「競馬の歴史」を学ぶ ~ハナ差の日本ダービー 編~

【はじめに】
この記事では、2021年(第88回)にも起きている「ハナ差の日本ダービー」について纏めていきたいと思います。

(1)1940年:イエリユウ-ミナミ

日本ダービーこと「東京優駿」が創設されたのは1932年。創設から4回は、勝ち馬が4馬身などの差をつけたり、3着以下に大差が付いたりと、あまり接戦となることはありませんでした。

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初めて接戦らしい接戦となったのが、第5回(1936年)で、牡馬・トクマサが牝馬・ピアスアロートマスを「アタマ差」制したレースです。

そして第9回の1940年、戦前唯一の「ハナ差の日本ダービー」が起きます。クラシック路線が整備された直後で、ウアルドマイン、テツザクラ、エステイツ、ルーネラなどが人気となる中、ハナ差の接戦を演じたのは、4番人気の「イエリユウ」と9番人気の「ミナミ」でした。

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僅差で2度2着と敗れていた「イエリユウ」は、本番のダービーでハナ差の勝利でした。全兄のタエヤマがスゲヌマのクビ差2着と敗れていただけに、この勝利はドラマチックだったことと思います。

ちなみに、このイエリユウは、菊花賞をテツザクラの4着と敗れた後、晩秋の小倉開催でテツザクラと再戦し優勝戦でリベンジを果たしますが、その後に急性脳膜炎を発症、翌月(1941年1月)に死亡しています。

(2)1958年:ダイゴホマレ-カツラシユウホウ

1940年代には、馬の実力差が歴然としたレースでは大差が付く一方で、3度1馬身以内の接戦が起きており、全てのレースがドラマチックでした。

1942年:ミナミホマレ クビ アルバイト
1947年:マツミドリ アタマ トキツカゼ
1949年:タチカゼ  1/2 シラオキ

そして、1958年の第25回の日本ダービーで、イエリユウ以来18年ぶり戦後初の「ハナ差の日本ダービー」が起きます。

1番人気の「カツラシユウホウ」は、朝日杯3歳Sを勝った現2歳王者で、皐月賞・NHK杯と連続2着ながら、デビューから12戦して連対率は100%。

対する2番人気の「ダイゴホマレ」は、地方南関でデビューし、現2歳時は無傷の8連勝で「全日本3歳優駿」を制覇。中央緒戦のオープン戦を2着、皐月賞を3着と敗れた以外は全て勝ち、14戦12勝、複勝率が100%でした。

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ダイゴホマレがカツラシユウホウをハナ差下してダービー馬となりました。

振り返ると、ダイゴホマレの父親・ミナミホマレは、16年前にクビ差でダービーを制しており、父譲りの勝負強さでゴールデンウエーブに続く、父・子ダービー制覇を達成することとなったのです。

一方、カツラシユウホウは、皐月賞、ダービー、そして菊花賞でも2着となり、日本競馬史上に残る(珍)記録「中央競馬クラシック三冠オール2着」馬として現代にも名が残っています。
(なお、生涯成績は25戦13勝2着11回で、連対率96%という実力馬です~)

(3)1961年:ハクシヨウ-メジロオー

そして、1960年代に入ると、2分30秒台でのレコード決着が続き、1961年の第28回・日本ダービーでは、3年ぶりのハナ差決着となりました。

1番人気は、現2歳時にデビュー6連勝で朝日杯3歳Sを制するも、慢性的な脚部不安から皐月賞11着→NHK杯4着と連敗をしていた「ハクシヨウ」。

直線で先頭に立っていたチトセホープ(連闘で挑んだオークス馬)を捉え、ダービー馬になったかと思われましたが! 大外から、32頭立ての32番枠、自己条件上がりのメジロオーが急襲。長い写真判定のハナ差となります。

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俗に、「髪の毛1本分」の差と言われた同レースを制したのは、1番人気のハクシヨウ。2着とはなったものの、メジロオーは32頭立ての23番人気で、複勝は2,580円の高配当という大波乱でした。

(4)1974年:コーネルランサー-インターグッド

1973年、ハイセイコーが3着と敗れ、タケホープが優勝した第40回ダービーの翌年(1974年)、史上4例目の「ハナ差の日本ダービー」が起きます。

デビュー7連勝で無敗の皐月賞馬となった「キタノカチドキ」が23頭立ての19番枠に入るも1番人気。3年連続のレコード決着となった第41回は……

内で伸びあぐねるキタノカチドキは3着と死守するので精一杯。直線では、皐月賞に出走できずオープンを勝ったばかりの6番人気・インターグッドが一旦先頭に立つも、内から皐月賞2着馬のコーネルランサーが差し返して、ハナ差の勝利。

ちなみにコーネルランサーは秋に脚部不安を発症しダービーを最後に引退。種牡馬となった後、1984年に当時の韓国大統領に寄贈され、「大統領の馬」として厚遇を受けたのだそうです。

(5)1979年:カツラノハイセイコ-リンドプルバン

父ハイセイコーが3着と初黒星を喫した日本ダービーの舞台で、息子であるカツラノハイセイコが、皐月賞2着からの巻き返しを期待されて1番人気に支持されました。

父の雪辱を果たすべく、内ラチぴったりの先行策で逃げ粘りを図るカツラノハイセイコに迫ったのが、初勝利に13戦を要し、前月に条件戦を勝ったばかりの8番人気の伏兵・リンドプルバンでした。

直線で斜行馬による進路妨害などもある中、カツラノハイセイコにリンドプルバンが迫って、1・2着の写真判定は約10分に及ぶものとなりましたが、カツラノハイセイコが勝利し、父の無念を晴らすダービー制覇として大きな話題となりました。

(6)1981年:カツトップエース-サンエイソロン

1980年のオペックホース、モンテプリンスもクビ差の接戦でしたが、1981年にも「ハナ差の日本ダービー」が起きます。

1949年にダービーを2着だったシラオキの4代子の「サンエイソロン」は、皐月賞を出走取消となるも、NHK杯で皐月賞を16番人気で逃げ切った「カツトップエース」に勝ち、ダービーでは1番人気に支持されます。

一方、皐月賞馬の「カツトップエース」は3番人気に甘んじますが、自分のレースに徹し、サンエイソロン以下の猛追を退けました。

ハナ差とはいえ、20センチと言われる着差であったこともあり、目視で判断する声もある程。カツトップエースが春2冠を達成しますが、秋前に屈腱炎を発症し、ダービーを最後に引退しています。

(7)2000年:アグネスフライト-エアシャカール

競馬の国際化から競馬ブームの加熱する1980~90年代は、接戦が意外と少なく、比較的はっきりとした差を付けてのダービーが多い時代でした。

勿論、1996年にフサイチコンコルドがダンスインザダークをクビ差退けるといったレースもありましたし、1999年には、ナリタトップロード、アドマイヤベガ、テイエムオペラオーの3強が単勝4倍前後で人気を分け合うようにクビ差の接戦を演じたこともありましたが、「ハナ差の日本ダービー」は、2000年まで待つことになります。

皐月賞の1・2着馬がそのまま1・2番人気に。1番人気のエアシャカールが2冠を目指す中、母子3代でのクラシック制覇を目指す良血の3番人気・アグネスフライトと河内洋が、ダービー制覇の夢を賭けて猛追します。

『河内の夢か、豊の意地か、どっちだー!』という甲高い実況にも象徴的なこのレースが、20世紀最後に平成初の『ハナ差の日本ダービー』でした。

結局、河内洋ジョッキーが悲願のダービー初制覇を飾り、アグネスフライトは親子3代でのクラシック制覇を達成。
一方、エアシャカールは、皐月賞・菊花賞の2冠馬となるも、日本ダービーをハナ差の2着と敗れて3冠馬とはなれず、『準三冠馬』と形容される存在として、語られることとなりました。

(8)2012年:ディープブリランテ-フェノーメノ

皐月賞1・2着馬(ゴールドシップ、ワールドエース)が掲示板には載ったものの5・4着と敗れた2012年の『日本ダービー』は、皐月賞で3着と敗れたディープブリランテと、青葉賞を制しダービーに駒を進めたフェノーメノという2頭の争いとなります。

内で粘り込みを図るディープブリランテを、外からフェノーメノから追い、内外離れてのハナ差決着に。

ディープブリランテは、東京スポーツ杯2歳Sを勝利後、重賞で連続2着、皐月賞も3着でダービーでは3番人気、フェノーメノも5番人気でしたが、日本ダービーの舞台では、あのゴールドシップに0.2秒の差を付けています。

結局、ダービー後に「キングジョージ」に挑戦して10頭立ての8着と敗れたディープブリランテは、菊花賞直前に屈腱炎が判明、その次の週には現役を引退しましたが、国内複勝率100%(6戦3勝)の実績と共に、今は産駒が頑張っています。

(9)2016年:マカヒキ-サトノダイヤモンド

皐月賞馬ディーマジェスティが1番人気となった2016年の『日本ダービー』は、皐月賞でデビュー以来の3連勝を止められた2頭が雪辱を賭けてハナ差の死闘を演じます。

外の川田将雅ジョッキーと内のルメールジョッキーが、レース直後に握手をして讃える接戦は、ハナ差ながら内のマカヒキが体勢有利に見え、結局は、マカヒキが勝っていました。

その後、マカヒキはニエル賞を勝って凱旋門賞に挑戦するも16頭立ての14着と大敗し、その後は(2021年春時点で)未勝利。
サトノダイヤモンドは、3歳時に菊花賞と有馬記念を制して「最優秀3歳牡馬」に輝きますが、その後はG2を2勝するもG1は勝てず現役を引退しています。

(10)2021年:シャフリヤール-エフフォーリア

4戦全勝で皐月賞を圧勝、断然の1番人気となった「エフフォーリア」は、横山武史ジョッキーによる戦後最年少ダービー制覇の期待も集まりました。

また、2番人気には桜花賞2着の牝馬・サトノレイナスが推され、その他の牡馬は単勝10倍以上という評価に。

日本ダービーとしては非常に珍しいフルゲート割れの第88回(2021年)は、直線半ばで先頭に立ったエフフォーリアが、無敗で2冠達成したかと思った瞬間、内から毎日杯を制したシャフリヤールが鬼脚を見せ、ハナ差勝負に。

勝ちタイムは2分22秒5とダービーレコードではあるものの、土日の高速馬場と、前半1000m:60秒3というスローペースから究極の上がり勝負となり、ラスト3ハロンを33.4秒で纏めた3頭により決着。

エフフォーリアの内に進路を取り直した福永祐一騎手のシャフリヤールが、ハナ差捉えきっての先頭ゴールとなり、史上10例目の「ハナ差のダービー」決着となりました。


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