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慰霊の心
※ 2022/4/26 excite blog より転載
かなり重い話になります。
様々な理由で行方不明となった後に、山の中で命を落とされる方、命を絶たれる方がいます。
山林所有者や地域で消防団に入られている方の中には経験されている方もおられるかと思いますが、不思議なもので、ある年に複数回第一発見者になってしまったという人もいれば、山で何十年と働いていても一度も、という人もいたり。
その後、ご遺族や関係者と思われる献花や食べ物などが山の中にお供えされることもしばしば。お気持ちを考えれば、察するに余りあるものがあります。
お供えものの問題
山で働く私たちにとって、気にしない人は気にしないのですが、いわゆる「敏感なタイプ」の人にとっては心の負担になることがあります。
その場所で事故や事件があったことをお供えの存在で知ってしまうこともありますが、それでも私たちはそこで仕事をしなければなりません。
さらに、お供えものには「片付け」という作業が伴います。ほとんどの場合、それは山林所有者または林業従事者が行うことになります。
食べ物は獣を呼びかねないので、気がついたら早めに処分しなければなりませんし、プラスチックを含むものは、鳥獣の誤飲誤食の危険もあります。お線香の小さな火であっても、山火事は心配です。
片付ける側の気持ち
お供えをされる方にとって、しかも山の中でなかなかそこまで気が回らないことは理解できますが、ある場所がきれいになっているのは、そこが誰かの所有地(または管理地)で、誰かが片付けているからという当たり前のことに、ほんの少しだけ斟酌してもらえたら、と思うことがあります。
ある日、社有林の作業道脇で献花とお供え(缶コーヒー)を見つけ、「ここで何かあったのかな」と近づいてみると、メモを書いた木の板が傍に置かれていました。
山主様へ
〇〇町の○○と申します。少しの間ここにお花を置かせてください。また片付けに参ります。
連絡先 000-0000-0000
1週間後また来てみると、そこはきれいに片付けられていました。私たちにとっては片付けの手間とその時の気持ちだけではなく、誰が供えたのかがわからないことが心理的な負担になるので、その点で大変ありがたかったです。
ここまで配慮いただける例は稀ですが、所有者がわかるのであればひと声かけていただくとか、上記の方ように何かメモを置かれてあるだけでも、管理したり片付けたりする側の気持ちはだいぶ楽になります。
やるならばきちんと対処したい
宮崎の社有林に戦没者の慰霊碑(旧陸軍輸送機の墜落場所)があるのですが、しばらく整備されていなかったため、地元の歴史研究会のご指導のもと、50年ぶりに調査と慰霊祭を行った場所があります。
慰霊と歴史の継承という目的のために行った行事でしたが、これは同時に私たち山で働く者にとって「気持ちの整理をつける」ためのことでもありました。
周辺には普段通る道やスギの造林地もあり、いずれ間伐などの作業をする必要があります。その時に、慰霊の場所があるようだけれど放ってあるのと、整備してきちんとお祈りをしてから臨むのとでは、現場に入るときの心の安定性のようなものが異なってきます。
山林作業というのは極めて危険な仕事です。現代は労働災害に関わる価値観が変わり、それに伴って道具や組織管理の考え方が発展したので、現代型の対策を行っていかなければなりません。
一方で、令和の今も全国に「山の神」が祀られ、どこでも定期的に祭事が行われ続けているのは、ちょっとした心の揺れが事故を生むことを、現場の人々は知っているからなのでしょう。
慰霊の心は皆にあります。ほんのちょっとお互いに関心を持てば、必ずわかり会えるはずと信じています。