「日向灘」における過去の地震について
【はじめに】
この記事では、2022年1月22日に発生した地震を受けて、「日向灘」付近を震源として起きた過去の地震について纏めていきます。
1.「日向灘」について
まずは、広い意味での「日向灘」の地震について捉えていきましょう。
☆地震情報で用いる震央地名(九州地方)
https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/joho/region/epi4.html
気象庁のホームページの画像を引用すると、上に示された海域(それなりに広い範囲)が「日向灘」となります。この領域のいずれかを震央とする地震はすべて「日向灘」として情報が発表されています。
今回(2022/1/22)の地震は、この地図に当てはめると北西の端辺りが震央と推定されていまして、細分化して捉えると、ここ100年では最大規模かも知れません。
また、語弊を招く言い方を敢えてしますと、「日向灘で震度5強を観測する地震」は観測史上初めてとなります。ただこれには留意点があって、
・震度5を「5強/5弱」に分けたのはここ四半世紀のこと
・分化前に震度5を観測した事例は幾つもある
・震度観測網が今と大きく異なり、単純比較は困難
・1968年(M7.5)など、今の観測網なら震度5強以上を
観測していたと考えられる地震も存在する
点などは、他の事例も含めて十分注意する必要があろうかと思います。
ただ、大分・宮崎県境付近の方からすると、「久しぶり」とか「初めて」と感じるほどに強い揺れであり、人的・物的被害も広域に及んでいることから、かなり強い揺れだったこと自体は疑いようがないとも思います。
2.過去の大きめな地震について
そんな日向灘で起きた、大きめな地震について振り返っていきましょう。
21世紀に入って、「日向灘(ひとまわり小さいもの)」のプレート間地震の「30年以内の発生確率:70~80%」などと報じられてきましたが、今回の地震は、規模がやや小さくメカニズムが異なることから、上記の想定地震とは別物と見做されそうです。
厳密に周期性のある地震と見做されてきたものかどうかは別にして、大きな地震(人的被害や津波発生)をもたらす地震が比較的良く起きる海域だということを、今回の地震で再認識する必要があろうかと思います。
《 ここ100年の顕著な地震 》
歴史地震には、信憑性を疑われているものが幾つかあり(1498・1769年)、はっきりとした被害が伝わるのは、1662年の「|外所《とんどころ》地震」が代表例かと思います。
M7クラスの後半で、地震・津波による被害が顕著だったと伝わります。
さて、そんな歴史地震の時代を経て、近代的な観測が始まったここ100年で「日向灘」を震源とするM6.5以上の地震をリストアップしました。
(※)参考にしたのは、Wikipediaの「日向灘地震」のページと、気象庁の「震度データベース」です。
震度分布を見ると大分や延岡で震度5(強震)を観測したのが特徴的です。大分などは震度観測点が変わっていますし、震度の観測方法や基準も時代によって変わるため参考程度に捉えていただきたい部分はありますが、宮崎~都城・日南といった宮崎県南部あたりで強い揺れを観測してきた過去の地震とは震源地が異なることがこの分布からも垣間見えます。
特に被害が大きかった1968年の地震が、規模的(Mj7.5)にも津波的にも取り上げられることが多いですが、データを見るとそこまで突出している訳ではなく、強い揺れや一定の被害がもたらされる地震は時折起きていました。
また、昭和東南海・南海地震の起きた1940年代でいうと、1941年の地震は、気象庁マグニチュードではMj7.2と表示されますが、USGS(アメリカ地質調査所)のモーメントマグニチュードではMw7.9という値となっています。
もしこの値を取れば、Mw8を超える昭和東南海・南海地震に近い規模だったという見方も出来ます。
昨年のNHK「MEGAQUAKE」でも紹介された日向灘の“前ぶれ”パターンが、現実に起こりうるものかさらなる研究・調査に期待します。
3.過去の地震(余震)活動について
ここで、過去の「日向灘」地震のその後の地震(余震)活動を簡単にピックアップしてみました。
最初の地震が「大規模」ということを踏まえると、有感地震の回数は比較的少なく(M3以上の有感地震は概ね1桁)、最大余震もここ半世紀はM5前後に留まっていることが傾向として見えます。
ただ、1931・1968・1970年の事例のようにM6を超えるやや強い揺れをもたらす地震が発生するパターンもありましたし、その他気になる所としては、
こうして、前駆活動の傾向が若干見られる事例も幾つか見られましたので、今後の参考とするべくリストアップしておきました。
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