「競馬の歴史」を学ぶ ~昭和の牡馬3冠馬 編~(№673.3)

【はじめに】
2020年の日本競馬では、史上8頭目となる「牡馬3冠馬」が誕生して話題となりました。今回の記事は、サラブレッドの名前を詳しく知らない方を対象に、馬名を覚える入り口としてピッタリな牡馬3冠馬を紹介していきます。

0.中央競馬(JRA)のクラシック3冠について

さて、まず「クラシック3冠」が何かという所から確認していきましょう。随所に、クイズの問題を引用して、記事を進めていきます。

【 問題 】16/04/30「昭和記念」
史上8頭が全てのレースを制覇している、中央競馬における「牡馬クラシック三冠」競走といえば、皐月賞、東京優駿(日本ダービー)と、あと一つは【 何 】賞でしょう。

【 正解 】菊花賞

イギリス競馬をもとに戦前創設された「クラシック(5大)競走」のうち、牡(オス)馬も出走できる3レース(皐月賞、東京優駿(日本ダービー、菊花賞)を全て制した馬を「3冠馬」と言います。

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3歳馬しか出走できないレースなので、生涯1度しか無いチャンスを、全てモノにすることが必要になるため、3冠制度が確立してから80年近くなりますが、牡馬3冠馬は史上8頭(昭和4、平成3、令和1)しかいません。

ただ、裏を返せば、日本の中央競馬の牡馬3冠馬は「8頭」覚えるだけで、全部を把握していなかったり、情報が曖昧な人(クイズプレイヤーなど)に差を付けることが出来ますので、一緒におさらいしていきましょう。

(※)なお今回の記事では、馬齢や競走名などを現在のものに「統一」した箇所があります、あらかじめご了承ください。

1.(1941年)セントライト

1939年に3冠レースが出揃って、僅か3年目にあたる1941年(昭和16年)、早くも(?)日本初の三冠馬が誕生しました。

【 問題 】15/09/20「F」
日本競馬史上初となる「三冠馬」を、1941年に達成したことで知られ、重賞競走にもその名を残す競走馬の名前は何でしょう。

【 正解 】セントライト

史上初めて3冠を達成した「セントライト」の3競走を簡単に。

《 3冠ハイライト 》
①皐月賞  デビュー2戦目を1番人気で完勝
②ダービー 史上最大8馬身差での圧勝劇
③菊花賞  史上初の3冠。12戦9勝(2着2回3着1回)で現役引退

戦後(1947年)、「セントライト記念」が創設。70回以上の歴史があって、現在もGⅡレースとして開催されているため、歴史に詳しくなくても、競馬ファンであれば(この馬名を)耳にしたことがあるのではないでしょうか。

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スマホゲーム「みんはや(みんなで早押しクイズ)」には、『父・ダイオライト、母・フリツパンシー』といった始まり方の問題が収録されています。クイズ的には「慣れてきたら、父親の馬名でぜひ押して欲しい」のですが、戦前の競馬ファンからすると、両親とも、同馬以外にも他に活躍馬を輩出しているので、興味の湧いた方はぜひ調べて見て下さい。

その後、クリフジ、トキノミノルなど、戦争を挟んで幾多の名馬が誕生しますが、皐月賞・東京優駿・菊花賞の3冠は中々達成されません。

太平洋戦争開戦の直前に三冠を達成し引退した「セントライト」から、次の三冠馬が誕生するまでに23年。時は「東京オリンピック・イヤー」でした。

2.(1964年)シンザン

「セントライト」同様、その功績を讃えて「シンザン記念」としてレース名になっているため、半世紀以上前の馬としては良く名前が知られています。

【 問題 】16/07/18「ジュライC」 改作
日本の戦後初と言われる快挙のうち、
1965年に野球の「三冠王」を達成したのは“野村克也”ですが、
1964年、中央競馬のクラシック「三冠馬」を達成した
競走馬の名前は【 何 】でしょう。

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《 3冠ハイライト 》
①皐月賞  関東初挑戦の前哨戦6番人気から一転、1番人気で6戦全勝
②ダービー 前走(オープン)で初の2着敗戦も本番は好タイムで2冠目
③菊花賞  秋2戦連続2着(初連敗)も、本番では23年ぶり3冠達成

「セントライト」は、重ハンデ(72kg)を厭って3冠達成後はレースに出走せず現役を引退しましたが、「シンザン」は3冠達成の翌年も現役を続け、「天皇賞」と「有馬記念」を制して、史上初の『5冠馬』となりました。

特に引退レースの「有馬記念」は、『シンザンが消えた』と実況されるほどの大外強襲が、歴史の一ページとして競馬史に刻まれています。

結局「シンザン」は19戦15勝2着4回、すなわち1度も3着以下にならず。敗れた2着のレースも、本番前の調整的なステップレースで、本番(5冠)は負けなしという安定感も特筆すべき点です。

競走馬としては、(前述のとおり)史上2頭目の三冠馬、史上初の五冠馬
種牡馬としては、海外から輸入された種牡馬ばかりが活躍し内国産種牡馬が冷遇された時代に、2冠馬「ミホシンザン」など活躍馬を複数輩出
軽種馬としては、35歳3か月11日という「日本最長寿記録」を樹立

するなど、生涯に渡って活躍を続け、昭和40年代から50年代にかけては、「シンザンを超えろ」が日本中央競馬界でのキャッチフレーズと見做されるほどに、“日本の競馬界全体の目標であり続けた”存在でした。

1970年代に入って、ハイセイコーやTTGなどの活躍もあって競馬人気が高まりますが、「シンザン」から20年近く三冠馬は誕生しませんでした。

3.(1983年)ミスターシービー

TTGの一角であるトウショウボーイの産駒であった「ミスターシービー」は、シンザン以来となる史上3頭目の「3冠馬」を達成します。

《 3冠ハイライト 》
①皐月賞  不良馬場、馬群後方からの追い込み(徐々に進出)
②ダービー 多頭数のダービーを最後方スタート、記念すべき第50回
③菊花賞  ゆっくり下るのがセオリーとされた2周目3コーナーで先頭に

日本ダービーは毎年多頭数(20頭以上が当たり前だった時代)になるので、10番手以内でレースを進めないといけないとする「ダービーポジション」を確保できなかった2冠目は、徐々に進出する追い込みで、

スタミナを温存するため、2周目3コーナーはゆっくりと下るべきとされた「菊花賞」は、逆に3角で仕掛けると4角から直線にかけて先頭に立ち、「逃げ」てロングスパートなレースとなりました。
(杉本清アナの実況にも注目の参考動画はこちらから ↓)

しかし、3冠後は、ジャパンCや有馬記念のみならず翌年秋まで出走せず。

グレード制が施行された1984年、距離が2000mに短縮されたばかりの天皇賞(秋)を制して4冠馬となり、シンザンに続く5冠を目指すも、ジャパンCは10着と初の大敗、有馬記念3着、大阪杯(GII)2着、天皇賞・春5着となり引退となりました。

昭和の三冠馬の中では生涯の「安定感」は劣るものの、ダービーや菊花賞、天皇賞(秋)でのドラマチックな勝ち方は、ファンを魅了し、根強い人気を持ち続けている1頭であります。

4.(1984年)シンボリルドルフ

「シンザンを超えろ」をキャッチフレーズに、シンザンに並ぶ「3冠馬」をミスターシービーが達成した次の年、2年連続で「3冠馬」が誕生します。(20年に1度ペースだった所から、一気に潮流が変わります。)

下に「シンボリルドルフ」の特筆すべき点を3つ挙げました。

 ・史上初めて「無敗」で三冠を達成
 ・3冠+有馬記念連覇+天皇賞(春)+ジャパンCの「7冠馬」
 ・三冠馬として初めて「海外馬」相手にジャパンCを優勝 & 海外挑戦

セントライトやシンザンとは、時代が大きく異なっていますが、それでも、「シンボリルドルフ」の実績は傑出しており、「皇帝」の異名に相応しいものでした。

《 3冠ハイライト 》
・皐月賞  ビゼンニシキにレコード勝ち。岡部騎手・指1本立て三冠意識
・ダービー 史上3頭目(トキノミノル、コダマ)の無敗2冠達成
・菊花賞  8戦8勝、史上初無敗での三冠達成

当時は、菊花賞から中1週で「ジャパンC」という日程だったため、スケジュール的にも強行軍となることを覚悟の上でルドルフは参戦。
日本勢の一角カツラギエースが初優勝を果たすも、ルドルフは3着に敗れ、デビューからの連勝記録が8で止まります。

しかし、年末の「有馬記念」では、シンボリルドルフ、ミスターシービー、カツラギエースの3頭が単枠指定される中、年上のライバルを抑えて優勝。先輩3冠馬との「3冠対決」も制して、年度代表馬に選出されます。

1985年、古馬となった「シンボリルドルフ」は、日経賞、天皇賞(春)と、他馬を寄せ付けぬ強さで再び連勝を伸ばします。(宝塚記念は出走取消)

【 問題 】20/05/01「昭和記念」
【 ウィキペディア穴埋めクイズ 】です。
初戦の日経賞を楽勝し、天皇賞・春では3度目の対決となった先輩三冠馬【 何 】が早めに先頭に立つ展開となったが、5着に沈む【 何 】を尻目に完勝しGI5勝目を挙げる。【 何 】はこれが最後のレースとなった。

【 正解 】ミスターシービー

海外遠征を取りやめ、国内専念となった秋は、「天皇賞(秋)」から始動。春までのレースぶりから、ここも1番人気に支持されますが……、

【 問題 】18/06/30「F」
「あっと驚くギャロップダイナ」という実況で知られる
第92回「天皇賞(秋)」で2着と敗れた、
“皇帝”などの愛称を持つ三冠馬は?

実況内で「横綱競馬」という表現も出ましたが、言うなれば、「大横綱は、負けることがニュースになる」のと同じような状況となっていました。

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しかし、続く「ジャパンC」では、海外の強豪を相手に「1番人気」で優勝を果たし、海外勢(調教師等)からも一目置かれる存在となっていました。国内での機運の高まりを示すのが、(結果的に)国内最終戦となった、同年年末の「有馬記念」での盛山アナウンサーの実況でしょう。

世界のルドルフやはり強い!3馬身4馬身!日本のミホシンザンを離す!
日本最後の競馬、最後のゴールイン!ルドルフ圧勝致しました!
日本でもうやる競馬はありません、あとは世界だけ、
世界の舞台でその強さをもう一度見せてください!シンボリルドルフ!

惜しくも、その翌年、アメリカでの緒戦で故障し、そのまま現役を引退することとなった「シンボリルドルフ」ですが、史上初の『無敗での3冠馬』となった皇帝はその名に恥じぬ強さで、『シンザンを超えろ』というキャッチフレーズにとらわれてきた昭和の競馬ファンに大きな衝撃を与えました。

【おわりに】

ここまで、昭和に誕生した「3冠馬」を4頭、ご紹介してきましたが、如何だったでしょうか。4頭をもう一度おさらいしておきましょう。

① セントライト
② シンザン
③ ミスターシービー
④ シンボリルドルフ

3冠馬・4頭それぞれのドラマを知るキッカケ、入り口となれば幸いです。それでは、次回の記事(平成・令和編)でお会いしましょう、Rxでした。

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