保全するという考え方があります。林業を環境負荷と考え一定の範囲だけでやるというのは「負荷は集中」の原則に沿ったものと解釈できるでしょう。

では、択伐はどうでしょうか。皆伐に比べれば森に急激な変化を与えない手法ではありますが、それでも無節操・無計画に伐りまくれば環境に悪い影響を及ぼします。太い木だけを抜き伐って、残ったヒョロヒョロの細い木たちが次の台風でみんな倒れた…なんてこともありえます。

しかし、環境貢献になるような択伐というものもあります。例えば、森林を育成していくと活力(成長量)が最大になるポイントがあることが分かっていますが、そのような状態に誘導する、あるいは維持するための伐採(収穫が手入れになる)がこれにあたります。ベスト体重に持っていく/維持する、というとイメージがつきやすいでしょうか。

択伐林業の概念図

結果的に複雑な構造の森となるので、エコロジーにとってもベターになる。このような伐採は、どこかで集中して施業するのではなく、あちこちでやるのが正解です(対策は分散)。ダイエットは集中してやるよりも少しずつ手を付けたほうが体質改善には良い(無理がかからない=リバウンドしにくい)…人間社会にとって森から学べることはまだまだありそうです。

荒山林業地(長野県大町市)

手段に正解/間違いはない、あるのは

環境にとって林業を負荷と捉えるのであれば、林業エリアを集中させることは有効でしょう。林業を対策と考えるのであれば分散型の森林管理とし、あちこちから少しずつ収穫するという方向性になります。

木を伐ることは悪いことか? という問いへの答えは、「やり方次第でどちらにも転ぶ」というのが結論ですが、近自然森づくりでは「林業は環境と対立するどころか貢献する、そういうやり方は必ずあるはずだ」とする立場をとります。

問題なのはそういう林業・森林管理は誰にでもできるわけではないことで、長年の観察に基づいた手の抜き方(自然がやることは自然に任せる)をしないと、多大なコストを支払うことになります。

林業の手段(技術や考え方)にはいろいろありますが、森から何を得たいのか、それをもってどのように豊かになりたいのか次第で、それらの手段の当てはめ方の正解/不正解が初めて決まっていきます。

例えば、皆伐をしておいて、その後で(立地を選ぶ)広葉樹を育てようと思ったがうまくいかない、というのは、テニスをしたいのに野球場を作ってしまうようなもの。向かいたい方向に対して、初めの土台作りから間違っているため、修正しようとすると多大な手間隙がかかる(そして破綻の可能性が高まる)ことになります。

①まずはそういう現場(目的に対して手段の適用が間違っている現場)を発生させないこと。②発生してしまったら、遠回りのようでも実は近道というルートがないか考えてみること。③そもそもどこに向かいたいのか、時々見つめ直すこと。

そうすることで、木を伐ることが対策にもなるということに近づいていけると思います。

「負荷は集中、対策は分散」の原則は、「対立思考から両立思考へ」「フォアキャストからバックキャストへ」と同様に、何かうまく行かないときに立ち止まって振り返る際の大切なキーとなることでしょう。

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