見出し画像

林業従事者が樹木の勉強をすることの意味

スタッフたちが事務所周りの樹々の葉っぱを集めて樹木同定(木の種類を特定する技術)の社内教育をする様子を見ながら思い出したことがあった。

スイスに行き始めた頃のことだから、今から十二、三年前のことだと思う。当地のフォレスターが希少種保護などの環境対策になぜ取り組んでいるのかという解説を受けていたときのこと。

チューリッヒから来る環境家(大学出の人たち=給料の高い人達という意)よりも、毎日森に通っている我々(林業従事者の意)の方が、この地域の森のことは良く知っている。林業のことだけではなくて、環境のことも我々のほうがうまく、かつ安いコストでできるはずだ。それを証明するためには、研究者やエンジニアと同じレベルで話ができなければならない。だから我々は学び続けなければならない。

私が師事しているフォレスターがそう言ったとき、自分は雷に打たれたような衝撃を受けた。

この業界では、現場に学問は要らないとずっと言われてきた。当時からそのことに様々な反論・反発はあったが、やっと表立って言える時代になってきたのかもしれない。でもその意味を明確に言語化したものを自分は知らなかったので、だからこそのインパクトだったのだろう。

こんなことを言うと、山で働く以上はそんなこと(自ら興味を持って勉強すること)は当たり前だ、と諭していただく諸先輩方もおられるだろう。仰るとおりと理解するが、個人のやる気に任せていた結果がこれだという現実を見なければいけないのでは、とも。

植林や天然更新で多様な樹種を育てようとなったときに、下刈りで全て丸刈りしてしまって台無しになるということはそこら中で起きる出来事。その度に「意識が足りない」と上の人達は言う。

あえて言いたいのは、それを現場に押し付けるだけで何か事態は良くなるのか?ということだ。

いいなと思ったら応援しよう!