第二編 短編小説『キタイダイ』
「君が好き…愛してる…違う、そうじゃない!そうじゃないんだってばぁ!!!」
慟哭の如き絶望に満ちた叫びがリビングの中を反響した。
「なんで恋もしたことないのに、恋愛小説なんか書いちゃったの?」(夏川椎菜『初恋のシャンプー』〈小説"ぬけがら"収録〉より)
推しに煽られるとはこの事か。独り部屋の中で歌っているだけでは意味がないと、早速最寄りで路上ライブでもやってやろうじゃないかと新曲を作る…心意気だけは十分だった。
結果は残酷すぎる程に着いてこない。とりあえず王道の恋愛ソングでも作ってやろうと思って作詞を始めた顛末がこれである。全くもって恋愛の叙情を表すに適切な、機知に富んだ表現が浮かばない。作曲のためにと学んだコード理論の本は途中からちんぷんかんぷんで、ギターを練習しすぎて指の皮が剥けた痛みが染みる。
完全なる満身創痍である。志豊かに努力を惜しまない姿勢を見せても、才気の欠落とは現実の如何に残酷たることか。慨嘆の念を叫ぼうと試みた僕は、かつて幸せの青い鳥だったそのシンボルを指でタップして一言
「(*>△<)<ナンナーンっっ」
と呟いた。フォロワーの皆よ、笑うなら笑えの気分である。今は俗物的な横文字で黒塗りされ、猥雑と化したアイコンが僕の心の傷を更に抉った。
今考えるとジャイアンという生き物は相当に楽な歌手人生を幼少期に味わったのだろう。特に奮励努力することなく聴衆を集め、自身の歌唱力にも満足感を抱き、人前で歌うという職業で歌手でも目指さないと容易でない目標をいとも簡単に達成していた訳である。
「そう言えばあの巨人、何を歌ってたんだっけ。」
とふと歌詞を追い返してみると、自分がガキ大将だとか天下無敵だとか、大人になってから振り返ったら大恥かくに違いない内容を熱唱している。流石に何も学ぶものも何もない…と思ったのだが、ハッとした。
「何やってんだよ…ほんと…」
幼少のジャイアンには確かに自分に表現したいものがあった。みんなに伝えたいことがあったのである。確かに独善的な内容かもしれないが、それを周囲を取り巻く人々に自由な形でアピールするという行為は、確かに自分の心に忠実なものだった。
それに対して自分はというと、"一番ポピュラーだから"というだけの理由で恋愛詩を書こうと足掻いている。砕け散って当然だったという訳だ。そこに自分が今小さな羽を振りかざしたヒヨコとして表現したいものがある訳じゃない。
僕はマジックペンで歌詞を綴ったノートに大きくバツ印を付けて、その上から"The Chick" a.k.a. The Hopeless Idiot.("救いようのないバカ"として知られる"あのヒヨコ")と書き殴って次の白紙のページを勢いよく開いた。
"悔しい""何もできない""情けない""愚かでもいい""それでも何か叫びたい"
次々に自分の奥底から湧き上がってくる感情を叩き付けるように書き続けた。
"止まらない涙はどんな味 複雑じゃない衝動なんかないからさ 自分だけが理解できりゃいい 答えはいつも用意されてんだ"(夏川椎菜『キタイダイ』より)
そうやって一日中、自分の感情に任せて点と点を線で結んでいった。相変わらず思い浮かぶ内容が稚拙なのは置いておいて、自分が何がやりたいのか少しずつ見えてきた気がする。確かにまだ曲に出来ている訳じゃなくて、何も進んでいないという人もいるのかもしれない。だけど。
"つまんない今日を1日 ボヤけたまま過ごして 退屈な日だって言えるの 期待大 両手を溢れた行き場のない感傷から ブツけ始めりゃいいんだよ"(夏川椎菜『キタイダイ』よひ再び)
16ビートでギターを叩き込むように刻んで弾いてみたり、そこに仮歌のようなものを載せてみたり、形にならない努力なのかもしれないけど、今度は自分の歩んだ今日一日を推しに褒めてもらった気がした。
今日はこの辺りで、とギターをスタンドに戻して夕飯を食べて一時のリラックスの時間を味わう。脳が白紙の状態でも、本当に何もなかった時とは違う充実感がある。
そうやって過ごしていくに連れて、また別の感傷が生まれてきた。時計の秒針が少しずつ進んでいき、徐々に夜が更けて行く。感情の起伏が大きかった一日なだけに、想い出を振り返るだけで更に心が揺り動かされる。
ソファーに座りながら右上に目を向けると、カウンターの上に二人の人物が写っている写真が小さな額縁のスタンドに入れて飾ってあるのが見えた。時計の針はとうとう真夜中の鐘を打った。その額縁の上にある壁掛けのカレンダーの今日の日付けに"じぃじの命日"と書いてあった。(続編 短編小説『フワリ、コロリ、カラン、コロン』に続く)