人の都合
人はギャップに惹かれる。
悪人が更生していい人になったり、品行方正だと思われていた人が不祥事を起こしたりするとニュースになるが、ずっとイイ人、ずっと悪い人の話はあまりバズらない。意地の悪い見かたをすれば、人を持ち上げて褒めそやすのは、落とした時のギャップを得るための準備とも言える。
それは例えばメディアの都合。
人やお金を手っ取り早く集めようと思ったら、このギャップづくりをすれば良い。簡単なのは単純化して(見せて)、何かを徹底的に叩くことで自分を上げて見せることだ。問題はそれは長く続かないということで、叩く相手を次々と変えていかないと生き延びられない。
それは例えば商売の都合。
じゃあ、自分の信じる道を地道に歩んでいれば、いつか良いことがあるのか…。それでやっていければ理想的だけれど、現実の経営や生活はそう甘くはない。どう考えても前例に従っているだけでは先がない時代なのに、新しいことを始めようと思っても最低限の注目がないと前に進めないからだ。
それは例えば仕事のジレンマ。
自分もたまに情報発信をするが、なぜもっと積極的に広報しないのかと言われることがある。つまり購買機会を結構逃しているのではないかという指摘だ。それは正しい指摘だけれど、ぼちぼちにしておかないと人は簡単に対立志向に陥る(または巻き込まれてしまう)。
このぼちぼち、ほどほどが難しい。それは面倒くさがりの自身の性格を正当化しているだけかもしれない。
そう、それは私自身の都合。
正誤や良し悪しよりも、敵か味方かで人の評価は決まる。褒め称えていた相手が自分に気がないとわかった途端に「そもそもあいつの髪型はダサいと思っていた」とか言い出すのはそういうことだ。
自己都合で判断するということが避けられないのであれば、そういうものだと割り切って、でも深みにはまらないように気をつけて生きていくしかないのかなと思う年度末。
写真:ヤマハンノキの新葉(本文とは関係あるようなないような)