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陥没事故から思い出すこと
埼玉の道路陥没事故を受けて、東京都内全域の大型下水道管を緊急点検へというニュースが流れていました。
この記事を見て、ひとつの記憶がよみがえりました。
私の父は水道管などの管材を卸す小さな会社をやっていました。
35年以上前、私が高校生の頃だったと思います。水道管が破裂して周辺が水浸しになったというテレビニュースを見ながら父がこんなことを言っていました。
上下水道は戦後に整備が進んで便利になったけれど、いずれ腐るから、今から交換していかないと間に合わないんだよな。一気に入れたから、ダメになる時は一気にダメになるよ。
行政も何もしてこなかったわけではないでしょう。しかし、30年先のために今から手をつけましょうという議論があったとしても、今日の生活のほうが大事だ(とにかくこの場をしのぎたい)という"声"が勝って、問題は先送りに。
そして、いざというときににっちもさっちもいかなくなる、あるいは対応できたとしても結局トータルコストが高くなる、の繰り返し。支配するのは「あのときはそうせざるを得ない空気だった」なので、あとで犯人探しをしても出てきません。
急激な変化は後の世代の負担を伴う、ということはいい加減に私たちも学ばないといけないです。
ではこのことを森づくりで考えるとどうなるのか。昨年の秋にこんなブログ
を書きました。
一様に明るくした森は一様に暗くなる、というのがこの話の肝です。私達は手入れ遅れのモノカルチャーな森で、ペナルティをいつまで払い続けないといけないのか。
陥没事故も森づくりも、根っこのところではつながっていると思います。