「競馬の歴史」を学ぶ ~牝馬の天皇賞・春挑戦 編~
【はじめに】
この記事では、牝馬(メス馬)が「天皇賞(春)」に挑戦してきた歴史を、ざっくりとおさらいしていきたいと思います。
1.天皇賞(春)は牝馬にとって鬼門のレース?
皆さん、牝馬の天皇賞馬を1頭思い浮かべて下さい。……
アーモンドアイですか? ダイワスカーレットとの激闘のウオッカですか? それともエアグルーヴか、大逃げのプリテイキヤストでしょうか?
と、何頭か例示をしましたが、牝馬の天皇賞馬は殆どが、東京競馬場で開催される「天皇賞(秋)」の方を制した馬です。
天皇賞の前身である「帝室御賞典」競走が年に2回の開催に集約されて以降(1937年~)で、牝馬が「天皇賞(春)」を制したのは1例しかありません。
ざっと80回は関西3200mで開催されてきた「天皇賞(春)」は、「天皇賞(秋)」は勿論、他のG1競走と同じく、牡馬・牝馬どちらも、出走が認められているレースです。それなのに何故か、他の競走と比べても、牝馬の優勝・活躍例が少なく、いわば「牝馬にとって鬼門」となっているのです。
確かに、現代においては「芝3200m」の長距離G1は他に無く、ステイヤーが少ない印象の牝馬にとっては厳しい舞台なのかも知れません。
しかし一方で、1983年までは東京開催の「秋」も、今の春と同じ芝3200mで開催されていました。そちらは半世紀足らずの歴史の中で、10頭もの牝馬の天皇賞馬が誕生しているのです。
何故、牝馬の天皇賞馬は秋ばかりに集中しているのか、春の天皇賞を制する牝馬は過去1頭しかいないのか。これらは明確な答えが簡単には結論が出せず、一種の「謎」として長らく語られ続けてきたのです。
2.1955年を最後に馬券圏内なし
後ほど一覧をお示ししますが、天皇賞(春)で牝馬が3着以内に来たのは、1955年のセカイイチ(2着)が最後です。ですから1956年以降の60年以上にわたって、牝馬は1頭も馬券圏内に入っていないことになります。
※しかも当時は今と違い、10頭いれば多い方という少頭数の時代ですから、17~18頭が常の現代よりも入賞する率は高かったものと推測されます。
ただこう言うと、牝馬は問答無用で「切り」と判断されるかも知れません。1956年以降はそれが正解となってきましたが、令和の時代もその法則が継続するという保証は何処にもありません。
だって似たような事例に、「64年ぶりの夢」を叶えた、ウオッカという日本ダービー馬が居るのですから。
3.唯一の牝馬による「天皇賞(春)」馬:レダ
1930年代前半より前ですと、帝室御賞典や連合二哩といった現在の天皇賞の前身にあたるレースを制した牝馬は何例もいます。しかし、繰り返し述べているとおり、「天皇賞(春)」を制した牝馬は、戦後1頭しか居ません。その馬こそが「レダ」です。
・レダは日本の競走馬。1953年春の天皇賞を制した。
・春の天皇賞を優勝した牝馬は2020年現在レダ1頭のみである。
・同期にはタカハタ、クインナルビー、スウヰイスー等の強豪牝馬がいて、牝馬が強い世代として知られる。
・牡馬クラシック三冠では結局ひとつも牝馬が勝つことはなかったが、皐月賞と東京優駿(日本ダービー)で牝馬【=タカハタ】が1番人気に推され、三冠競走すべてで牝馬が2着に入った。
レダは現2歳時に、7連勝(デビュー2戦は圧勝、3戦はレコード勝ち)で阪神3歳Sを2着となるも、現3歳時は桜花賞2着を最高に重賞は勝てず。しかし、現4歳春に復調し、第27回天皇賞(春)では、同じく牝馬のクインナルビーを2馬身半差の2着に退けて、史上初(唯一)となる牝馬での天皇賞(春)馬となります。
この「レダ」という女傑が語られるのは、「史上初の天皇賞(春)馬」か、「毎日王冠での転倒による競走中止(→予後不良)」のどちらかでしょう。いずれにしても、1950年代の馬が半世紀以上経った現代でも取り上げられるという時点で、偉大な記録であったと言えるはずです。
3.昭和後半~平成時代に挑んだ牝馬たち
1960年代では、パスポート号が1桁頭数時代ということもあって、2年連続で5着以内に入っていますが、それ以降はもはや掲示板に入ることすら叶わなくなり、牝馬が活躍できないレースという印象が定着したことで、人気も伸びず大敗が続く時代となってしまいます。
平成に入って1993年には4頭の牝馬が出走。タケノベルベットは5番人気、イクノディクタスなども出走して9着となりますが、ライスシャワー、メジロマックイーン、メジロパーマーといった一線級の牡馬を相手に15馬身以上離されてのゴールでした。
文字どおりの「例外」と言える存在が、2005年の「マカイビーディーヴァ」でしょうか。『オーストラリア競馬の殿堂入り』を果たしたオーストラリアの名ステイヤーです。
オーストラリア最大のレースである「メルボルンC(3200m)」を連覇し、長距離無敗、中距離でも豪州の一線級を相手に優勝するようになった同馬は日本に遠征し、エイプリルSから天皇賞(春)へと出走します。
しかし、エイプリルSを1番人気で7着と敗れると、本番「天皇賞(春)」を2番人気で臨むこととなったものの、スズカマンボといった伏兵に敗れての7着に終わりました。
とはいえ、ここまでの流れとして見ると、「2番人気・7着」というのは、ここ半世紀においては非常に立派な成績だったとの見方も出来るでしょう。
さて、令和の時代に入って、天皇賞(春) と牝馬の合口・相性に変化は出てくるのか、約70年ぶりの牝馬による制覇は果たされるのか注目される所です。というか、今回(2021年)は、多くのメディアが盛り上げている気がします。
4.特筆すべき牝馬の挑戦リスト
~昭和前半(3着以内or3番人気以内)~
1938年:ヒサトモ 3着(2番人気)
1947年:トヨワカ 3着(3番人気)平和賞
1949年:ヤシマヒメ 11着(3番人気)
1950年:クニハタ 4着(3番人気)
1953年:レダ ①着(1番人気)
クインナルビー 2着(4番人気)
1954年:ワカクサ 5着(3番人気)
1955年:セカイイチ 2着(7番人気)
1957年:ミスオンワード 8着(3番人気)
~昭和後半(5着以内or5番人気以内)~
1962年:チトセホープ 5着(5番人気)
1964年:パスポート 4着(4番人気)
1965年:パスポート 5着(2番人気)
1976年:トウコウエルザ 9着(5番人気)
~平成・令和時代(全馬)~
1991年:マルシゲアトラス 17着(18番人気)
1993年:イクノディクタス 9着(14番人気)
タケノベルベット 10着(5番人気)
トーワナゴン 12着(15番人気)
キョウワハゴロモ 15着(11番人気)
1995年:ヤマニンドリーマー 18着(15番人気)
1997年:メジロランバダ 9着(7番人気)
2005年:マカイビーディーヴァ7着(2番人気) 豪
アドマイヤグルーヴ 11着(6番人気)
2009年:テイエムプリキュア 18着(14番人気)
2010年:メイショウベルーガ 10着(5番人気)
2015年:デニムアンドルビー 10着(9番人気)
フーラブライド 11着(14番人気)
トーセンアルニカ 13着(17番人気)
2017年:プロレタリアト 16着(17番人気)
2018年:スマートレイアー 7着(12番人気)
2020年:メロディーレーン 11着(13番人気)
2021年:カレンブーケドール 3着(4番人気)
ウインマリリン 5着(8番人気)