「競馬の歴史を学ぶ」~無敗の皐月賞馬 編~
【はじめに】
この記事では、2019年から「3年連続」で誕生した「無敗での皐月賞馬」の歴史について、振り返って参ります。
ちなみに、同様の記事を、デアリングタクト→ソダシの「桜花賞」でも作ってありますので、そちらもお楽しみ下さい。
無敗の桜花賞馬が史上8頭なのに対し、無敗の皐月賞馬はエフフォーリアで19頭目と倍以上います。今回は、年代別に歴史を追っていくこととします。
1940年代
「桜花賞」でもお話ししましたが、現在でいう2歳戦が始まったのは、戦後になってから。なので、戦前に誕生した「無敗の皐月賞馬」2頭は、現在でいう所の3歳デビュー組となります。
① 1941年:セントライト
② 1942年:アルバイト(後にクリヒカリと改名)
そして、いきなり兄弟で2年連続での達成となります。どちらも新呼馬(新馬戦)を制してからの2戦目が皐月賞(横浜農林省賞典4歳呼馬)でした。
セントライトは言わずと知れた初代「三冠馬」ですが、その一つ下の半弟の「アルバイト」も、デビューから5連勝でダービーに挑み、ミナミホマレにハナ差の2着という実力者です。
1950年代
現在でいう2歳戦が始まった戦後の中央競馬。1950年代のうち、クリノハナは3歳デビューで2冠を達成しましたが、他の2頭は現2歳時から圧倒的な強さで連勝を重ねました。
③ 1951年:トキノミノル
「トキノミノル」に関しては、あまりにも逸話が多いので他記事に譲るが、「無敗の皐月賞馬」という観点で行くと、やはり現・2歳時から「無敗」を守りきったことが特筆されます。
④ 1952年:クリノハナ
戦後最短のキャリア(デビューから48日で皐月賞、77日でダービー)記録を持つ2冠馬「クリノハナ」は、デビューから1200→1600→1800→2000mと、距離を克服し、着差はいずれも1馬身以内という勝負強さが伝わります。
⑤ 1954年:ダイナナホウシユウ
トキノミノルを上回るデビューから「10連勝」で皐月賞に臨んだダイナナホウシユウは、「11連勝中」だったタカオー(4着)に大差(2着に8馬身)をつける圧勝。中央競馬史上最長連勝記録タイとされる「11連勝」を皐月賞で達成しました。
1960年代
1960年代に「無敗で皐月賞」を制した2頭は、どちらも後に顕彰馬となり、競馬人気を高めた名馬です。コダマを「カミソリ」、シンザンを「ナタ」にたとえたのは、良く知られた逸話です。
⑥ 1960年:コダマ
関西で3連勝し、関東でも連勝を伸ばして6連勝で皐月賞を制したコダマ。母・シラオキが2着だった日本ダービーも制して、無敗7連勝で2冠馬に。皐月賞は6馬身差の圧勝、ダービーはレコード勝ち、現・5歳で宝塚記念を制覇(復活)など非常にドラマチックな人生を辿りました。
⑦ 1964年:シンザン
「コダマ」同様、関西から関東に遠征して連勝を伸ばし6連勝で「皐月賞」を制したのが、史上2頭目の三冠馬「シンザン」です。
「コダマ」とは違って、皐月賞での着差は3/4馬身、派手さに欠けた反面、生涯連対率100%という堅実さと、目標となる大舞台で勝ち切る着実ぶりが当時から出ていたのかも知れません。
1970年代
社会現象にまでなった「競馬ブーム」を盛り上げたのが、1970年代の無敗の皐月賞馬達かも知れません。
⑧ 1973年:ハイセイコー
地方・大井競馬で6連勝、2着との着差計が56馬身だったハイセイコーは、「地方競馬の怪物」の呼び声に違わぬ快進撃で、中央競馬でも弥生賞→スプリングSとトライアルを連勝し、皐月賞でも2馬身半差をつける快勝ぶりでデビュー「9連勝」としました。
⑨ 1974年:キタノカチドキ
前年のハイセイコーが無敗で皐月賞を制するも、ダービーで連勝が止まった衝撃が記憶に根強い中、1974年の「キタノカチドキ」も、デビューから5連勝で皐月賞に出走。
厩務員ストライキによる3週間「開催延期」や、枠番式しか無かった当時、ハイセイコーの時のような混乱を避けるべく導入された「単枠指定」などと話題に事欠かない東京開催の皐月賞でしたが、文句なしの強さでした。
しかし、次走の日本ダービーでは、ハイセイコー同様、1番人気推されるも3着と敗れ、デビュー以来の連勝がダービーで止まりました。
⑩ 1976年:トウショウボーイ
この年の、人気の中心は目下5連勝中で関西期待の星だったテンポイント。クリノハナ以来、中央の関東勢が達成できてなかった「無敗の皐月賞馬」を四半世紀ぶりに達成したのが、条件戦を2連勝したばかりでキャリア4戦目だったトウショウボーイです。
後に「TTG時代」を築き上げる両馬の初対決は、1馬身以内に4頭が並んだ2着争いを遥か後方に見る「5馬身差」の圧勝でした。
1980年代
グレード制が導入された1980年代には、1984年・1985年と連続して無敗の皐月賞馬が誕生します。
⑪ 1984年:シンボリルドルフ
朝日杯3歳Sには出走せず、ジャパンC当日のオープン戦に出走して、世界のホースマンにアピールした現2歳時。
実績の面では格上だったビゼンニシキと人気を二分こそしたものの、弥生賞から皐月賞にかけてその評価は揺るぎなきものとなっていき、無傷5連勝で「無敗の皐月賞馬」となりました。(その後の活躍は言うまでもなしww)
⑫ 1985年:ミホシンザン
明けて4歳(当時)になってからデビューした「ミホシンザン」は、新馬戦を9馬身差の圧勝で飾ると、400万下の水仙賞、GIIスプリングSと3連勝をし、無敗で皐月賞に出走。1番人気に「5馬身差」で応える圧勝をします。
前年のルドルフに続く無敗の皐月賞馬誕生、そしてシンザンと日本初となる親子3冠を期待される存在となったミホシンザンですが、皐月賞翌日に骨折が判明し、日本ダービーには出走できませんでした。
秋に復帰して、菊花賞も制していることから、史上初の「父子3冠馬」が達成されていた可能性もあるかも知れません。
1990年代
平成に入って、オグリキャップによる競馬人気が絶頂を迎えた後、2年連続「無敗の皐月賞馬」が誕生します。
⑬ 1991年:トウカイテイオー
「ミホシンザン」以来の無敗の皐月賞馬となったのはトウカイテイオー。父・ルドルフと同じく無敗での皐月賞馬を達成。ミホシンザンも成し遂げられなかった「日本ダービー」との2冠を無敗で達成しますが、その直後に、骨折が判明し、父子「無敗3冠」は叶いませんでした。
⑭ 1992年:ミホノブルボン
続く世代のミホノブルボンは、朝日杯3歳Sを制した現2歳王者。明け3歳のスプリングSで2番人気に甘んじるも7馬身差の圧勝を果たして、皐月賞では1.4倍の断然1番人気に支持。
皐月賞も堂々と逃げ切って着差以上の強さ。5戦5勝で2年連続無敗の皐月賞馬となりました。結局、菊花賞で2着と敗れて3冠こそなりませんでしたが、それまで連勝を「7」に伸ばし、距離も克服する姿が印象的です。
2000年代
更に2000年代になっても、歴史的名馬しかこの偉業は成し遂げられません。
⑮ 2001年:アグネスタキオン
アグネスフライトの全弟としてデビュー戦から注目され、上がり:33秒台で3馬身半の圧勝を決めたアグネスタキオンは、続く暮れの「ラジオたんぱ杯3歳S」でレコード勝ちをします。
その時の2着馬が翌年のダービー馬であるジャングルポケットで、3着馬があのクロフネですから、この馬の評価が(後々)高まったことも頷けます。
弥生賞ではデビュー戦でも戦ったボーンキングや、後の菊花賞馬マンハッタンカフェを相手に5馬身差で快勝して3連勝。本番の皐月賞では、実に59.4%という圧倒的な単勝支持率に応え、「まず一冠」と実況に形容されるほど「三冠」に向けた期待が高まりました。
しかし、アグネスタキオンは浅屈腱炎のためダービー出走を断念、4戦4勝のまま現役を引退し、11歳の若さでこの世を去っています。
⑯ 2005年:ディープインパクト
新馬戦、若駒Sと1走ごとに『ただならぬ馬』だと感じさせたディープインパクト。弥生賞こそクビ差に迫られますが、3戦3勝の皐月賞も1.3倍という断然の1番人気で迎え、『武豊、三冠馬との巡り合い』と形容されます。
2010年代
2005年のディープインパクトから暫く誰も成し遂げられなかった「無敗の皐月賞馬」。平成最後のクラシックとなる2019年(平成31年)4月の皐月賞で達成したのが、サートゥルナーリアでした。
⑰ 2019年:サートゥルナーリア
6月の阪神開催でデビューし、夏場を休養して秋の萩Sで復帰、G1へと昇格して2年目の「ホープフルS」も勝って3連勝としたサートゥルナーリア。
トライアルに出走せず、2歳時の無敗を継続したまま、明け3歳緒戦として皐月賞に出走した同馬は、結果的には「無敗の皐月賞馬」に4戦4勝で輝きます。
ただし、その後は日本ダービーで人気を集めるも4着で連勝が止まり、秋は天皇賞・秋に出走するも6着。有馬記念は2着と善戦しますが、リスグラシューに5馬身を付けられていての結果に。結局、古馬になって金鯱賞は勝ったものの、皐月賞を最後にG1は勝てず10戦6勝で現役を引退しています。
2020年代
2019年度から数えて3年連続「無敗の皐月賞馬」が誕生している2020年代。
⑱ 2020年:コントレイル
父・ディープインパクトに次ぎ、世界初の父子「無敗三冠馬」となるコントレイル。新馬戦→東スポ杯2歳S→ホープフルSと、2歳時は3連勝でG1を制すると、前年のサートゥルナーリア同様、3歳緒戦を皐月賞としました。
レースは、人気を分け合っていたサリオスとのマッチレースとなるも、最後に差を広げての制覇。結局、連勝をこの後「7」まで伸ばして、菊花賞まで土付かずで制することとなりました。
⑲ 2021年:エフフォーリア
3年連続での「無敗の皐月賞馬」となったのが、エフフォーリア。
2歳時は札幌の新馬戦、東京の百日草特別(1勝クラス)で2連勝。そして3歳緒戦の共同通信杯は4番人気ながら2馬身半差を付ける快勝。
そして、3戦3勝で迎えた皐月賞でしたが、重賞ウイナーも多く実力伯仲、混戦模様という戦前の予想、2番人気でレースを迎えますが、終わってみれば0.5秒差を付ける3馬身差の圧勝。
平成以降では、ナリタブライアン、オルフェーヴルという後の3冠馬が記録したのと比較されるほどの着差での完勝でした。
【おわりに(総括)】
予想という観点からこの記事にたどり着いた方も多いかとは思うので、19頭の無敗の「皐月賞馬」のその後を簡単にまとめておきましょう。
① 1 1 1 1941セントライト
② 1 2 3 1942アルバイト
③ 1 1 - 1951トキノミノル
④ 1 1 - 1952クリノハナ
⑤ 1 4 1 1954ダイナナホウシユウ
⑥ 1 1 5 1960コダマ
⑦ 1 1 1 1964シンザン
⑧ 1 3 2 1973ハイセイコー
⑨ 1 3 1 1974キタノカチドキ
⑩ 1 2 3 1976トウショウボーイ
⑪ 1 1 1 1984シンボリルドルフ
⑫ 1 - 1 1985ミホシンザン
⑬ 1 1 - 1991トウカイテイオー
⑭ 1 1 2 1992ミホノブルボン
⑮ 1 - - 2001アグネスタキオン
⑯ 1 1 1 2005ディープインパクト
⑰ 1 4 - 2019サートゥルナーリア
⑱ 1 1 1 2020コントレイル
⑲ 1 2021エフフォーリア
無敗の皐月賞馬18頭のうち、日本ダービーに出走したのは16頭。そして2冠を達成したのは10頭(10-2-2-2)で、勝率としては62.5%です。
グレード制導入後は、サートゥルナーリアの4着以外は、ダービーに出走できれば、全て「2冠」を達成していることになっていますが、いずれも順調に出走できていれば「3冠」を達成していてもおかしくないほどの、スターホースに限られているとも言えます。
例外のサートゥルナーリアは、その後の戦績からすると、他の例よりもやや実績面で劣る部分もありまして、『順調なら3冠達成できそう』なクラスの馬かどうかという選馬眼を意識しておくと良さそうです。