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アンカーボルトソングを限界まで言語化してみる

こんにちは。超絶長いので気をつけてください。
アンカーボルトソングについてのnoteですが、「このシナリオはどんなメッセージが込められているのか?」という解釈については以前自分も書きましたし、他の方もたくさん書いてくださっています

そこで今回は切り口を変えて「このシナリオには一体何が起きていたのか?」という"現象を読み解く解釈"に焦点を当てていきます
なので今回メッセージ性については一切触れません
つまり

「忙しくて疎遠になって壁ができてしまった」

この一文についてとことん細かく分析していこうということです

※アンカーボルトソング、報酬sSSR【erer-】を既に読んだこと前提で話を進めていきます
ネタバレ等気をつけて下さい

※私の独自解釈が大いに含まれる内容となっています
自分の解釈を強くもって下さい

人格とコンテンツ

私が本稿でシナリオを解釈していく上で、人格コンテンツという二つの言葉を使用していきます。

・本稿での人格は、SNSなどを介さないで友達や仲間に伝わる、その人のありのままの人間性のこと

・本稿でのコンテンツは、SNS等によりアイドルからファンに発信される商品化された人格のこと


ストレイの偶像⇔実像とだいたい同じ意味ですがどうしてもしっくりこなかった
私の力では既存の単語で表現することが困難だったことをここに謝罪します


物語の主観に立つアイドル

アンカーボルトソングは基本的には甜花ちゃん視点でお話が進んでいきます
最後の心内描写も含めて、甜花ちゃんが主観に立ったシナリオであると言えると思います



では、このシナリオの主人公も甜花ちゃんなのか?

私はその限りではないと思います

このシナリオは特別誰かが成長するような話でも、アイドルのパーソナルな部分に大きく影響を与えるようなものでもありません
実際このシナリオは甜花ちゃんが何か過去を乗り越えて大きく成長するようなことが主軸に置かれていなかったと思います
甜花ちゃんが感じていた壁だって他2人も認識していたものでした
強いて言うなら"アルストロメリア"が主人公のシナリオだといえます

ではなぜ甜花ちゃんが主観に立ったのか?

理由は色々あると思いますが、私が感じたのは2つ

①甜花ちゃんはSNSを他2人より見るため、コンテンツとしてアルストロメリアを認識する事が多かったから

言うまでもなく甜花ちゃんは他の2人よりツイスタを見る描写が多いです
つまりファン側の心理も持ち合わせているということになります

SNSを通して見るアルストロメリアはコンテンツであり、普段から2人の人格に触れている甜花ちゃんは人格とコンテンツの乖離に気が付きやすいと言う事です


もう一つが
②甜花ちゃん自身がアイドルとして、人格とコンテンツに対し非常に曖昧なスタンスで活動しているから

甜花ちゃんはご存知の通り、にへにへしていて自然体な天性のアイドルです
ストレイライトのように仮面を被る事なく、素顔のままでアイドル活動をしてきました
それは言い換えれば「コンテンツとしての仮面を持たない」ということ
なので甜花ちゃんはバラエティでも自分のありのままを答えます
番組内で、好きな企画を聞かれた甜花ちゃんは

「バラエティ番組というプロジェクトに対して、"アイドル大崎甜花"がどんな返答をするのが最適か?」という思慮は甜花ちゃんに無かったと思います

アイドルとしての自分、人間としての自分に境界を引くことなく「≒」で結んできた甜花ちゃんに「チームで一丸となってプロジェクトを成功させる」という自覚が薄かったのは当然でした

同じく自然体アイドルの真乃GRADでも描写されていた通り、"ありのまま"がコンテンツになる人は、意識的に演出をする技術が成長しないからです

櫻木真乃 GRADコミュ【それでも……】より

なので他者に人格とコンテンツの二面性を見つけたとき、一面しかもたない甜花ちゃんは二つを分けて考えられず、「人格が変わってしまった」と人一倍不安になってしまうんだと思います


翻訳された人格と不完全なコンテンツ

アイドルとは、人格をコンテンツに翻訳してファンに届けるものだと言えます
これは真乃や甜花ちゃんのようなありのままアイドルでも当てはまる事で、真偽に関係なくファンに送られた全ての人格はコンテンツとして届くようになっています

甘奈が一生懸命勉強していた監修の化粧品であっても、たとえこの投稿をして後の全てを企業側に丸投げしていたところでファンが気付くことは基本ないと言えます

誰が開発していようと「大崎甘奈監修」のラベルを貼った時点で、大崎甘奈が監修したリップとポーチというコンテンツに翻訳されて私たちの元に届くからです

甘奈プロデュースになるんです

それほどまでにコンテンツがいい加減で不完全なものだということ
しかしその事実に気づくことは容易ではありません
発信者側の視点が不可欠だからです

それを象徴する対比がこちら

いいね早いなぁ
みんな一緒にいる?


発信者側の事実が描かれている甜花ちゃん視点では

事実とコンテンツの違いに気付きましたが

ツイスタの投稿のみが描写されたこのシーン

実際に一緒にいてせーので投稿していたかどうかという事実は甜花ちゃんにも私達にも分からないままでした
これがコンテンツのみを享受する消費者の視点です
杞憂も邪推も生まれ放題

こうしたコンテンツの不完全さ、翻訳元である人格との乖離が今回の壁に繋がっていったと考えられます


それぞれが感じた壁の正体

アルストロメリア3人がそれぞれに対して壁を感じるようになった原因というのは、人格とコンテンツの乖離で大まかに一括りできますが、細かく見ると各々別の要因でした

それぞれ分析していきます

【桑山千雪の場合】

千雪さんの悩みはソロとしての自分ファンの反応という二要素から来るものでした

メタ的に見るならば、千雪さんの人格に何度も触れてきた私達は、時々ギラつく一面がある事も知っていますし、おとなしいおねーさんなだけじゃないことも知っています

しかし番組MCは今回仕事を共にし、人格に触れるまでは「アルストロメリアの千雪さん」というコンテンツでしか認識できません

それまでユニット活動が中心だった千雪さんにとって、シャニマス世界での桑山千雪というコンテンツはアルストロメリアありきの存在

今までの千雪さんがアルストロメリアありきだということは、ファンもアルストロメリアと一緒にいる千雪さんが好きだったということ

少し乱暴な言い方をするならファンはアルストの桑山千雪というコンテンツを愛しているのであって千雪さんの人格を愛しているわけではありません

それは愛が足りないとかそういう話ではなく、先述したように消費者がファンでいる限り発信者から送られた全ての人格がコンテンツとして届くからです

そういった理由から、ソロ活動によって千雪さんの人格は変わらないまま桑山千雪というコンテンツは変わり始めました

変わらず推していたはずのコンテンツが別のものになっていると感じ出したファン
こうしたツイスタのコメントを受けて

コンテンツとしての桑山千雪がアルストロメリアから離れていくことに悩むようになりました

【大崎甜花の場合】


先述した通り甜花ちゃんの悩みは、甘奈と千雪の人格が変わってしまったのではないかと不安になったこと

・千雪さんに対して
プライベートで会うことが中々出来なくなった千雪さんに対して、甜花ちゃんはツイスタやラジオというコンテンツを通して千雪さんの人格に触れようとしました

ここ超かわいい

しかし千雪さんは人格は変わらないままに、コンテンツが変化している状態

コンテンツのみを得ている甜花視点では人格も変わっていくように思えたのです

コンテンツから人格を判断する

・甘奈に対して
毎日顔を合わせて同じ家で寝食を共にする甘奈になぜ?
一言で表すなら「甘奈の意識が急激に高くなったから」だと思います

自分の知らない成分の勉強を始めて、プロジェクトを進めていく意識にも目覚めた甘奈のキャパシティは限界に近いレベル

それでもやりがいを感じて精力的な甘奈に対して、甜花ちゃんはどう支えてあげるべきかわからなくなりました

ターニングポイントとなったのがラジオのお誘い

前向きに成長するために忙しくしている甘奈に対して、余計な負担をかけるわけにはいかないと思った甜花ちゃんは、ディレクターに宣言したラジオのお誘いを結局しませんでした

ここで重要なのは誘わなかった事ではなく、「なんでも言えると思っていた妹に壁を感じてしまった」という後ろめたさ

その感情は次第に大きくなり、明らかに負担になるはずのないミルクティーでさえ渡せなくなってしまうほどに

甘奈が自分の知らない分野の勉強をしていること、元々自己評価が低かったこともあり、自分が何か関わること自体が負担になるかもしれないという意識になりました

二人が遠くに行ってしまう、置いていかれてしまう
悩んでいるのは自分だけなのに


そんな思いが甜花ちゃんの中で大きくなっていきます


【大崎甘奈の場合】

甘奈の悩みは、コンテンツに対する誤認と焦りからくるものでした

甘奈は薄桃色やGRADを経て、なんとなくで先に進まず、正面からアイドルと向き合うことを大事にするようになりました

甘奈の言葉で言うなら「ちゃんとする」

正面からアイドルと向き合う、言い換えれば人格とコンテンツに違いを生まないようにする

だからこそ、甘奈監修の商品が出ることに対しても名義貸しで留めずに、一から勉強をはじめました

問題なのはその意識のせいでコンテンツの不完全さを認識できなかったこと
これがコンテンツに対する誤認です

どういうことかというと

甜花ちゃんがバラエティ番組にレギュラー出演することになり2人は「仲良くなった人を教えてもらう」約束をしたのですが

甜花ちゃんはこの子のことを甘奈に紹介しませんでした(私の解釈です)

甜花ちゃんは隠していたわけではありません

甜花ちゃん自身は別に駆け出しモデルと友達になったと思っていないから紹介していないだけのこと

しかし"コンテンツとしての大崎甜花"は駆け出しモデルと仲良しの友達同士になりました

またも人格とコンテンツの乖離です
甘奈はその乖離を認識できず、自分がキャパシティギリギリなのにうまくいかない、だけど甜花ちゃんは抜け駆けして成功しているという劣等感に繋がることに

甘奈もまた、2人に置いていかれるような不安を抱え、焦っていました


それぞれが悩みを解決するまで

上記の理由からアルストロメリアという3人にミルクティーの膜のような壁を創り出すこととなりました

しかしその悩みもこのシナリオの中で各々着地点を見つけました

【桑山千雪の場合】

千雪さんは厳密には問題解決に至っていません
正確には「悩まないことにした」という吹っ切れに近いものでした
その助けになったのがシャニPです

人格とコンテンツの乖離について悩むことにシャニPが同調し、内で抱えていた気持ちをしっかり言語化してくれました


そのおかげで千雪さんはコンテンツの変化を恐れずに、ソロの桑山千雪を作っていくことに決めました


自身の人格が変わらない限り何があっても大丈夫だと思えるようになったのです

【大崎甜花の場合】

甜花ちゃんの悩みを解消する鍵は2人の人格を再認識すること、つまりカラオケでした

カラオケでないといけなかった理由はないですが、「歌って踊る」コンテンツのアイドルが、観客のいない狭い個室で歌って踊るという対比がメタ視点で大きな意味がありました
2人の人格を再認識したことにより、現時点での甜花ちゃんは悩みを解消したはずですが、甜花ちゃんはまだ不安そうでした

それもそのはず
今すぐの気持ちは晴れやかでも、いずれまたコンテンツの乖離を目にした時に不安になることを知っていたから

甜花"も"というのはコンテンツのみを享受する消費者目線を含めた話
心の中にしかない人格は、いずれまた形あるコンテンツに侵食されてしまうことを甜花ちゃんは予感していたのです
なので本当に悩みが解消されるのは後述する匂わせからになります

【大崎甘奈の場合】

甘奈はシャニPと千雪さんからコンテンツの正しい認識、向き合い方を教えてもらうことによって立ち直りました
その描写があるのはイベントsSSR【ever-】より「2つ目」

シャニPはコンテンツを意識的に作る姿勢を助言し

GRADでコンテンツと正面から戦った経験を持つ千雪さんは特に甘奈を大きく導きました

ここに関しては千雪さんが凄すぎて震えるレベルなので、凄さを細かく解説していきます


①企画の人が求めているのは人格"大崎甘奈"でも単純なインパクトでもなく、コンテンツ"大崎甘奈"であることを教える

②その上で甘奈自身の人格を軽視せず、コンテンツと乖離しない"ちゃんとしたい"甘奈の思いを汲み取る

③あくまで人格に寄り添う形でコンテンツに翻訳するため、チェリーフレーバーを選んだ理由を聞く

④甘奈の人格"happy cherry"をコンテンツ"ever cherry"に翻訳するヒントを与える

⑤「コンテンツの作り方」に対し、自らがCMの脚本を書くことで体現する

GRADでコンテンツに真っ向勝負を挑んだ千雪さんにしかできない最高の導き方だと思います


アルストロメリアは最後になぜ"匂わせ"を選んだのか

このシナリオでアルストロメリア3人は人格とコンテンツの乖離によって苦しみ、またいずれ同じ悩みにぶつかる運命を背負っていました

今回はコンテンツの乖離だから再認識で解決できましたが、人格の乖離は元に戻ることができません
人格がアルストロメリアでいることを疎ましく思ってしまったならそれが本当の最後になります
未来永劫そんなことあるはずない!と言い切ることは誰にもできませんでした

だから、来るかもしれないその日のために私達の人格を残しておこう


なぜ最後に甘奈は表立った投稿ではなく匂わせを提案したのでしょうか?



それは"匂わせ"が
「限りなくコンテンツから遠く、限りなく人格に近い」
形式のコンテンツだからです

SNSにアップされ、ファンに向けられた全ての情報はコンテンツとなって届きます
逆に言えば、ファンに届けようとしない姿勢が強いほど人格が色濃く残る性質があります

100の情報を全て発信するより、10の情報が隅っこに隠されている方が真実味を帯びるということ

なので表立って
「私達アルストロメリアは今一緒にいて仲良しです!」と投稿するよりも
その想いをわざと隠して、コンテンツを届けようとしない姿勢をとることで、人格をファンに届けようとしたということです

大部分を埋めることによって地盤を固める
アンカーボルトのように

そうした人格に近いコンテンツはもう一つ、【ever-】の「ポーチできたの☆」にて

アルストロメリアにとって、人格の形をしたコンテンツを残す理由はここにありました

たとえ離れ離れで会えなくっても
形あるコンテンツが思い出を上書きしてきても
あのときの私達はこんな形をしていたと

形に残した人格が思い出させてくれるから

いつかの時の雨の色を


最後に

今回こんな形式のnoteを書いてみた理由は「シナリオ全体がなんとなく息苦しい」と感じた理由を出来る限り言語化してみたいなと思ったからです

私の脳内の何%が伝わっているかわかりませんが、ほんの少しでも届いていれば幸いです

本当に素晴らしいイベントシナリオでした

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