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世代交代

森のはなしであり、人のはなしでもある。

私たちが森に手を加える、例えば木を植える、間引きをする、収穫をすると、森は何か反応を示す。その反応は私達にとって都合が良いこともあるし、良くないこともある。

介入するとどう反応するか、しないとどうなるのかは、同じ人が観察し続けないとなかなか把握できない。いずれ文明の発展で機械がそれをやってくれる時代が来るのかもしれないが、まだしばらくは人がやらなければなさそうだ。

だから、その地域に長く居続けることは、フォレスター(森林管理の専門家)が機能する絶対条件になる。じゃあフォレスターがいれば良いのかというと、ことはそう単純ではない。

林業あるいは森林管理というものは一世代で成し遂げる仕事ではないし、突き詰めて言えば終わりがない。人が森からの恵みを受け続けたいのであれば、その仕事は人から人へ永続的に引き継がれていく運命にある。

フォレスターはいつか"定年"を向かえ、世代交代をする。フォレスターというのは属人的な仕事になりがちなので、人が変われば管理方針が変わることは避けられない。前任者は自分の意図や意思を引き継いでほしいと願うし、後任者は上から考えを押し付けられるのを嫌がる。これは世界中どこに行っても同じだ。

だから、現役のフォレスターが目指すのは、自身のやってきたことに「説得力」を持たせること。それは言葉ではなく携わってきた森で表現しなければならない。後任者は法の範囲内であれば、それに縛られることはない。なぜならば、マーケットもステークホルダーの価値観も、そして気候も変わり続けるからだ。

若い彼や彼女は、始めはなかなかうまくいかないだろう。先述した森を見る目が養えていないし、今のマーケットを熟知しているわけではない。しかし最も足を引っ張るのは「前の人はああだった」と言うオトナたちだ。

科学的、技術的、あるいは原則的な指摘ならば、それは後の世代の肥やしになる。だが、代が変わって悪くなった、迷走している、といったざっくりした言葉は、当事者のモチベーションを下げるだけで何の役にも立たないばかりか、状況をさらに悪化させる。

これは代々続く林家でも同様だ。先代から当代に世代交代したとき、"取り巻き"がやいのやいの言う現象はよく見られる。

以前、速水林業の速水さんが、森林所有者の所有規模が小さいのは必ずしも悪いことばかりではない、所有者の数だけ管理方針があるので、それは森の多様性にもつながるからだ、と仰っていて、なるほどと思った。

変わらず経営的には厳しい状況が続くけれど、でも長い時間がかかるこの仕事だからこそ、もっとおおらかであっていいはずだ(いいかげんとは異なる)。当事者も周りもそう思えたとき、良い世代交代ができるのだろう。

それは、森にとっても地域にとってもきっとポジティブなはずだと思う。

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