ディオスクロイと双子座の関係性についての考察(7/27再修正)
(7/27)前提内容の誤り(「双子の星の神」であり「双子座の神」ではない)と新しい文献の追加(古典期の「星」とする文献の追加)に伴い、タイトル・結論を含めて大幅な修正をいたしました。(前半部の星座の推移については変更しておりません)
閲覧していただいた皆様に対して混乱させてしまい、ご迷惑をおかけいたしました。この場をお借りしてお詫び申し上げます。
* * * *
おお、ムーサよ。私は語ろう。
天に輝ける双星、黄金の翼を以て海原を駆けるレーダーとゼウスの子、ディオスクロイの二人のことを。
…などと格好つけて言ってみましたが、単なる素人の戯言にはなりますが、ディオスクロイの起源についていくつか調査をした結果をここに吐き出していければと思います。
といっても別に学術的に何かがしたいわけではなく、できるとも思っておらず、スマートフォンゲーム『Fate Grand Order』に登場するディオスクロイの双子のイメージをより掴みたくてやっていることです。
主に兄と妹を遠くから眺めて入れればよいという信者なのですが、やっぱり推しのことは深く知りたいという心情が働き、いつの間にやらこんなことを始めてしまいました。
※いや、素晴らしいですよね。まずはなんと言ってもギリシャとスタイリッシュの融合したデザイン!そしてストーリー内では完全なヒール役に徹し、召喚時は最悪の関係なのに徐々ににじみ出るあの…とまあ、語れば長いので割愛しますが。
全体像としては他にも色々調べ回っているところですが、どうにも星座関係の話が宙に浮いてしまう感じになってしまったので、アップロードテストも兼ねてこちらにまとめました。
(他の調査については別途提示したい)
私にとって彼らの背景は割と謎でした。
本投稿は、私のように、そもそもディオスクロイってなんなの?双子座と関係していると言うけどどこまでの関係なのよ(というか双子座の英雄と呼ばれたり双子座に堕した双神を名乗ったりとムラが激しい)っていうのがいまいちわからなかった同志向けとなっております。何かの妄想の材料にでもなれば幸いです。
(もっとも今回の内容はどっちかと言うと鎮火剤になってしまうやもしれぬが、嘘もかけないので…。挽回はしたい)
引用した内容を普通の黒字で、私なりの推測の部分を太字で表記しております。これは主張したい内容ではなく、正確な情報源の区分のためです。
本当は太字どころか薄字で対応したいレベルなのですが、色を変えるとか下線を引くとかうまくできなかったので、一旦太字にしています。
ちなみに後半は太字まみれになりますので、ああなにかもう言を言っている人がいるんだなくらいに思っていただければと思います。
また特に理由のない限り「カストロ(カストール)」と「ポルクス(ポリュデウケス、ポルックス)」の両名を呼ぶときは「ディオスクロイ」という呼称で統一しました。
他の要素についても可能な限りFateでの表記に合わせることにしました。
そして素人調査のため実に的はずれな事項も多々あると思うので、そのあたりはご容赦いただければということと同時に、恥ずかしながら明らかな誤りがあれば、引用元の文献を示していただければ調査いたします。
ではお目汚しではございますが、はるか古代ギリシャに妄想の翼を広げながら、ご一緒させていただければと思います。
はじめに:「双子座」ディオスクロイの起源を求めて
さて、大まかなギリシャの星座の話とディオスクロイの話をしてみよう。
まず双子座とディオスクロイの関係について。
ギリシャ神話や過去の旅行記などを調べてわかってきたのだが、実は最初期(アルカイック期:紀元前8世紀頃)の伝説や讃歌には、「ディオスクロイ」とその象徴である「双子座」との関連性はあまり強く現れていない。
殆どが「スパルタの双子の若い英雄」「ヘレネの救い手」もしくは彼ら最大の特徴である「船乗りの守護者」としての登場の仕方となっている。
もっとも、時代をある程度下ればそうした描写もゼロではない。
例えば紀元前5世紀のピンダロスなどは、確認できた限り「死後天に登った」と最初に残した人物である。(『ネメアの祝勝歌10』など)
更に時代を下るごとに描写は増えていく。
偽エラトステネスの『カタステリスモイ』(紀元前3世紀以降成立)やヒュギヌスの『アストロノミカ』(紀元2世紀)には明らかな双子座との関係が書かれるし、シケリアのディオドロス (紀元1世紀)が語ったところによると、アルゴノーツとの伝説において”二人が祈りを捧げると天に2つの星が現れて嵐を運び去る”というようなシーンがあったそうである。(後述)
一方で、ギリシャ神話をたどるとオリオンやアスクレピオスなどのように、他の英雄についても死して星になったという話は少なくない。
ディオスクロイは古来より特筆して語られた星座の英雄だったのだろうか。それとも他の星座の英雄たちのうちの一人が単にディオスクロイだったのだろうか。
そして、それはいつ頃から?
これについて、ディオスクロイ以外の英雄の死と、双子座以外のギリシャ星座の起源も併記しながら、ディオスクロイと双子座の関係について迫っていければと思う。
では、そもそもディオスクロイが双子座として成立する経緯はどのようなものであったのか。まずはその背景と関連する文献を順に追っていきたい。
ギリシャの星座の起源:ギリシャ星座はバビロニアから来たか
最初にざっとギリシャに現在の星座ができるまでの話をしてみたい。
ギリシャ人はよく星座の祖のように扱われているが、実際のところ彼らの星座の多くは借用であり、ギリシャの星座のもともとの発祥はバビロニアであるというのが現在の主流の見方である。
Fateや聖書などにも登場する「カルデア」という組織についても、元来は近東で星を読んでいたという「カルディアの羊飼い」伝説から派生したものと考えられ、古くから非常に星と縁の深い地域として知られていた。
なぜ、ギリシャの星座がバビロニアからやってきたと言い切れるのか。
または、どのようなルートを通ってやってきたのか。
実際のところ、経由したルートについては残念ながら明確な答えは出ていない。
ギリシャにおける最初期の星座は、紀元前8世紀の『イーリアス』『オデュッセイア』『労働と日々』『天文学』(断片のみ)といったアルカイック期の作品に現れている。
しかし、その前の時代については、ギリシャ人は文字を残していないためこれ以前の文献は存在せず、ギリシャに至るまでのルートは謎のままである。
ただし、これがバビロニアなどの諸外国と関連していることは、例えば『イーリアス』における下記のシーンなどから読み取ることができる。
プレーイアデス、フィアーデス、更に堂々のオーリオーン、
更に車輪の異名呼ぶ大熊星の座ぞ高き、
『イーリアス』(第十八歌 485 :青空文庫)
北斗七星は古来より天の観測の基準となる重要な星の並びであったため、多くの文明に知られている。
しかし、ギリシャではおおぐま座とされているが、バビロニアにおける星座などにおいては「車輪(ワゴン/ウェイン)」と呼び習わされており、英訳などでは「Wagon」等と記載されている。
つまりホメロスや当時のギリシャの人々は、この段階でいくつかの重要な星の並びや星座については彼ら独自の作成をしており、一方で更に諸外国で言い習わされている別の形式の星座(ワゴン)についても認識していたことになる。※1
また実際に、ホメロス以前にバビロニアとの交流があったことを示す考古学上の発見がなされており、例えばユーピア島におけるレフカンディ遺跡は、ホメロスの叙事詩よりも200年近く古いもので、文献がなく世相が混乱していた時代の遺跡であるが、バビロニアからの首を飾る装飾品などの高級品が見つかっている。※2
また、ギリシャ人は山間の地域に住み、農耕地が少なかったことから、初期から小アジアに入植していた。この地はペルシャとの国境であり、ペルシャ戦争もこの地域とのいざこざが開戦の契機となっている。ペルシャ人もまたバビロニアからの星座を用いており、そうした痕跡も残されている。※3
つまり、ギリシャ人はどの程度かまでは不明にしても、近東エリアへの文化的な交流を持っており、彼らの星座についても認識していたことがわかるのである。※4
更にヘレニズム期になると、ギリシャで星座表が盛んに作られるようになる。アラトゥスの『フェノメナ』(紀元前4世紀頃?:エウドクソスのコピー本)などを見れば、「立った男」(ヘラクレス座)などバビロニア由来の星座がそのまま掲載されている。
* * *
その一方で、アルカイック期(紀元前8世紀頃~)にバビロニア星座がどの程度の数が入ってきていたか、確実なことはわかっていない。
この時代の天文書にはヘシオドスの『天文学』が知られているが、これは現在は散逸して残っていないため、ヘシオドスがいた当時、具体的にどのような星座があり、どのような広がりを見せていたかまでは正しくわからないのである。
ただし、おそらく限定的だったことは確かだろう。
紀元前3世紀以降に成立した『カタステリスモイ』においては、ヘシオドスらを含め先人の文献を多数引用して内容を説明している。
だが他の文献についての引用も同書では行われる中で、この中でヘシオドスについて書かれた数は限られる。
おそらく「最初から多くは書かれていなかったか、散逸してヘレニズム期には忘れ去られていた」というのが正しいだろう。
その後『フェノメナ』までは体系だって語られる星座の数は少ない。
余談だが、紀元前5~4世紀頃を急速に星座が増えていくのには、ピタゴラス派による「地球球体説」が紀元前5世紀に定説になったからではないかという話もある。(Walter 1962)※5
エジプトなどとギリシャとで見える星座が異なることは、おそらく当時から星を読んで海を渡る船乗りたちも知っていたことだろうが、「地球球体説」が理解されたのは、こうした観測が蓄積された背景かららしい。(※ただし読んだのがどこだったか忘れてしまい、話半分に聞いてもらえるとありがたいです)
何れにせよ、地球の形を知るために星の動きは重要になった。
その後メノンとエウクテモン(紀元前430年頃)による「星のカレンダー(パラペグマ)」が作られている。
またこのWalterの文献では、紀元前5世紀以前はハデス(地の底)こそが無限の領域を持ち死後の国とされ重要視されていたが、地球が球体になったことにより地下の世界が有限に変わってしまったことから、逆に無限である天への興味が増したのではないか、ということも記載されており、興味深い意見だと感じた。
さて、ピタゴラス派の研究やエウクテモンによる星座カレンダーが現れたあと、ようやくギリシャ最古の星座表として知られる『フェノメナ』が登場する。
こちらの書物は、天の動きを非常に細かく記載しており、その中でギリシャ星座としては初めて「双子」と呼び習わされた星座が登場する。
そして、星座と連携したギリシャの英雄たちの物語は徐々に数を増やしていき、ヘレニズム期に『カタステリスモイ』、ローマ時代にヒュギヌス『アストロノミカ』などが現れ、最終的にはプトレマイオスによって定められた星座のリストが、現在にまで伝わるトレミー星座となるのである。
上記のように、諸外国の星座とギリシャとの星の関係がわかったところで、
最初に全体の星座の流れを、その後に「双子座」との関係について推測できる限り、迫っていければと思う。
文献調査:「双子座」成立までの流れについて
①『ムル・アピン』(バビロニアの星座)
バビロニアの星座の歴史は遡ると極めて古いとされる。
特にシュメール語を借用したものも多く含まれるため、シュメール時代の伝統を色濃く残したものではないかという説もある。※3
さてそのバビロニアに残された星座表中で、『ムル・アピン』と呼ばれるものがある。現在見つかっているのは紀元前6世紀のコピーであり、詳細に描かれた星の位置関係から、その歴史は紀元前1300~1000年頃まで遡ることができるという。※6
『ムル・アピン』には多くの星座があり、先程の「ワゴン」「立った男」などもここに記載がある。
この中に「大きな双子」「小さな双子」という星座名が見受けられる。これが双子座の初出とされている。※3
ただし、『ムル・アピン』の「双子座」が関連するとされているのは、ディオスクロイではない。双子座はルガルギラとメスラムタ・エアの2神を表していたものだとされている。彼らは地下世界の番人でもあり、冥界の神ネルガルに紐付けられた。(神々のペア)
その後、「小さな双子」は「大きな双子」に吸収され、現在の「双子座」となった。
ギリシャにおける星座のキャラクター付と、バビロニアにおける星座のキャラクター付は大きく異なる場合が多い。おそらくギリシャ人は多くの星座について、形状や名前は借用しようとしたが、それに付随する物語は自分たちで組み立てようと考えたようだ。
例えば、おうし座は「天の牛」である。これはイシュタルのもつ牛を示しているが、ギリシャでは異なる。うみへび座は「蛇」と呼び習わされたが、これはギリシャではヒュドラとなった。いて座は「狩猟の神」でありパピルサグとも推定される有名な射手であったが、ギリシャでは最終的にケイローンのものとなる。
そのため、おそらくギリシャ神話とバビロニア神話における星の相関関係を厳密に捉えることにおそらく深い意味はないだろう。ただ完全に無視をすることも違う。参考した部分と参考にしていない部分があったと思うべきであろう。
『Origins of the ancient constellations』によれば、これらのバビロニア星座の起源は『ムル・アピン』以前の星座表に見られるように、最初は黄道をを中心として神自身の形や彼らのシンボルを定めるために作成されたという。特にサイズの大きい星座(おうし座やさそり座等)は季節の起点となる重要な星座ととらえられた。
その後時代が下るとともに農業従事者に時期などを知らしていくために新しい星座が追加されて、農耕の周期基づいた星座が増えていったのだろうという。
つまり前者として作られた星座には物語としての背景があるが、後者は宗教的なものを目的にしたものではなく(後ほど関連付けられたものはあるが)もともとは身近にあるものの形をもとに作られたものであるということだ。(鋤、くびきなどか)
『ムル・アピン』はこの農耕カレンダー的な意味合いが付与された後の星座表と推定されている。
黄道十二宮においても「双子座」「てんびん座」「蟹座」の成立は『ムル・アピン』を初出としており、本来は農耕周期に関連する星座である可能性が高いということになる。
また本論文では、この中で蠍などの大型の星座を含み黄道十二宮に関するものや、いくつかの関連する動物(蛇、カラス、ワシ、魚)などについてはギリシャに渡ったのだろうとしていると指摘している。
上記のように『ムル・アピン』に登場する「双子」だが、これはそれ以前の星座表には存在せず、双子座の起源はこのあたりの時期になると思われている。「双子」は最初は2つのパーツに分かれていたが、やがてひとつの星座として「双子座」となった。
もともとの成立は農業従事者に対する何らかのシンボルであったかもしれないが、やがて冥界の神であるルガルギラとメスラムタ・エアの二柱と関連付けられて、信仰されるようになった。
おおよそこのように見ることができるのではないだろうか。
この後、ホメロスの時代までにギリシャにバビロニアの星座がわたることになるが、ホメロスらのアルカイック期~古典期まではその数が少なかった。だが『フェノメナ』などのヘレニズム期には急速に数を増やしていく。
これは先述の通り、おそらくヘレニズム期前後に急激に星座に対する興味が増したことによるのだろうと推測される。
②アルカイック期の星座
さて、こうした経緯でバビロニアからギリシャに星座は渡ってきたとされる。
すでにアルカイック期にはいくつかの星座は入ってきていた。
そして、不快な嵐の海を航海する欲望があなたつかんで離さないならば。
プレアデスが強大なオリオンから逃げて、霧の深い海に突入しようとする時、ありとあらゆる強風の猛威があなたを襲うことでしょう。
あなたの船を輝きの海にこれ以上置いてはいけません。私があなたに勧めるように、土地を耕すことを考えて生きてください。
『労働と日々』(618–623)
※以降出典のない和訳については、自分で訳した内容になります。底本はリンクを貼るか、巻末に記載します。
上記は一例だが、プレアデスの星などは船乗りの指標(『オデュッセイア』)でもあり、農業を営む上で時期を知るにも有用だった(『労働と日々』)ようである。
またプラネタリウムのサイト※7を参考にしたが、この段階(ヘシオドスまで)で星座や著名な星としてあげられていたのは下記のとおりだということだ。
プレアデス、ヒアデス、おおぐま座、オリオン座、うしかい座、オリオンの星、シリウス
残念ながらこれ以前の内容は歴史の記録にはなく、これ以前の段階に双子座があったかどうかも明確な内容は出ていない。
しかし、のちに解説するように可能性は低いものと考えられる。
③古典期:エウクテモンの『星図(パラペグマ)』
さて、次にエウクテモンのパラペグマを見てみたい。エクウテモンはミノンと協力し「ミノン周期」という太陰の周期を作り上げた。
とくにエウクテモンの作ったカレンダーは後世の天文学者に愛好され、残念ながら彼のカレンダーの原型は残っていないものの、いくつかの断片が残っている。
私自身も彼のフラグメントについては完全には追えていない。
先述のサイト※7によればエウクテモンが提示したのは下記のような情報だったとのことである。
みずがめ座・わし座・おおいぬ座・かんむり座・はくちょう座・いるか座・こと座・オリオン座・ペガスス座(馬)・や座、ヒアデス、プレアデス
また、加えて言えば、おそらく当時の詩人たちの間ではペガススとは捉えられておらず、馬と呼ばれていたはずである。※3
④アラトゥスの『フェノメナ』
さて、ようやく双子座の初出について紹介できる。
調べた中では、ギリシャで双子座が紹介された最古の書物はソロイのアラトゥス(310 BC - 240BC)による『フェノメナ』である。これは元々の作者はエウドクソス(390BC〜)であり、そのコピー本となっているようだ。(一次資料はあたっていないがスコリアに記載があるとのこと)
現存するギリシャの星座表としては最古の書物でもある。
「双子座」は何度か登場するが、下記のような書かれた方をしている。
ヘリケーの頭の下には双子がいます。彼女の腰の下にはカニがいます。後ろ足の下でライオンが明るく輝いています。これが太陽の最も暑い夏の道です。
ライオンが太陽と一緒になった時、畑のとうもろこしは耳を失うようです。
『フェノメナ』(147~)
ただし残念ながらこの書物においては「双子座」は「双子」という言い回しで言及されるものの、「ディオスクロイ」とは関連して書かれていない。
一方でペルセウス座、アンドロメダなどはこの『フェノメナ』が初出とされるが、ギリシャ神話の英雄を想定された名前が予めつけられている。
また「双子」と同じく普通名詞のバビロニア星座である「乙女座」などは詳細な逸話が記載されている一方で、「へびつかい座(後のアスクレピオス)」や「ひざまずく男(後のヘラクレス)」などは逸話に言及されておらず、固有のギリシャ神話の逸話とは紐付いていないことがわかる。
⑤『カタステリスモイ』
次に『双子座=ディオスクロイ』として書かれた最古の記録を紹介しよう。新フレーバーテキストにも登場する『カタステリスモイ』である。
エラトステネスが書いたとされてきたが、実際は偽書であり、アレキサンドリアの学者たちが作り上げた作品とされている。
現存するものは『フェノメナ』に適合するように順序や内容を加工されており、実のところ、いつごろ現在のような形になったかは判明していない。
少なくともエラストテネス本人や『フェノメナ』よりは遅く、この書を引用に使ったヒュギヌスの『アストロノミカ』よりは早いはずである。(つまりは紀元前3世紀〜紀元2世紀迄)
こちらには明確に「カストロ・ポルクス」の名前が現れる。つまり、『カタステリスモイ』が双子座として明確に書かれたカストロ・ポルクスの初出と言えるだろう。
この文献は多くの星座を精力的にギリシャ神話と紐づけようとしている。
例えば先程の「ヘラクレス」「アスクレピオス」などの星座化はこの書物からである。
余談だが、その一方で「ケイローン」などは射手座の象徴とはされなかったようである。フェノメナでも言及されない為、実は「射手座」がケイローンのもののと固定されたのはかなり時代が下ってからと思われる。(ただし『カタステリスモイ』では一部よりすでにケンタウロスであるとは思われていたことが書かれているが、これが即ちケイローンであるかは不明。)
こうした内容はアレクサンドリアの学者たちにより、星座に整合性を図ろうとしたことが理由ではないかと言われており、先述の「射手座」のように一般化しなかった内容もある。
ヒュギヌスの『アストロノミカ』の伝承と整合が取れない場合があるのは、おそらくそれも一つの原因だろう。
⑥ヒュギヌス『アストロノミカ』
最後にローマ時代に書かれたヒュギヌスの『アストロノミカ』を紹介しよう。※8
双子座について。
この星座を、多くの天文学者はカストロとポルクスと呼んでいます。
彼らはすべての兄弟の中で最も愛情深く、リーダーシップをどちらが取るかで争ったり、事前の協議なしに行動したりはしなかったと言います。
ゼウスは彼らを友情の証として有名な星として空に置いたと考えられています。ポセイドンは同様に、馬に乗る力と、そして難破した男性を救うための力を与えて彼らに報いました。
彼らはヘラクレスとアポロとも呼ばれます。また先にも述べたように、一部の人々はトリプトレムスとイアシオンも、月と星に愛されたと言いました。
カストロとポルクスだと話す人々は次の情報を追加します。
ラケダイモン人がアテナイ人と戦っていたとき、アフィドネの町でカストロは殺されたのだ、という人たちがいます。またリュンケウスとイダスがスパルタを攻撃していたときに死んだと言う人もいます。
ホメロスはポルクスが彼の人生の半分を彼の兄弟に与えたので、彼らが隔日で輝くようになったと述べています。
『アストロノミカ』2.22
こちらでは、「多くの人々はこの星座をディオスクロイと呼ぶ」とある。
その一方で注意したいのが、この時点で『双子座=カストロとポルクス』とは完全にはなり切っていない点である。
他にも「ヘラクレスとアポロ」「トリプトレムスとイアシオン」などと呼ばれる場合があるとされ、定まっていない。
というように、ローマ時代に至るまで、双子座の元となったとされるペアにはいくつかのパターンがあったことを注意したい。
※ディオスクロイにまつわるエピソードが2つ紹介されている。
アフィドネの町の話は「物語⑤テセウスによるヘレネの強奪」のエピソードを参照のこと。イダスとリュンケウスについては「物語②アパレティダイとの争い」のエピソードを参照のこと。
オリオン座の物語
さて、以上のようにギリシャの星座の成り立ちと双子座の書かれた文献について紹介した。
ここで、ギリシャ最古の星座としてオリオン座を紹介したい。
オリオン座は現存するギリシャ星座の中で最古の伝承を持つものである。
ホメロス、ヘシオドスなどが言及しており、バビロニアには同型の星座はあるものの、オリオン座という名前ではない。(「天の羊飼い」と呼ばれている)
ヘシオドスらによってオリオンの死が描かれており、同時にすでに星座としてもよく知られていた。ギリシャにおいて死して星に記録されるというのが、当時の人々にとってどういうものだったかを見たい。
(地上の獣をすべて殺すとオリオンはガイアを脅した)
「そのとき、ガイアは怒り、非常に巨大なサソリを彼に向けて送りました。彼に刺されてオリオンは死んだ。その後、アルテミスとレトの祈りによって、ゼウスはオリオンの男らしさを記念して星の中に入れました、そしてサソリも同様に星となりました」
『天文学』(ヘシオドス:8thBC)
(ヘファイストスがアキレウスの盾を作るシーン)
「盾の表に鑄造るは緑の天と海洋と、
大地と倦まぬ日輪と、團々缺けぬ月輪と、
天を飾りて連れる無數の高き星宿と、
プレーイアデス、フィアーデス、更に堂々のオーリオーン、
更に車輪の異名呼ぶ大熊星の座ぞ高き、
同じ處をり行きオーリオーンを眺め見て、
オーケアノスの潮流に彼のみ漬ひたることあらず。」
『イーリアス』(ホメロス:青空文庫より)
(プリアモス王が凶兆たるおおいぬ座のシリウスを見るシーン)
「眞先に王者プリアモス其目を擧げて認め得つ、
秋としなれば大空に夜の影ぬち、衆星の
間にありて爛々の光を放つ一巨星、
オーリオーンの狗と名を人間の世に歌はれて、
光輝最も強きもの、又凶變の徴しるしとて、
激しき熱を不幸なる人類中に運ぶもの、
その星のごと驅け來る彼の胸甲耀けり。」
『イーリアス』(ホメロス:青空文庫より)
また『オデュッセイア』(11. 572)においては、地下の世界にて、地下の獣を狩るオリオンの様子が描かれている。
(地下の世界をゆくオデュッセウスの独白)
「次に私は水仙の野原で獣たちとともに狩りをするオリオンを見た。
それらはかつて彼がたった一人で殺したまさにそのものらであり
彼は決して壊れることのない青銅の棍棒を手に持っていた。」
『オデュッセイア』(ホメロス:8thBC)
以上のように、アルカイック期の段階で、オリオンが「蠍に刺されて天にあげられた」という物語は、即ち「星座になった」とイコールに読み解いて良いのではないか。
オリオンは地下にある間に地下の獣を狩り、天に登ると同時にプレアデスを追う。つまり彼は死後に、空の世界と地下の世界を行き来する存在だとみなされている。
その場合、ディオスクロイはどうか。
彼らを「天にあげた」話は紀元前5世紀のピンダロスに詳しい。
(カストロを死から救いたいポルクスへのゼウスの言葉)
「しかし、兄弟を救うために努め、兄弟とすべてを平等に共有するつもりなら、半分の時間を地上で、もう半分の時間を天の黄金の家で過ごすことができるようにしよう。」
『ネメアの祝勝歌10』(ピンダロス:紀元前444年)
このピンダロスの「天にあげられた」も同様に星座になったという意味合いが強いのではなかろうか。
ディオスクロイが古典期には星として崇められたことを示す文献は下記のようなものもある。
ただしオリオン座は特殊な星座で、おうし座などと並び原始時代の壁画にも書かれている可能性(この説には否定意見もある)があったり、彼の三つ星は世界中で固有の星座が知られ特別扱いされていた星の並びだと考えられているなど、極めて特殊な星座である。
そのため、安易にオリオンが星座になったからといって即ちディオスクロイも星座として成立していたとは断言しにくい。
他に挙げられている蠍座も巨大な星座であり、かなり初期から存在する重要な星座として考えられていたのではないかと推測されている。(元々はてんびん座とさそり座を合わせて一つの星座とするなどされていた)
またペガソス(馬)座、獅子座、わし座などがエウクテモンの時代までには述べられているが、それぞれが季節の代表となる重要な星座であった。
・更に参考:ローマ人の考える英雄の不死性(天に挙げられたことの意味)
https://www.theoi.com/greek-mythology/deified-mortals.htm
考察:双子はアルカイック期以前の星座たり得るか
さて、以上のように星座に関する情報を確認し、次にオリオンにおける「星座になった英雄がどのように考えられていたか」を確認したが、果たしてディオスクロイの双子座としての成立起源を、ゲームの作中で言われているような「1万4千年前の双子座の神」(※7/7修正箇所をお読みください)つまりはアルカイック期以前の成立と読み取れるだろうか。
最初に結論を言ってしまう。いろいろ頑張ってみたものの、結論からすれば残念ながら難しいのではないかと考える。おそらくは古典期〜ヘレニズム期に成立した星座の物語ではないだろうか。
まず、まずは星座表や星図の関連から見てみよう。
先ほど伝えたように、エウクテモンの星図以前の内容に双子座への言及はない。ヘシオドスの『天文学』は散逸しているが、参考にしただろう『カタステリスモイ』『フェノメナ』を始め、いかなる文献もヘシオドスによる双子座の指摘はない。
このことからもアルカイック期には双子座は知られていなかったか、知られていてもそこまで普及せずすぐに忘れ去られたかいずれかであると推定される。
この後、ピタゴラス派による地球球体説の普及に伴い、天に関する運用や星座の重要性が増したようだ。
次にエウドクソス・アラトゥスによる『フェノメナ』が登場するが、ここでは単に「双子」とされている。
固有名詞として書かれるヒュドラや詳細な説明を加えられた乙女座などに比べると極めてあっさりしており、その様子は「座った男」「へびつかい座」などのバビロニア星座に近い。故にギリシャにおいて、双子座とギリシャ神話のエピソードはこの段階でリンクしていなかった可能性がある。
その後『カタステリスモイ』において、例えば「立った男」はヘラクレス、「へびつかい座」はアスクレピオスなどの名前がつく中で、ようやく「双子座」はディオスクロイの二人と称された。
だがその一方で、ローマ時代のヒュギヌス『アストロノミカ』では、双子座は主にディオスクロイとされるものの「ヘラクレスとアポロ」だったり「トリプトレムスとイアシオン」だったりするとある。
これを見れば、双子座は一旦『カタステリスモイ』にて固定化を試みられたがそれより前の時代においてはギリシャ神話と組み合わされるエピソードではなかった。またそれ以降は双子座の英雄としても知られるようになったが、ほかの双子とされる場合もあり、定着までしばらく時間を要したのではなかったかと考えられる。
一方で神話や讃歌を追うとどうか。
アルカイック期における死後のディオスクロイは『オデュッセイア』やアルクマンの詩の断片に詳しい。紹介してみよう。
"Most worthy of reverence from all gods and men, they dwell in a god-built home beneath the earth always alive, Kastor (Castor)--tamer of swift steeds, skilled horsemen--and glorious Polydeukes (Polydeuces)."
『Fragment 2』(アルクマン (翻訳. Campbell, Vol. Greek Lyric II)、紀元前7世紀頃)
そして、ティンダレウスの妻であるレーダーを見た。息子のカストロは馬の名手であり、ポルクスは拳闘士である。
これら二人は――もの皆全てに生命を与えるものたる――大地に覆われたにもかかわらず、なお生きている。
そして地下の世界でさえ彼らはゼウスに与えられた名誉を持っている。
一日は彼らは交代で生き、一日は彼らは死ぬ。彼らは神々のように名誉を勝ち取ったのである。
『オデュッセイア』11.299(ホメロス)
『オデュッセイア』においては地下の世界にて「彼らは死んだが神のような名誉を得た」と紹介され、アルクマンも二人は地下の神によって立てられた家で栄光を得ているとしている。このように死後の二人は地下に存在するものだった。
また、讃歌(船乗りの神)としての活躍は『ホメーロス諸神讃歌』や『アルカイオスの讃歌(断片34)』に詳しいが、共に「遠くから黄褐色の輝きを持って飛来し、船を照らす(つまりセントエルモの火)」として現れている。彼らは船のマストに飛来する光であった。
明るい目をしたミューズよ。
ゼウスの息子にして美しき首のレダの輝かしき子供たち、ティンダリダイ、馬の乗り手カストール、清廉なるポリュデウケースのことを話そう。
レダが暗雲たるクロノスの息子と共に横たわったとき、偉大なるタイゲトゥス山の頂上で彼女は彼らを生んだ。
無慈悲な海の上で嵐のような風が荒れ狂うとき、地上の男たちと征く船を救い出す子供たちを。船乗りたちは偉大なるゼウスの子供たちを呼ぶ、白い羊の誓いを以て。船首の先に向かって。
海の強い風と波が船の下の水の中に横たわる。空の中を黄褐色の翼で、ふいにこの二人が矢じりのように見える時まで。
すると白き海の上の冷酷な風と波の爆発を和らげる。これらの兆候は彼らと彼らの救済の証である。船乗りが彼らに出会ったとき、彼らは喜び、彼らの苦痛と労力から解き放たれる。
おお、ティンダリダイ、速い馬に乗る騎手たちよ! 今、私はあなたを思い出し、別の歌もまた歌おう。
『ホメーロス諸神讃歌27(ディオスクロイ)』(紀元前6世紀頃?)
いまここペロプス島から私はあなた方の姿を探そう、ゼウスとレダの力強き子供、カストロとポルクスよ。
足疾き馬たちよ、国の外を旅しておくれ
広大な地上を超えて、すべての海を超えて
なんといとも簡単にあなたは我らを救い出すのか、死の冷たい厳しさから
突然背の高い船の上に降り立ち、大きく弾み
彼方からの光がマストを走り
困難に陥った船に輝きをもたらす
暗闇の船旅の中で!
アルカイオス『讃歌、断片34』(紀元前6世紀頃)
次に地球球体説が活発になった先述のピンダロスの時代になり、ようやく彼らは「地下の天国に住うもの」ではなく「天の黄金の家と地上を行き来する存在」として語られるようになる。
(しかしこの話自体は『フェノメナ』の段階では双子座と結びついていなかったことがわかる)
他にも、紀元前5世紀エウリピデスの作品やプルタルコスが語ったペロポネソス戦争の記述に下記のようなものがある。
…child of Tyndareus, and sister of those two noble sons of Zeus who dwell in the fiery heavens among the stars, whose honored office it is to save mortals in the high waves.
エウリピデス『エレクトラ』990(CCライセンスの記載がないため未翻訳。※太字部分は星の中の天国にいたことを示す描写)
ディオスクロイが敵に対して港から出て行ったときと同じように、リュサンドロスの船の両側に双子の星として現れたと言った人もいた。
(プルタルコス『リュサンドロス伝』12.1)
エウリピデスの記載を見るとおそらく、ディオスクロイはこの段階で「天国の中にある星」として見なされていたことは確実である。
一方でプルタルコスの記載には「星」とあるものの「船の両側に現れた」とあるので、これが「聖エルモの火」を示すのか「天の星」を示すのかはやや判断に苦慮する。
他にも紀元前5世紀のクセノフォンが「(ディオスクロイとも呼ばれる)船の両側に現れる星のようなものは実際は小さな雲である」と記載されており、「聖エルモの火」を「星」と表現するのは古典期にはあり得ることだったのだろう。
The stars come into being from burning clouds (A38).
The sort of fires that appear on ships--whom some call the Dioscuri [St. Elmo’s fire]--are tiny clouds glimmering in virtue of the sort of motion they have (A39).
クセノフォン(フラグメント)
ここでもやはり星との関係性は見えるが「嵐の後に現れた星」という表現ではなく、また「双子座」と明記されてもいない。
さらにヘレニズム期になると『アルゴナウティカ』にて航海の神としての性質が重要視されるようになる。この時期にどのように顕現していたのかという記録が残念ながら存在していない。
ただし、最終的にローマ時代になると、ディオスクロイは「天の星」であると書かれているのが主流となる。「天の星が二人を照らすことで嵐が止まる」という描写が現れ、この段階でようやくディオスクロイの航海の神の顕現は天の星とリンクし始めるのである。
(ディオスクロイがアルゴノーツにて嵐を収める記述に関して)
そしてすぐに風が収まり、ディオスクロイの頭上に2つの星が降りました。
すると船員皆がこの現象に驚き、神の御業によって苦難から救われたのだと結論しました。
ディオドロス『ビブリオテーケー・ヒストリカ』(4.43.1)
※なお、ディオスクロイの上記記述については、ヘレニズム期の『アルゴナウティカ』には存在せず、ディオドロスの時代のアルゴノーツ特有の表現であることを指摘しておきたい。
結論:
さて、上記のように「双子座」が発生するまでの経緯と、そこにディオスクロイがどのように絡んできたのかについて主に当時の文献を元に追ってみた。
ギリシャ神話における地下から天への興味の移り変わりは、地球球体説による冥界の矮小化(無限の空間ではなくなった)も影響しているのではないかというWalterの話については、当たらずも遠からじなのではないかと感じた。
星座表と伝承を合わせて考えると、ディオスクロイが「天の星」になり始めたのはピンダロスを基準にすれば紀元前5世紀の半ばであり、星座表を考えれば『フェノメナ』の段階では認知されず、『カタステリスモイ』の段階で漸く、ということになる。また『カタステリスモイ』などの古代の文献が言及しない以上、ヘシオドスは双子座について語らなかったか、もしくは語ったが普及しなかった可能性が高い。
故にアルカイック期におけるディオスクロイと双子座のリンクがあったと断言することは難しく(アルカイック期の二人は地下の国にいる為)、古典期以前の彼らの描写は単なる「星」もしくは「聖エルモの火」として定義されるばかりでこちらも「双子座」として判断することは難しそうである。
その為、おそらくは「双子座」としてのディオスクロイの成立はヘレニズム期、つまりは紀元前4世紀〜紀元前3世紀ごろではなかろうか、と推定される。
参考)彼らの起源は星か光か
またギリシャ以前の話は今回詳しく記載しなかったが、ディオスクロイはインドのアシュヴィン双神(紀元前1500年頃?)との共通項が大変多く、かなり無茶な言い方をすると彼らはディオスクロイの起源となる神とも言える。(詳細は別の機会に述べます)
もっともインドとギリシャの双神が「共通の起源」から分化した存在なのか、それともディオスクロイがインド神の影響を直接受けているのかは不明だ。ただ少なくともアシュヴィン双神はディオスクロイの千年近く前に成立した神であり、より古い信仰の形態を残している可能性は高い。(厳密には両者の間には微妙な職能の差異がある。アシュヴィン双神は「治癒の神」とされるがディオスクロイはそうではないなど)
このアシュヴィン双神自体には複数の起源が想定されているが、もっとも有力な説ではその成立を「明と宵の明星」、つまり「星」に由来すると推測されている。
ここだけを見ればディオスクロイの「星」としての起源は「聖エルモの火」よりも古いものだと推定されるが、残念ながらそう簡単ではない。アシュヴィン双神と「明星」との関係性は最初期に失われていたらしく、最古の文献に「星」とする記述は見られない為だ。(またアシュヴィン双神は「光」とも形容されるが、船のマストに現れる「聖エルモの火」でもない)
これを踏まえると二通りの考え方ができる。
一つはディオスクロイがアシュヴィン双神の影響下で成立した場合。この場合はディオスクロイはアシュヴィン双神が一度欠落させた「星」の概念をどこかの段階で取り戻したことになる。それが「聖エルモの火」とどちらが先のことだったかは情報がなく不明なままだ。(インドでは「光」とされる神である以上「聖エルモの火」の方がやや古いかもしれない)
もう一つの可能性は、ディオスクロイが「明星」としての性質を残したままアシュヴィン双神よりも先に「共通の起源」から分化した場合だ。この場合は「星」としての性質を保ったまま語り継がれていてもおかしくはなく「聖エルモの火」の方が後から付与された性質となるだろう。
ちなみにサーヴァント・ディオスクロイ自身がどちらを元だと思っているのかは、下記を見ていただきたい。
「我らは輝きの星。聖エルモの火」
「我らは神にして星。光に逆らうか」
「我らは光。嵐の後に来る光である」
「我らは星」「空にて輝くもの」
『Fate/Grand Order』(作中の会話)
さて、これはどちらと判断するべきだろうか??
どうやらfate内での取り扱いはあまり厳密ではなく、どちらとも取れる記載になっている。実際の現象としての「聖エルモの火」は「嵐の最中(嵐の終盤)」に発生するものであり嵐の後にマストに光が灯ることはないため「光」とは書かれているものの実際は嵐の後に現れた「星」を想定した記述だろうか?というような憶測はできるものの、明確ではない。
あるいは「ディオスクロイ」として元の「太古の双子神」からオリュンポスに編入し分化した段階ではどちらの属性も備えていたため、「両方とも我ら」という認識で上記のような表現になったのかもしれない。
いずれにしても参考として記載したのはこのあたりが理由であり、兄様も妹様もおおらかな心で「どちらも良し」と思っていただいているようなので、創作などのときは「星」と「光」の好きな方の起源を選ぶと良いのではないだろうか。(なお「太古の双子神」として表現する場合は明星説が最有力とされているため「星」のほうが良い気がします)
※ご注意:
今回の記事の内容はあくまでも個人の推測に基づくものであり、実際の学術的な知見としてあっているかどうかの精査はされていないことには注意いただきたい。
参考文献・注など:
※言及した作品について
(なお、著作権の切れていない文献の翻訳部分において、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CC BY-SA 3.0)のついているもの(ペルセウス電子図書館、ウィキペディア等)は当該のライセンスに従います。
またこれらの訳は独自訳のため、誤りが含まれている可能性があることをご注意ください)
・『ムルアピン』(※3参照)
・ホメロス『イーリアス』(8thBC)
ホーマー『イーリアス』 青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/001099/files/46996_40612.html)
・ホメロス『オデュッセイア』(8thBC)
Homer. The Odyssey with an English Translation by A.T. Murray, PH.D. in two volumes. Cambridge, MA., Harvard University Press; London, William Heinemann, Ltd. 1919.
(http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:1999.01.0136)
・ヘシオドス『労働と日々』(7thBC)
Hesiod. The Homeric Hymns and Homerica with an English Translation by Hugh G. Evelyn-White. Works and Days. Cambridge, MA.,Harvard University Press; London, William Heinemann Ltd. 1914.(http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:1999.01.0132)
・ヘシオドス『天文学』(7thBC)
Hesiod, Homeric Hymns, Epic Cycle, Homerica. Translated by Evelyn-White, H G. Loeb Classical Library Volume 57. London: William Heinemann, 1914.(https://www.theoi.com/Text/HesiodMiscellany.html)
・偽ホメロス『ホメーロス諸神讃歌』
Anonymous. The Homeric Hymns and Homerica with an English Translation by Hugh G. Evelyn-White. Homeric Hymns. Cambridge, MA.,Harvard University Press; London, William Heinemann Ltd. 1914.(http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:1999.01.0138)
※ちくま学芸文庫『ホメーロス諸神讃歌』についても参考
・アルクマン『断片』(7thBC)
Alcman.Fragments (LCL 143: 376-377) (https://www.loebclassics.com/view/alcman-fragments/1988/pb_LCL143.377.xml?rskey=WXiNFt&result=2&mainRsKey=FvCvlO)
(https://archive.org/details/L143GreekLyricPoetryIIAnacreonAlcman/mode/2up)
(https://www.theoi.com/Ouranios/Dioskouroi.html)
※アルクマンの言及については複数のサイト(しかも古典文学を収集するデータベース)から情報をとってきているが、肝心の元データ(Internet Archive)の情報を見ても、それらしいページを見つけられていないので、とりあえず確認をとった全てのページを抽出している。このアルクマンの引用はアルカイック期における死後の世界に関する傍証としては重要だが、もしこちらの内容がない場合でも『オデュッセイア』における描写を鑑みると、十分に今回の論旨は成り立つものと想定する。
・ピンダロス『ネメアの祝勝歌10』(5thBC)
Pindar. Odes. Diane Arnson Svarlien. 1990.(http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:1999.01.0162)
・アラトゥス『フェノメナ』(3thBC)
Aratus. Phenomena(The Phenomena and Diosemeia of Aratus, tr. into Engl. verse, with notes, by J. Lamb)1848.(https://archive.org/details/phenomenaanddio00aratgoog/mode/2up)
・アポロドロス『アルゴナウティカ』(3thBC)
Apollonius. rhodius the Argonautica(Publisher: MacMillan; London) 1912.(https://archive.org/details/in.gov.ignca.13553)
・偽エラストテネス『カタステリスモイ』(3thBC?)
pseudos-Eratosthenes The Katasterismoi (Condos, Theony)1967 (https://ui.adsabs.harvard.edu/abs/1970ASPL...10..361C/abstract)(https://ui.adsabs.harvard.edu/abs/1970ASPL...10..369C/abstract)
・ディオドロス『ビブリオテーケー・ヒストリカ』(1thAD)
Diodorus Siculus. Diodorus of Sicily in Twelve Volumes with an English Translation by C. H. Oldfather. Vol. 4-8. Cambridge, Mass.: Harvard University Press; London: William Heinemann, Ltd. 1989.(http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:1999.01.0084)
・ヒュギヌス『アストロノミカ』(2thAD)
Hyginus. Astronomica(Hygini Astronomica: ex codicibus a se primum collatis. Publisher in aedibus T.O. Weigeli) 1875.(https://archive.org/details/hyginiastronomi01hygigoog/mode/2up)
・アルカイオス『断片34』(6thBC)
Alcaeus. Fragments.34(https://en.wikipedia.org/wiki/Alcaeus_of_Mytilene)
・エウリピデス『エレクトラ』(5thBC)
Euripides. The Complete Greek Drama, edited by Whitney J. Oates and Eugene O'Neill, Jr. in two volumes. 2. Electra, translated by E. P. Coleridge. New York. Random House. 1938.
http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:1999.01.0096:card=988
・プルタルコス『リュサンドロス伝(対比列伝)』(2thAD)
Plutarch. Plutarch's Lives. with an English Translation by. Bernadotte Perrin. Cambridge, MA. Harvard University Press. London. William Heinemann Ltd. 1916. 4.
https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Plut.%20Lys.%2012&lang=original
・クセノフォン『断片』(A38~39)(5thBC)
https://plato.stanford.edu/entries/xenophanes/#SciInt
注釈:
※1『Homer’s Iliad』(Marina Coray)のバビロニア星座との比較が詳しい。
※2レフカンディ遺跡に関して
https://www.brown.edu/Departments/Joukowsky_Institute/courses/greekpast/4729.html
※3 Rogers.J.H『Origins of the ancient constellations』(http://adsabs.harvard.edu/full/1998JBAA..108...79R)にて、『ムルアピン』が成立するまでのバビロニア星座の流れと、「古代の星座マップ」「黄道十二宮」等に関する情報がある。
※4 ギリシャ・近東地域の関連については、下記サイトが大変詳しい。(http://members.westnet.com.au/gary-david-thompson/page9w.html)
※5 Walter Burkert『 Studien zu Pythagoras, Philolaos und Platon』 Nurnberg 1962 参照。なお、邦訳は次のサイトを参考にさせていただいた。(http://blog.livedoor.jp/yoohashi4/archives/53249161.html)
※6 『The Babylonian Astronomical Compendium MUL.APIN』において、各研究者の算出した作成年代について指摘がある。
・1949年(van der Waerden)紀元前1300年から1000年 観測地バビロン
・1978年(papke)紀元前2300年 ※著者は調査の精度が低いものであると判断している。
・1981年(Reiner と Pingree)紀元前1000年頃 観測地ニネヴェ
・2007年(de Jong)紀元前1000年頃±150年程度 観測地バビロン
上記のように、紀元前1000~1300年頃が主流となっているものの、『Origins of the ancient constellations』などを含み、最長ではBC2300年頃まで遡る説もある。
※7 パレットおおさきホームページ『星座の歴史』ページ(http://www.palette.furukawa.miyagi.jp/space/astronomy/constellation/const_history.htm)