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ロルフ語録(10年間のメモより)

「心」のTシャツがお気に入り

私が近自然森づくりという林業経営・森林管理の考え方について学び始めたのは2010年の夏のこと。先生はスイスのロルフ・シュトリッカー氏です。

彼は、決してスイスで有名でもなんでもない、プレアルプスの片田舎に済む一介のフォレスター(市町村に雇用される森林管理のエキスパート)です。しかし、この人に師事したことが、私自身の人生を変えてしまいました。

以降、彼からは様々なことを教わってきましたが、そのメモからほんの少しだけ書き出してみました。しかし、ほんの少しだけのつもりが結構な分量に。

林業だけではなく様々な分野に通じる考え方があるかと思います。よろしければご参考ください。


森づくりは、労働(コスト)を効果的に投入しなければならない。したがって、手遅れの林分よりも若いこれからの林分への労働投入を優先させた方が費用対効果は高い。

森づくりのプランニングの基本は、①正しい方法で②正しい時期に③正しいインターパルで行うこと。そうすれば高い確率で望むような形に、かつ低コストで誘導することができる。

森づくりは、我々の世代が収穫することにこだわってはならない。我々が生きている間に結果が出ないことは分かっていても、それでも始めること。

自分たちだけが良ければよいという事業は社会に認められない。社会に認められない事業は持続しない。社会貢献と経営は車の両輪である。

収入源を林業だけに頼るのは、それだけでリスク。ありとあらゆる分野から収入を確保する努力を怠らずに。

木材流通会社「LENCA」にて

ひとつの太いパイプで商売すると、そのパイプが詰まれば破たんする。細くてたくさんのパイプを用意すること。

一発当てようとして無理をしないこと。皆伐は元本を切り崩す行為。林業とは「利子」で食べる商売である。

森づくりは、気候、地質、土壌、地形、斜面向き、標高に対して、どの樹種がクオリティを発揮できるか(いわゆる適地適木)を丁寧な観察により把握すること。そして、研究者の助けをできるだけ借りること。研究者の成果をどう現場に生かすかは、エンジニアの能力次第である。ただし、データには頼りすぎないこと。直感も大事に。

広葉樹は成長が遅い、曲がりや枝が多く材として使いにくいと日本人は言う。条件のよい林地は全てスギ・ヒノキ・カラマツなどに変えてしまい、残りの広葉樹の林は手入れをしていないのだから、あたりまえである。

お金になる木に太陽エネルギーと地力を集中させること。お金にならない木にエネルギーを費やしても、林業経営には寄与しない。お金になる木はたくさんの種類を持続的に用意すること。これが環境貢献と経営の両立につながる。

今のやり方で持続しないと判断された場合は、やり方を変えなければならない。ただし、いきなり全部変えないこと。古いことを少しずつやめながら、新しいことを少しずつ増やしていく。そうすれば利益を保ちながら改革が可能になる。

手入れ箇所の優先順位は、「どこをやるべきか」であり、「どこがやり易いか」ではない。

森林所有者にとって大事なのは、森の価値をどうやって上げるか(元本を崩さずに、どうやって利子を継続する状況を作るか)。そのためには伐る木を探すのではなく、残したい木を先に探すのが原則。

経営者から作業員に至るまで、つくりたい森のヴィジョン(理想像)を共有すること。ヴィジョンがないと、テクニック(パーツ)をいくら積み重ねても全体は上手くいかない。ヴィジョンが共有できていれば、途中で何かに失敗しても振り返りと修正が容易である。

地力は財産である。地上の収支だけではなく、地力の収支を意識すること。特に乱雑な林内作業道や集材による地表への過度なダメージは、森林所有者にとって多大な損失である。

競争相手が巨大な場合、同じことをやって生き残れるわけがない。自分が弱小だという自覚があるのなら、他人がやらないこと、他人が見向きもしないことをやる。混沌の時代では、他人と同じことをやって安心している人に将来はない。

フォレスター仲間と開催している銘木市にて

他人は貴方に考えるヒントを与えてくれる。しかし答えを他人に求めるな。この山のことはあなたがもっともよく知っているはずだ。

これからの森づくりは新しい発想が必要である。そのためには新しい考えの人材が必要である。気をつけなければならないのは、若いからといって新しい考えを持っている、あるいは年配だからといって考え方が古いとは限らないことだ。

「この木は使えない」というのは誰が決めたのか? 消費者がそう言ったのか?

総理大臣であっても、来年その補助金が今年と同じように支給されるという約束はできない。

高い木材は遠くで、安い木材は近くで消費してもらう。

道づくりの全体のプランニングは、どこに何が生えているか、というのを一旦無視して地形だけを見てなぞってみると、無理のない線形を描ける。無理のない線形はコストを低く抑えることができる。もちろんその後で収穫計画をあてはめて修正は必要。全体のプランニングをせずに、伐るときに都度必要な道をつけていくというのが最悪のやり方。

機械を買うときは、必要能力より少し大きめのものを買う。その方が故障しにくいので、トータルコストでは安くなる。

1人(1社)でやろうとしない。みんなでやること。

生産―加工―流通―建築・職人―消費者 どこか一つでも欠ければ林業は絶対に活性化しない。ある部分が強くてある部分が弱いというチェーンは簡単に切れる。全体を同時に太くしていこうという発想を。

個々の現場のデータを詳細に取ること、それらを集計して平均値を取ること、これらは無駄とは言わないが、その数字に頼ってはならない。なぜなら、2つとして同じ現場はないし、平均値と同じ現場は存在しないから。

森を扱う人間が本当に頼るべきは、豊富な観察に基づく「直感」であって、データではない。ただし直感は「あてずっぽう」とは違う。資質、教育、経験、鋭い洞察力などがあってはじめて使い物になるもの。

現場の人間にとって、データだけに頼るという行為は、データに責任を押し付けて逃げるということ。ただし、データは人を言いくるめるための理論武装には使えることがある。

森とは太陽エネルギーの蓄積以外の何物でもない。今エネルギーをどう貯蓄するかみんなでやっきになっているが、大昔から森はそれを自然にやっていた。森は大きな工場とも言える。しかしゴミが一切出ない工場だ。全部リサイクルして回している。

森はいろいろな製品を提供してくれる。紙、家具、家、食物、きれいな飲料水や空気、人間が何もしなくてもそういう機能を提供してきた。これは非常な驚きだ。その多様性にも魅惑される。家に適した木、家具に適した木、摩耗しない硬い木、柔らかくて加工しやすい木、いろんな色、模様。なんと森は素晴らしいのか。

私が日本に来ているのは、みなさんが私から何かを学ぶためではない。みなさんが観察して考えて実行する手助けをするために自分は来ている。

森のエコシステムには間違いはない。我々の頭には限界がある、全てが見え、できるわけではない。我々には間違いがある。それは不幸ではない。間違いは犯して構わない。間違いに学ばないことが悪い。

木を沢山生産しなさいと会社から命令されたら、まず土壌を良くすることからはじめなければならない。

他の人が生産できない高いクオリティの木は自分の強み。そこに重点を置けば、長い成功につながる、そういう森づくりを進める。長い時間をかけて少しずつ誘導していく。それは全体のうちの10〜20%で十分。多くを求めると破綻する。

森づくりで大事なのは、正しい技術(機械)を投入すること。高性能ならいつも正しい利益が出るわけではない。機械の束縛から開放させることが必要。機械が対応できない作業は、マンパワーで対応する。機械は嫌いではないが、機械が森づくりの内容を命令するのは許せない。

観察して学んだ結果、これまでの常識と違うことがある。新しいクリエイティブな考えが我々を前進させてくれることがある。だから私が間違っても、みなさんの前進のためになる(スイスジョーク?)。

人によって伐る木の意見が別れた場合、大事なのはどっちの木を伐るかではなく、この森の目標は一緒か?ということ。森づくりでは、ひとつしか正しい道がないということはありえない。複数の道が必ず存在する。

あなたがこの木は役にたたない、売れないと思うことと、その木の森における存在価値は違う。エコロジーの中での樹々に意味のない木というのは存在しない。

今日あなたが得た知識や経験はあなたが独占するためのものではなく、森で働く人すなわち仲間たちと共有するためのものだ。


語録は以上。

いつも彼と話すたびに感じるのは、その経験とノウハウは、底なしかということ。まだまだ引き出せそうな気がしています。

今年の10月には、10年ぶりのスイスツアーを企画します。ロルフの担当区で学べる機会を作りたいと思います。3月下旬ころに詳細案内予定。

参考記事:
フォレスター「ロルフ・シュトリッカー」
初めてロルフに会った日のこと
日本とスイスは違う
スイスから何を学ぶのか

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