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「競馬の歴史」を学ぶ ~10年ごと1頭だけ選んでみた~【1940~2010年代】

【はじめに】
お待たせしました!前回(1860~1930年代)に続き、ここからはいよいよ、皆さんも馴染みのある戦中・戦後以降の名馬をご紹介していきましょう。

↓ 記事のコンセプトや、1930年代以前については、下からどうぞ。

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1940年代:セントライト

1940年代は、太平洋戦争を挟み、戦中戦後の5年間ずつが対象となります。やはり戦時中に力強く生き抜いた、JRA顕彰馬の2頭【セントライト】と【クリフジ】が代表的な存在かと思います。

今回は、日本初の三冠馬を達成した【セントライト】を紹介していきます。

と、その前に簡単に、前回:1860~1930年代の記事でもお話ししましたが、セントライトの母である【フリツパンシー】は、以下らを輩出しました。

・【タイホウ】(2桁勝利:帝室御賞典、目黒記念、オールカマー)
・【セントライト】(12戦9勝:日本初のクラシック三冠馬)
・【アルバイト/クリヒカリ】(皐月賞、帝室御賞典)
・【トサミドリ】(戦後初のJRA顕彰馬:皐月賞・菊花賞)

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【セントライト】は、今ほど浸透していなかった時代ながら、1930年代に整備されたばかりの「クラシック競走」のうち牡馬三冠を初めて制した実績。戦後すぐに「セントライト記念」というレースが創設されたことによって、令和の現代にもその名が伝わっています。

1950年代:トキノミノル

1950年代前半の中央競馬は、競輪や地方競馬に押されて、今では考えられない程の苦境に立たされていました。そんな中で、1954年に「国営競馬」から「日本中央競馬会」が設立されています。
1950年代後半のトピックスとしては、1956年の「中山グランプリ(翌年から有馬記念に改称)」が創設されたことが大きいと思います。

そんな時代、戦後初の『競馬ブーム』を巻き起こしたとされるのが、伝説として今なお語り継がれる国営時代の名馬【トキノミノル】です。

10戦10勝・うちレコード優勝7回という成績でクラシック二冠を制したが、東京優駿(日本ダービー)の競走17日後に破傷風で急死、「幻の馬」と称された。戦後中央競馬で10走以上した馬で、唯一全勝を記録している。

「セントライト記念」ほど有名ではないですが、この【トキノミノル】も、現在「共同通信杯」の副題(トキノミノル記念)としてレース名になっていたりもします。
ダービーの開催すら危ぶまれる国営競馬の『救世主』として、小規模ながら社会現象にまでなった【トキノミノル】は、戦前の名馬達とは一線を画した存在であり、1950年代を代表する1頭として選ばせてもらいました。

1960年代:シンザン

戦後初の三冠馬【シンザン】は、1964年に三冠馬、65年には史上初の五冠馬となり、生涯成績も19戦15勝2着4回と連対率100%で現役引退しました。

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『シンザンを超えろ』というフレーズが、高度経済成長後の日本競馬の標語であるかのように捉えられるほどに、ほぼ完璧な存在として【シンザン】は君臨しました。 競馬が少しずつ広がりを見せはじめる時代の中において、王道を歩みきった【シンザン】こそが60年代を代表する1頭だと思います。

1970年代:ハイセイコー

この馬よりも「強い」馬は他にも居たと思います。特に、当時のレース体系においてビッグレースとされた長距離では苦戦を強いられました。
しかし、第一次競馬ブームの火付け役として、中距離を中心に圧倒的な強さを誇り、敗れてなお人気を増した【ハイセイコー】を、1970年代を代表する1頭に選出したいと思います。

ハイセイコーは、……1970年代の日本で社会現象と呼ばれるほどの人気を集めた国民的アイドルホースで、第一次競馬ブームの立役者となった。
ハイセイコーが巻き起こしたブームは日本の競馬がギャンブルからレジャーに転じ、健全な娯楽として認知されるきっかけのひとつになったと評価されている。1984年、「競馬の大衆人気化への大きな貢献」が評価され、顕彰馬に選出された。

以前に比べれば、人気実力ともに落ち着いていた地方競馬の中でも、好調を保ち続けていた南関東の公営競馬。(東京)大井競馬場でデビューし、楽勝続きで無傷の6連勝を達成した【ハイセイコー】は、明けて1973年中央移籍。そこでも皐月賞、NHK盃まで「デビュー以来無傷の10連勝」を達成します。

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数々の記録に並ぶと期待・注目された日本ダービーで3着と初黒星を喫し、秋の菊花賞でもハナ差2着と敗れるなど2400m以上では一度も勝てず、同年代のライバル【タケホープ】に後塵を拝する結果となりました。

当時のレース体系においては、古馬の出走できる八大競走は全て2400m以上で、天皇賞は春・秋とも3200mという長距離を重視する風潮が根強い時代。

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ハイセイコーは、1800mの中山記念を大差勝ち、2200mの宝塚記念も5馬身レコード勝ちを収めるなど中距離で目覚ましい活躍を見せますが、天皇賞や有馬記念では期待をされるも優勝することは出来ませんでした。

勝っても負けても大きな注目と話題を呼び、『さらばハイセイコー』というレコードがヒットしたほか、引退式に多くのファンが詰めかけるなど、所謂『競馬ブーム』を牽引。「競馬の大衆人気化への大きな貢献」においては、計り知れない功績を残しました。

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ちなみに、1970年代には、他にも、メインストリームからは外れるものの、圧倒的な強さで8戦無敗のまま引退した【マルゼンスキー】などが居ます。

1980年代:シンボリルドルフ

ここまで戦後唯一の三冠馬だった【シンザン】を最大目標としてきた昭和の後半の日本競馬界。約20年の時を経て、1983年の【ミスターシービー】が、19年ぶり史上3頭目のクラシック三冠を達成し、大きな人気を集めます。

そしてその翌年、更なる快挙として史上初となる「無敗での三冠馬」が誕生します。“皇帝”と讃えられた【シンボリルドルフ】です。

デビュー以来、同世代との対戦では無傷8戦全勝で史上4頭目2年連続の「三冠馬」に輝いた【シンボリルドルフ】は、当時の日程では参戦が厳しいと思われていた第4回ジャパンカップに、中1週で出走します。

競馬の国際化を目指した1980年代の日本競馬、1981年に創設された国際招待競走の「ジャパンカップ」は、国内最高賞金額を誇る競走とされましたが、第1回は4着まで上位全てを外国馬が、第2・3回も海外勢に優勝されて、海外の準一流クラスでも日本の一流馬は太刀打ちできないことが明らかに。

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2頭の三冠馬を擁する日本勢、初優勝を目指してスタートの幕が落とされた第4回。日本勢初優勝とはなりましたが、三冠馬は共に敗れ、シンボリルドルフは生涯初黒星となる3着。10番人気の【カツラギエース】が逃げ切るという想定とは異なる形での海外勢撃破となりました。

古馬となった【シンボリルドルフ】は、第5回ジャパンカップで昨年のリベンジを果たす優勝を果たすと、年末の有馬記念の実況で『世界のルドルフ、やはり強い!3馬身、4馬身、日本のミホシンザンを離す』と讃えられるなど国内敵なしと評される圧倒的な強さの印象を残します。

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その翌年、アメリカのサンルイレイHで海外初挑戦するも、故障を発生し、現役を引退。日本馬による海外G1制覇の夢は、80年代、叶いませんでした。

そして、80年代には、「グレード制の導入」「中長距離以外の路線の拡充」などが進められ、各路線のスペシャリストが誕生することともなりました。例えば、短距離路線の「ニホンピロウイナー」や1986年に史上初の牝馬三冠を達成した「メジロラモーヌ」などが有名かと思います。

1990年代:オグリキャップ

1987年5月に岐阜県の地方競馬・笠松競馬場でデビュー。8連勝、重賞5勝を含む12戦10勝を記録した後、1988年1月に中央競馬へ移籍し、重賞12勝(うちGI4勝)を記録した。
中央競馬時代はスーパークリーク、イナリワンの二頭とともに「平成三強」と総称され、自身と武豊の活躍を中心として起こった第二次競馬ブーム期において、第一次競馬ブームの立役者とされるハイセイコーに比肩するとも評される高い人気を得た。 1988年度のJRA賞最優秀4歳牡馬、1990年度のJRA賞最優秀5歳以上牡馬および年度代表馬。
1991年、JRA顕彰馬に選出。愛称は「オグリ」、「芦毛の怪物」など多数。

【オグリキャップ】は、1980年代に活躍し、1990年代においては、2勝しかしていません。実際、80年代の馬という見方も強いかと思いますが、第二次競馬ブームを最高潮に高めた存在であり、その後の1990年代の隆盛に繋げる有馬記念での奇跡の復活の印象が極めて強いことから、ここで紹介します。

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1990年代は、1980年代の目標が実を結び始めた時代であり、「地方交流」「サンデーサイレンス旋風」「ナリタブライアンの三冠」「海外G1制覇」など華やかな時代となりました。

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特に【ナリタブライアン】の方が、1990年代を代表する1頭に相応しいとの見解の方も多いかと思いますが、今回は、その華やかな時代を築いた功績を高く評価して、【オグリキャップ】を取り上げさせてもらいました。

2000年代:ディープインパクト

2000年代と区切ると、2000年が含まれることで【テイエムオペラオー】が、この時代に活躍することとなった訳ですが、やはりここは、2000年代唯一の三冠馬【ディープインパクト】を1頭に選ぶべきでしょう!

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2005年に日本競馬史上6頭目の中央競馬クラシック三冠(無敗での達成は1984年のシンボリルドルフに次いで2頭目)を達成、2006年には日本調教馬としては初めて芝部門・長距離部門で世界ランキング1位となった。

【シンボリルドルフ】以来、無敗での三冠を達成。1999年に2着と惜敗して日本競馬の悲願まであと一歩となった「凱旋門賞」制覇の期待が掛かる中、3位入線のち失格となるなど、様々なエピソードも語り草となっています。

国内での敗戦は3歳時の有馬記念での2着だけ、生涯成績14戦12勝と、ほぼ完璧な成績で現役生活を終える『日本近代競馬の結晶』でした。

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【ディープインパクト】は、平成の大種牡馬・サンデーサイレンスの後継者として馬産界から大きな期待を集め、その期待にしっかりと応える活躍を、2010年代以降見せつけることとなります。
その産駒達の活躍ぶりから、2012年から連続で「リーディングサイアー」(最優秀種牡馬)を獲得しています。例えば、

・2009:ジェンティルドンナ、ディープブリランテ
・2010:キズナ
・2011:ショウナンパンドラ、エイシンヒカリ
・2012:ミッキークイーン、リアルスティール
・2013:サトノダイヤモンド、ヴィブロス、マカヒキ
・2014:アルアイン
・2015:フィエールマン、ワグネリアン
・2016:ロジャーバローズ、グランアレグリア
・2017:コントレイル

など国内外を問わず活躍する産駒が次々と誕生しています。更に、これまでの日本産種牡馬としては考えられないほどに、日本国外調教馬でも活躍馬が誕生していて、

・英2000ギニー:サクソンウォリアー
・仏ダービー:スタディオブマン
・仏オークス:ファンシーブルー
・仏1000ギニー:ビューティーパーラー

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などは、日本競馬が手本としてきた(本家)ヨーロッパのクラシックレースを制覇する馬を次々と輩出しています。
(きっと、失格にはなったものの3位入線だった「凱旋門賞」での活躍ぶりが、ヨーロッパでも高く評価された結果なのだと思います。)

2007年には、戦後初の牝馬による日本ダービー制覇を果たした「ウオッカ」が注目されましたが、それに加えて、日本競馬が、「国際パートⅠ」というカテゴリーに認定される等様々な環境が国際化の道を進むことになります。

2010年代:オルフェーヴル

2010年代の年度代表馬のうち、10頭中5頭が牝馬という時代でした。

・2010年:ブエナビスタ
・2012・14年:ジェンティルドンナ
・2018年:アーモンドアイ
・2019年:リスグラシュー

1954年の啓衆社賞時代からの50年間でたった2頭しか誕生しなかった牝馬の年度代表馬。2008・09年のウオッカを加えると、平成20年以降では、牝馬の方がむしろ牡馬よりも頻度で上回っているという状況になっています。

しかし、牡馬も決して引けを取りません。2013年のロードカナロアと2015年のモーリスは、短距離~マイル路線で活躍し、香港でのG1も制覇する活躍。2016・17年のキタサンブラックは獲得賞金の国内記録を久々に更新し、JRA顕彰馬にも選出されています。

但し、史上7頭目の三冠馬【オルフェーヴル】を忘れることは出来ません。

2011年に史上7頭目となる牡馬クラシック三冠を制し、……2012年・2013年にはフランスの凱旋門賞に出走し、敗れはしたものの2年連続で2着と好走。日本馬として初めて「ロンジンワールドベストレースホース」を受賞し、2015年9月14日、31頭目のJRA顕彰馬に選定された。

上で紹介した馬たちも、海外挑戦で制したのは、比較的日本馬が得意とする国・レースが中心でしたが、【オルフェーヴル】は日本馬最大の壁とされる「凱旋門賞」2年連続2着という史上初の快挙を成し遂げています。事実、同馬以降、日本馬が5着以内に入ることも叶っていないことを今考えれば、どれだけの偉業であったかを冷静に分析することが出来るはずです。

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2011年3月に【ヴィクトワールピサ】がドバイワールドカップを制覇して、同じく2010年代の前半には凱旋門賞2着を3度記録しました。ドバイや香港などでは日本馬が堂々と人気に応えるレースを見せることも珍しくは無くなった時代が確かにありました。

【おわりに】

2020年代は、「COVID-19(新型コロナウイルス)」の感染爆発に始まり、世界のビッグレースが相次いで中止や延期となりました。そうした中でも、海外遠征を予定していた日本馬が国内のレースを使い、無観客開催ながら、多くの競馬ファンを楽しませる戦いが繰り広げられました。

2020年の春競馬では、早速、【コントレイル】が無敗でのクラシック2冠を達成するなど、早くも「2020年代の1頭」に選ばれるかも知れない馬たちが続々と名乗りを上げている状況です。
果たしてこの続きとして次の10年間からはどんな馬が歴史に名を刻んでいくのでしょうか。こうした長い競馬の歴史の中の1ページとして、これからの競馬を見ていくのも楽しいのではないでしょうか?

ではまた、次の記事でお会いしましょう、Rxでした。

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