「レズビアンさん」

 私は、文筆家のまきむぅのファンだ。彼女を知ったきっかけは覚えていない。気がつけばメモを片手に本屋で「百合のリアル」を探していた。友達に誘われて、とある大学で行われた講演も聞きに行った。その講演中、私は大学の講義室でずっと泣いていた。髪の毛を毎日綺麗に結わいて登校する、眩しい女の子への初恋。「愛のかたまり」みたいな女の子を、容易に想像できた。堅苦しくなくフレンドリーにわかりやすい言葉で語られる彼女の人生に私はすっかり入り込んでしまって、泣きながらメモを取った。通っている大学の授業よりも5億倍くらいは真剣に。彼女の甘酸っぱい初恋は、同性愛を異常扱いする雰囲気の中で消えた。これがだいたい20年ほど前の出来事。

 そして、20年後。

 彼女は疲れ切っていた。彼女を「レズビアンさん」としてセンセーショナルに書いた個人的な記事がネット上に撒かれている。まきむぅのパートナーのモリガを「夫役」と表記した記事。「男性よりも男性らしい」と煽るタイトル。ツイートからも疲れが見えた。先日自分で書いたエッセーと重なった。


 彼女は嘘を書かれることにも疲れていたし、加えて、自分が自分のまま受け入れられないことに苛立っていたのではないかと感じた。彼女は、私が見ている「男女カップルしか魔法にかからない夢の国のCM」をきっと見ている。でもその一方で彼女は見られる側にもいる。文章を書いたりテレビに出たりすることによって、たくさんの人の目に触れている。

「レズビアン」っていう生き物がいるわけじゃないのよ 私の気持ちを少しは考えて!

 『同居人の美少女がレズビアンだった件。(小池みき作/牧村朝子監修 イースト・プレス2014年)』の本文47ページ、ゲイの友達が多いから’ソッチ’の世界には詳しい、やっぱり男みたいな女が好きなんでしょ、などと、決めつけるような発言をする友人に対しまきむぅが返した言葉だ。初恋で「自分はレズビアンという異常者ではない」と恋心を封じ込めた彼女が、誰かから勝手に貼られたカテゴライズのタグみたいなものをぺりぺりはがして、自分は「レズビアンさん」ではなくて牧村朝子だ、と名乗るのに20年という時間がかかった。その長い時間を、17歳の時にまきむぅの著書を読むことでスキップすることができた私は本当に幸せだと思う。まきむぅの言葉は、まきむぅが作ってくれた道であり、光だ。

 決めつけられるのは疲れる。制服を着せられて思ってもいないようなことを笑顔で言わされるのも、勝手につけられた呼び名で括られるのも、自分じゃない誰かを演じさせられるのも、私自身がなかったことにされるようで、頭にくる。それは、'今はやりの'えるじーびーてぃーがどうのこうのの前に、自分が自分として生きられない世界は生きづらいということではないか。当たり前とか標準とか、普通とか、なんなんだろう。それは誰かにとっての当たり前でしかなくて、あなたの当たり前と私の当たり前は違うのではないか?


 今、「あなたはどれぐらいレズビアンですか?」というアンケートをしている。この間同じような質問をツイッターのアンケート機能を使ってしてみたら、とても面白い結果になったからだ。選択肢は0パーセントから100パーセントまである。今回のアンケートは記述式も取り入れた。面白いのはその部分である。「彼女がいるけど自分をレズビアンだとは思わない」という人もいたし、まず「基準がわからない」と回答した人もいた。そして興味深いのは、0パーセントと100パーセントと回答した人が一番少ない割合であり、回答した人のほとんどが「0パーセント以上100パーセント未満レズビアン」であることだ。

 基準がわからないという選択肢を作ってよかったなと感じている。基準なんてまずないから。「あの人は女性なのに女性と付き合ってるからレズビアンだ」「あの人は女が好きらしい、だからレズビアンだ」などと誰かをレズビアンだと決めつける基準はあるのに、自分がどうなのかと聞かれると途端にわからなくなってしまう。「レズビアンなら男が嫌いなんでしょ?」と言えるのに100パーセントレズビアンであるという回答は少ない。「レズビアンな訳ないじゃん!」と笑えるのに0パーセントレズビアンであるという回答は少ない。


 「レズビアン」って生き物がいるわけじゃない、それをなぜか忘れてしまうことが寂しい。

アンケートはまだ回答を受け付けています。回答するのに性別は関係ありません。もちろんセクシュアリティも。あなたの考え方を教えてください。


 


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