逃げ出した後 【緊急事態宣言の解釈】
昨夜、父から電話があった。
僕が21歳、結婚して間もなく
父は突如、蒸発してしまった。
母と弟と嫁と、十億以上の借金を残して
23年間、父と会うことはなかった。
思い出すのも嫌だった。
だけど、再び父との歯車が噛み合い
今に至っている。
86歳の父について
僕が61歳なのだから、当然の年齢。
3年前から前立腺癌を患い、治療は行っている。
新しい治療を試す度に、具合が良くなり父は完治したと、仲間を呼んで酒盛りをしている。
僕の「治ったわけではないのだから」の言葉にも耳を傾ける事はない。
父の男性ホルモンを断たれた癌は、一旦下火になった。主治医の見立ては3年はこのままで維持だったが、去勢後半年で、癌は骨盤を中心に全身へと広がり始めた。
僕は3ヶ月に1度、父のカンファレンスと主治医との治療方針の打合せ、CMとの打合せ、父を取り巻く家庭環境の確認の為大阪府から、千葉県へ車を走らせている。
今回のカンファレンスは2021年1月18日。
こちらに来るなの理由
父は「近所の目があるからこちらに来るな」と電話の最初に話した。
僕は「近所の目があるからなんや」と、その理由に大きく落胆。
続けて、父は「最近、背中の痛みが続く。痛くも痒くもないようにして欲しいって頼んだよな」って、一方的に言ってくる。
僕は「そんな薬なんてないやろ。これから痛みはさらに強くなるし、もう治ることはないんだから」と、いつもの言葉を繰り返すと、父は「そうなんか・・・・お前は冷たいなぁ」と意気消沈したような声で、「やっぱり、お前、先生と話ししてくれんか?」とつづける。
僕は、どっちやねん!と呟きながら
「それなら、行くよ!」と返すと
親父は間髪いれずに「近所の目があるから、家には泊めないからな」って。
いつもながらに、勝手な人だ。
父と僕の間には、書き尽くせない出来事が沢山ありすぎる。
僕は親父と話しをしながら、引出しから思い出したくない出来事を蘇らせ
気分は暗黒面に引き込まれる。
親ってなんや?
僕は、多分、今回が父とまともに話ができる最後のチャンスだと思っている。
父が、今一緒に暮らしている僕の母ではない女性も、父の介護に疲れ果てている。
その女性の連れ子の女性は、父が何かしでかすと、僕の携帯を鳴らす。
「お前、俺より長く親父と暮らしているんだぞ!」って口から飛び出しそうな言葉を飲み込みながら、CMなどに連絡を入れて事態収拾に時間を費やす。
子供ってなんなんや!
親ってなんなんや?
子供ってなんなんや?
もう、何度も自分に聞いて、自分からの答えを聞いていない。
僕の子供への思い、孫への思いの底辺は、この問いかけの答えなんだろう。
緊急事態宣言の解釈 僕は行くの決断
千葉は緊急事態宣言が出される。
僕は、世間の移動自粛の最中に、感染者が多い大阪から、非常事態宣言下の千葉へ行く。
いいのか?ダメなのか?
自問の結果、政府は宿泊施設をクローズしない・ディスニーランドが閉園しないなら、僕は行くと決めた。
これが、政府が国民に対して出している、僕の緊急事態宣言の解釈なのだ。
僕は、これまで感染予防に対し、学びながら実践をした経験がある。
ホテルも感染対策がしっかり出来ている。
何よりも、今、行かなければ、僕はきっと後悔する。
親孝行で行くのではない!
僕は、親父と再会して1度も、親父が蒸発した時の話を聞いていない。
そして、子供に対して「わるかったな」のひと言も聞いていない。
きっと、僕が親父と会うことで、親父は許されたと思っているのだろう。
それを否定はしないが、僕と親父の23年間は、何も埋まっていない。
親父はこのまま死んでいいのか?
自分が死ぬ事に怯える、過去を思い出して妄想すると言っていたが、その過去に僕との歴史はないのだろうか?
僕が、次に千葉へ行くのは、きっと新型コロナウイルスが収束したあとになるだろう。
日本中の子供が、この新型コロナウイルスに感染しませんように
そんな願いを込めて、開発した手ぶくろです。
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