英語ディオスクロイの物語②アパレティダイとの争い(ディオスクロイの結婚および死)
英雄ディオスクロイの物語を辿る第二回目です。『Fate / Grand Order』のキャラクター背景を辿る目的のため、ディオスクロイの名前の表記はそちらに準じております。
今回はアパレティダイとの戦い、そしてディオスクロイの死についてのエピソードを過去の文献との対比をさせながら紹介します。
概略:
このエピソードは彼らのいとこであるメッセニア人のアパレティダイとの争いと、そしてディオスクロイの死について書かれたものである。(アパレティダイも一人がポセイドンの子とされる兄弟)
ディオスクロイが死んだかどうかについては『イーリアス』(紀元前8世紀)で語られており「彼らは死んだ」とされている。加えて同時代の『オデュッセイア』では「彼らは死んだが1日おきに生き返る」とされている。
(これら二つの文献ではアパレティダイとの戦いで死んだかは記載がない)
なぜ死んだかの理由が描かれるのは『キプリア』においてだが、ここではポルクスはアレスの息子、と書かれている。
内容:
カストロとポルクスの兄弟は、同じく従姉妹であるヒーラエイラとポイベー姉妹(レウキピデス)のふたりとの結婚を望んだ。
とはいえ、彼女らは既にメッセニアに住むディオスクロイの叔父であるアパレウスの双子(アパレティダイ)のイダスとリュンケウスと結婚していた。
にもかかわらず、カストロとポルクスは二人の花嫁をスパルタに攫って連れて行き、それぞれに息子を作った。
これはテュンダレオスとアパレウスの兄弟の4人の息子の間の確執の最初の原因となった。
この四人は一緒にアルカディアで家畜襲撃を行って成功させたが、群れの分配で揉めた。
それを分割する方法として、アパレティダイは一匹の子牛を屠殺して料理し、4つに切り分け、最初と二番目に食べた兄弟にそれぞれ半分ずつに与えることとした。
イダスはすぐに彼の分とリュンケウスの分の両方を食べ、全ての家畜の所有権を主張した。
カストルとポルクスはだまされたと思ったものの、アパレティダイに群れ全体を与えることを許した。
しかしいつか報復することを誓った。
やがてアパレティダイの二人が不在の間、カストロとポルクスは彼らの領地にやってきた。
ポルクスが牛を解放し始めたとき、カストロは見張りをするために木に登った。
遠くにイダスとリュンケウスが近づいたとき、遠目の利くリュンケウスはカストロが木に隠れているのを見た。
イダスとリュンケウスは、直ちに何が起こったかをを理解し激怒し、ディオスクロイとの争いになった。
カストロはイダスからの一撃で致命傷を負ったが、ポルクスはリュンケウスを殺した。
イダスがポルクスを殺そうとしていたとき、彼の父親であるゼウスは雷を投げ、イダスを殺し、息子を救った。
死にゆくカストロに対して、ポルクスは父ゼウスに彼を救ってほしいと懇願した。
ゼウスは「すべての時間を不死なるものとして過ごすか、不死の半分を死ぬ兄弟に捧げるか」と聞かれた。
ポルクスは後者を選択し、双子はオリュンポスとハーデスとを交互にできるようにした。(もしくは天と地、不死と有命との間とを)
兄弟は天に召し上げられて星となった。
引用元:
・『イーリアス』
『イーリアス』においては、「彼らは死んだために(ヘレネを)助けに来ない」という下りで出てくる。
つまり死んだあと、復活する存在としては描かれていない。
・『オデュッセイア』
『オデュッセイア』においては、死後のディオスクロイについて語られる。
「死したが神と同等の資格を得た」という話がある。
つまり死んだあとの話にはなるが、神として成立したとされている。星になったかどうかの記載はない。
・『キプリア』(?:7-6BC:断片1、断片7)
https://www.theoi.com/Text/EpicCycle.html
キプリアはアルカイック時代の物語だが、断片のみが残存している。
アパレティダイとの戦いにおける、私の確認できた最古の案件であるが、ポルクスはアレスの息子である。
その一方で不死を与えたのはゼウスとなっている。
カストロはイダスに殺され、リュンケウスとイダスはポルクスに殺されている。ゼウスは彼らに隔日で不死を与えている。また、カストロは有命のものであるが、一方でアレスの末裔たるポルクスは不滅であるという内容になっている。
これも死後復活したことのみ書かれている。
『断片11』他(アルクマン:7thBC)
https://www.theoi.com/Text/LyraGraeca1B.html
こちらの内容の場合、スパルタのセラプネの地下とで死んでいると言っている。
http://www.novemlyrici.net/index.xps?2.1
https://www.theoi.com/Text/LyraGraeca1B.html
https://www.loebclassics.com/view/alcman-fragments/1988/pb_LCL143.377.xml?rskey=WXiNFt&result=2&mainRsKey=FvCvlO
地下の神の国に赴き、彼らは生きているとある。原典の記載があり、複数のサイトから確認できるので可能性は高いは思っているが、書面データとしては確認していない。(一番下はギリシャ語訳)
・『競技会の祝勝歌:ネメア10』(ピンダロス:444.BC:50~)
http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0162%3Abook%3DN.%3Apoem%3D10
ボクシングの競技会にて述べられたもので、ディオスクロイは良きアスリートとして紹介され、アパレティダイとの争いについて書かれている。
「ディオスクロイは一日を父ゼウスのそばで過ごし、もう一日をセラプネ(スパルタにおけるディオスクロイの信仰地)で過ごす」という。
初めてゼウスの側(オリュンポス)にて過ごすと描かれたもの。同様の歌をピンダロスは他にも書いており、こちらには直接「オリュンポスの黄金の家とセラプネの間を」と書いている。
・『ヘレネ』(エウリピデス:紀元前420年:115)
星となったディオスクロイという描写がある。これによると彼らの話は二つ伝わっている。一つは星のごとき神々になったという話、もう一つは彼らは死んでいるという話が書かれている。
http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:1999.01.0100:card=115
また『エレクトラ』においては「ティンダレウスの子ら、燃えるような星々の間の天国に住む」、との描写がありエウリピデスの世界観が見て取れる。
http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:1999.01.0096:card=988
・『牧歌(アイディル)』(テオクリトス:3BC:22)
https://www.theoi.com/Text/TheocritusIdylls4.html#22
前半はポルクスの歌としてアミコス王との攻防を描き、後半はカストロの歌としてレウキッポスの二人を奪ったことに対するアパレティダイとの戦いが息迫る描写で描かれている。
この物語ではカストロはリュンケウスを打ち倒す。(だが致命傷を負う?)
その後、イダスは墓石を投げてカストロを攻撃しようとするが、ゼウスの守りによってそれを取り落した。
(ゼウスの守護がカストロにも及んでいることを示す例で興味深い)
なお、どのように復活を遂げたかについては言及がない。
・『神との対話』(ルシアン:2AD:4)
https://www.theoi.com/Text/LucianDialoguesGods1.html#4
ディオスクロイが、天国とハデスとの間を交代で行き来するとなっている。
「Leda's sons take turn and turn about betwixt Heaven and Hades--I have to be in both every day. 」
・『ファブラエ』(偽ヒューギヌス:80:1AD)
https://topostext.org/work/206
レウキッポスの二人がミネルヴァ(アテネ)とディアナ(アルテミス)の巫女であったとの記載がある。
ここではカストロはリュンケウスを殺している。ディオスクロイはそのことを讃えた記念碑を作ったが、怒り狂ったイダスがその記念碑を放り投げてカストロを殺した。(『牧歌』の描写?)もしくは剣を太ももで刺された。
アパレティダイとの戦いにおいてカストロは死に、ポルクスが兄弟と名誉を共有することを(おそらくゼウスに)懇願し認められた。
彼らが鞍なしの騎兵として現れるときは、一人の男が2つの馬に乗り、帽子をかぶり、ポルクスが兄と交代するように馬の間を跳躍するという。
・『ビブリオテーケー』(偽アポロドーロス:紀元前180年頃→ローマ時代)
https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0022%3Atext%3DLibrary%3Abook%3D3%3Achapter%3D11%3Asection%3D2
3.11.2に、アパレティダイとの戦いについて記載がある。
ポルクスは不死を拒否したので「神と死すべきものとの間に隔日で過ごすことになった」とある。
またディオスクロイの死によって、テュンダリオスはメネラオスにスパルタ王国を手渡した、とある。
文献を読んでの推察と補足
レウキッポス、アパレティダイ、ディオスクロイ、これらは父親が兄弟であり、皆がいとこの兄弟という関係とされる。
メッセニアのアパレティダイは、彼らもまたアルゴノーツの一員であり、千里を見渡す目を持っていたリュンケウスと剛力のイダスの二人組である。
殺し合いを行う暗い中の悪い兄弟二組をまとめ上げたイアソンの手腕が窺える。
さて、またシーンは3つに分けられる。
・レウキッポスの花嫁の奪取
・イダスとリュンケウス(アパレティダイ)との確執と戦争
・カストロの死と二人の復活
メッセニアのアパレティダイとの戦争については、実際にあったメッセニアとスパルタの戦争を下地に引いているのではないかという
指摘がある。(ニールソン 1985)
(ちなみにそれとは別にメッセニア戦争時に守護者としてディオスクロイやヘレネが戦場に現れる(別述のパウサニアス参照))
もしかすると3つの要素は独立して発生し、やがて統合されていったのではなかろうか。
なお、カストロの死因は剣を太ももで刺されて〜という話が多い。もしくは墓石(あるいは記念碑)に潰されてというパターン。
死因はだいたいイダスである。
カストロは誰も殺さずにただ殺されたという場合もあるし、リュンケウスを殺したがイダスに殺されたというパターンもある。
ポルクスはイダスもリュンケウスも自分自身で倒す場合もあるし、リュンケウスを殺した後イダスに殺されかけ、ゼウスの雷霆により救われたという場合もある。
双子が死んだのか、死後も生きているのか、どのように復活したのか、その内容については微妙な食い違いが見受けられる。
またどこを行き来するかについてもである。
まず死については、下記のとおりだ。
『イーリアス』は復活を記載されない。
『オデュッセイア』に関しては一日ごとに生きたり死んだりするという記載になっているが、理由は述べられない。
同時期の『キプリア』においては、その理由を一人の神と一人の人間という話に当て込んだ。
ピンダロスの祝勝歌では、更にその後天に登った(おそらくは星になった)という内容が追加されている。これは同時代のエウリピデスの描写が特に詳しい。
『牧歌』においても、星とディオスクロイとの関係を書いている。
復活の場所はまちまちである。
ピンダロス以前の作品は、オリュンポスには昇らずに、ハデスにて不死を得ている描写となっている。ピンダロス以降は天に登る、という描写が主流になる。
とはいえ、これも例が少なくて仮説にもならないが、双子座の推移を追ったページで分かる限りの推察をした。(7/9現在、結論を含めて再構成中のため、参考程度に見ていただきたい)
そして「交代交代で生きる」とだけされる場合もあれば、より明確に「一日ごとに交代して生きる」と書かれている場合もある。
当時の人々がどういうスパンでディオスクロイが入れ替わるかと思われていたかは不明だが、半年ごとなどではなく一日ごとだった可能性が高いのではないか。
興味深いのは、『キプリア』においてディオスクロイはゼウスの守護を受けているが、ポルクスは「アレスの息子」である。
スパルタの近隣はアレスの聖域とされており(パウサニアス『ギリシャ案内記』3. 19. 7)、スパルタとアレスとのゆかりはとても深い。
どことどのを行き来するかについては、下記のとおりである。
『オデュッセイア』やアルクマンの『断片』においては「地下の世界(即ちハデス)」にても神と同様の栄誉がある、としている。
これは2世紀の『神との対話』でも同様だ。
ピンダロスの祝勝歌では、ディオスクロイの信奉された「セラプネ」と天との間を行き来することになっている。
エウリピデスの作品群の中では彼らの居場所は星々の間である。
『ビブリオテーケー』においては、単に「神と死すべきものとの間を」とあり、ここは神の国と地上(生者の国)を指しているようにも思える。
『オデュッセイア』などの情報では、純粋に幽世の住人になった印象が強い。(地上の生きる人々から離れた、あるいは地下のエリュシオンで生きているような描写)
一方で、ピンダロスなどの書き方では、地上の人間ではなくなったが地上にも降り立つ(地上の生きる人々のそばにいる)印象を持つ。エウリピデスの作品(ヘレネ)においては物語の最後に現れて話の結末を語る。
更に言うなら、『ファブラエ』によればディオスクロイが死後現れたときのイメージが表記されており、特にローマ時代にもなれば、ディオスクロイは死しても地上に降り立つ、というイメージは固定化されていたのではないかと推測される。(あくまで推測ベースだが)
レウキピデスについてはディオスクロイの二重存在とも取れるほど類似点が多いが、この点については最後の方に紹介するので、参照ください。
※もっとも、ピンダロスの記載のある「セラプネ」はメネライオン神殿があり、ここはヘレネとメネラオスの墓ともされる。
同様のイメージでディオスクロイが想像されているとしたら、「セラプネ」はつまり「墓所」に降り立つという内容にもなる。
※『戦場に降り立つディオスクロイ』の内容はローマ時代の南イタリアにも伝承があるが、 メッサニア戦争(パウサニアス:3世紀:4. 16. 9)にもある。
ギリシャ時代から同様の発想はあったのではないかと思えるものの(メッサニア戦争は紀元前8世紀頃)、これを記載したパウサニアス自身はローマ時代の旅行者なので、どこまで当時の伝承から変わっていないかまでは不明である。
※アルカイック期の彼らがどこにいるかについては議論の余地があるようだ。彼らは古典期には死後に星とされた話が伝わっているがそれ以前の情報がない。すでにアルカイック期に地の底と天を回る星のような存在とされたか(オリオンと同じように)、古典期に新しく作り出された話であったかはまだわかっていない。
汎印欧神話の想定を行う学者は古来から連綿と星であったと捉えるようだ。
○ ○ ○
今回はディオスクロイの結婚と死について見てみました。
カストロ兄様が人々を憎むに至った「死」の事象が書かれています。
さて、個人的な感想ですが、現代人の感覚からするとこの物語の死因は「死んだのは自業自得じゃない!?」と思える部分があります。
従兄弟の婚約者姉妹(そちらも従姉妹)を結婚式の会場で奪って、子供を作り。
牛を強奪に(※他人の所有物です)行った際には逆に戦利品を奪われ。
奪われた戦利品をこっそり盗もうとしていたら見つかって殺し合いになった、という流れ。
いやもう、普通に悪漢同士の抗争だと思います。
このエピソードが人間の信仰によって勝手にくっつけられたものだとしたら、確かにオリュンポスのディオスクロイも良い気はしなかったのではないでしょうか。
ギリシャ神話において「愛情深き兄妹」というような描かれ方をする双子座であり、確かにお互いを思いやることはこの上ないですが、外に向けてやっているエピソードはこんな感じのことだったり…。
ディオスクロイの性格づけについては「あのディオスクロイがこんなヒールみたいな扱いを受けて!」みたいな批判も中にはあったようですが、これを見ると彼らの独善性の一端が垣間見える気がします。思い込んだら突き進むところはあるようにも思えます。
と、面白おかしく描いてみましたが次からはフォローです。
ディオスクロイが暴れ回るのはこのアパレティダイのエピソードだけで、アルゴノーツ、テセウスからのヘレネ奪還と言ったエピソードや、実際の信仰の面においては紳士然とした性格を持っていました。弱いものを助け、敵に進攻された故国を救うそんな姿が垣間見れます。(別の機会に語ります)
またギリシャでは上のような話は割とよくあることで、テセウスやヘラクレスなんかも似たような悪名高いエピソードを残しています。
メッセニアがかつてはスパルタの敵国であったことも考慮するべきでしょう。
彼らの死後は即ち神として信仰されていたときの話です。
カストロとポルクスはそれぞれどのように死に、どのように復活し、どういうところを行き来したのか、どういう姿だったのか。
これは今後の考察にも重要なポイントになる点なので、引き続き追っていければと思います。
それでは本日はこのあたりで。
(参考資料は本文内にリンクや紹介を貼っていますが、別途まとめて追記いたします)