固定給のプレッシャー
「給料分働いてね」と言われ、それに見合うよう何の疑いもなく働いた。自分の働きが給料に見合っているかなんて、そもそも給料の根拠も示さず「固定給でいくら」なので、かなり曖昧な話だ。内心、働きが多少悪くても給料がはもらえると安心していた。
脱サラして会社の代表となり、給料を払う立場になると、固定給こそこんな不公平で理不尽な仕組みってない。メリットは、給料を査定・算出するのが楽なくらいで、同じ基準の社員の働き具合は、当然人それぞれ。仕事ができないと、給料泥棒と言われ、迷惑となる。できてもできなくても会社と社員は給与上では対等にならない。
成果給の割合が多いと、働きが悪くてももらえないだけなので、後ろめたい気持ちはない。払う側もそう頭を悩ませない。
固定給だと、曖昧な基準を上回る成果を挙げなくてはならないというプレッシャーが実はある。期待以上の成果をあげた場合も、見合った給与がもらえるかどうかは疑問だ。
固定給って安定の象徴みたいだけど、すごい責任を背負ってる。サラリーマンじゃなくなって「なんか気持ちが楽だな」と感じていたのは、その辺なのかもしれない。
給与のことは、考えないのがいちばんだ。
そこを目指そう。