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気持ち良い、は危険?

※ 2022/6/10 excite blog より転載

aromatopia 171号に、エッセイを寄稿しました。題材は自由だったのですが、香りという感覚と健康を軸とした雑誌ということで、自分に何が書けるかを考えた末、「森と五感」というテーマにしました。

近自然森づくりでは、ものさしのひとつとして「気持ちよさ」を提案していますが、なぜ気持ちよさなのか、そのセンサー(五感)はどうやって磨くのかを連連と…結論はないのですが書かせていただきました。

ところでこの気持ちよさですが、「心地よさ」とか「居心地の良さ」などとも表現できます。こうして見ていくと、必ずしもポジティブな意味合いで使われるとは限らないことに気がつきます。

すなわち、ぬるま湯に浸かっていると成長しない(あるいは危険に気がつかない)こともあるのでは、というニュアンス。この問いに近自然はどう答えるか。

公園に虫が一匹もいなかったら、自分に苦言を呈してくれる人が周囲に誰もいなかったら。もしその状況を気持ちよい/心地よいと感じるのであれば、それはセンサーがおかしくなってることを疑ったほうが良いのでは、と考えます。

気持ちよいの先には、豊かに生き延びる、がなければならない。そこに向かわないのであれば、その感覚は何かがおかしい。むしろ、忍耐が必要なことも時にはあるわけです(近自然では我慢と忍耐は区別します)。

生き延びやすい環境=気持ち良い環境であることを感じるためには、ノイズを完全に遮断するのではなくて、適度に受け入れていないと(浸りすぎと同様に)センサーが鈍ってしまいます。

例えば森の中は快適なことばかりではありませんし、危険もたくさんあります。その中に身を置くことでセンサーは磨かれ、生き延びる力がついていく…はず。

いわゆる「快楽主義」とは線引きをすることが大事なのかな、と思います。

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