補足考察:ディオスクロイは豊穣の神となるか/サモトラケの秘儀との関連性

前回の「豊穣の女神」ヘレネに関する補足事項となります。

ヘレネが豊穣の女神と知られているのはわかったとして、ではディオスクロイの方は豊穣神としてはどうなのか、というのが今回の趣旨になります。

「theoi project」内の記述

ギリシャ古典文献の総合サイトである「theoi project」様の『AGRARIAN GODS(農耕神)』のまとめページの中に、ディオスクロイの記載がある。

DIOSCURI (Dioskouroi) A pair of Spartan demi-gods. When Zeus granted Polydeuces immortality, he insisted on sharing the gift with his twin brother Castor. As a result the pair divided their time between heaven and the underworld. The pair were closely associated with the Mysteries of Demeter and Dionysus.

ここではデメテルとディオニュソスの秘儀にディオスクロイが関連していると書かれている。これは果たしてどういうことなのか、また彼らは本当に豊穣神と定義できるのか(そして何故)という点について追っていこう。

『ギリシャ案内記』によるそれっぽい記述

パウサニアスは『ギリシャ案内記』で次のように書いている。

ディオスクロイの聖域があり、別の場所には、デメテルとコレ(ペルセポネー)の1つがあります。(8. 9. 2)

第三章「ヘレネ」で見たように、ディオスクロイは強くヘレネと結びついており、どうやらヘレネは豊穣の神としての性質を持っているように見える。またこれまでに、地域によってはディオスクロイは「カベイロイ」と同一視されていたことが今までの話で触れたとおりだ。(第二章)

カベイロイは豊穣神キュベレを原型とする可能性のある神格であり、キュベレはデメテルやペルセポネと近い豊穣と死の女神であり、カベイロイ自体もデメテル、ディオニュソス、ペルセポネ、ハデスと死者や豊穣の神と極めて近い性質を持っている。

次に「カベイロイ」について見ていこう。

「偉大なる神」カベイロイ

カベイロイとは謎の多い神であり、ギリシャ神話上はヘファイストスの子と定義されているが、信仰されていた実情は異なる。

カベイロイの名前はギリシャ由来の語源を持っておらず、この語源にはいくつもの説があるが、歴史的には彼らはトラキア、レスボス島やサモトラケ島などで崇拝をされたとされる。またテーバイでも信仰を受けていた。
紀元前五世紀には人気を博し、アレキサンダー大王の時代に最高潮に達したという。ローマ時代に入っても、サモトラケ島はローマの神々がここからやってきたとされることから重要視され、大いに繁栄した。

このサモトラケの信仰は秘教であり、多くの秘儀の記録は残されていない。
言及されているのはエレシオンの秘儀(古き大地母神デメテルを中心とするギリシャ最大の秘儀)との関連性であり、このカベイロイたちもデメテル、ペルセポネー(もしくはデュオニッソス)を中心とした豊穣信仰を得ていたという。

カベイロイは二人、三人、四人など複数の神格として現れ、サモトラケ島においては4人の場合のカベイロイは(固有の名前はふせられて「偉大なる大神」と呼ばれていた)もののデメテル、ペルセポネー、ハーデス、ヘルメス神の顕現であると言われていた。

より具体的には、『The Princeton Encyclopedia of Classical Sites』によれば、サモトラケの信仰においては「偉大なる母(Axieros)」デメテルを中心に、「従者(Kadmilos)」ヘルメス、「Axiokersos」と「 Axiokersa」として知られたハーデスとペルセポネー、そして随伴する霊としてディオスクロイやカベイロイとされる神格がいたという。

尚、テーバイにおいて見つかった遺跡では、デュオニッソスらしき者が描かれた絵が見つかっているという。また巨大な性器の象られたワイングラスが見つかり、このワインを飲んだあと、割られていた形跡があるとのことだ。
ぶどう酒、性器はデュオニッソスに由来するものであろうが、これらも豊穣をもたらすものでもある。

ペルセポネーの神話を簡単に語ろう。
最古の物語は『ホーメロス風讃歌』内のデメテル讃歌である。
ペルセポネーの物語は、一般的には作物のライフサイクル(あるいは生と死のサイクル)を表しているとされる。

豊穣の女神であるデメテルの娘ペルセポネーはハーデスに拐われて彼の妻となり、冥界にいることとなった。娘を拐われたデメテルはあちらこちらを探し、やがて冥界へとたどり着く。ペルセポネーはデメテルの取りなしでオリュンポスに帰ることができるようにはなったが、すでに冥界の食べ物を口にしていたため、一年間の三分の一を冥界で過ごすことになった。

さて、このカベイロイ達の信仰は古く、一説には先述したとおり前身を前ギリシャ時代に小アジアにいたフリギア人の神キュベレーとされる説もあるなど、時代的にはかなり遡るものとされている。

カベイロイ自身の活躍は、以前述べた『カベイロイ』(アイスキュロス)にが初出とされる。彼らは葡萄酒をアルゴノーツに振る舞ったが、すっかり飲み干してしまったと言う。またこのカベイロイは航海の神としても知られており、アナケス(ディオスクロイ)との別名と呼ばれることもある。

カベイロイとディオスクロイを同一のものとみなすかに否かについては古代から議論はあるものの、例えばディオドロスなどは共に「大神」と呼ばれ(パウサニアス 1.31.1)「航海の神」としての信仰があったことが影響しているのだろうと言う話もある。(A Dictionary of Greek and Roman biography and mythology(1848))

個人的な推察:

さて、カベイロイは確かに豊穣神の一柱として知られていたが、ディオスクロイはたまたま性質が似ていたから同一視されたのだろうという話はディオドロスなどローマ時代から語られていた。

だが果たしてそれだけなのだろうか。

カベイロイの信奉されたサモトラケの秘儀およびデメテルのエレシウスの秘儀は、生/豊穣/死/再生のサイクルを繰り返すものと言われている。
ディオスクロイは豊穣神ヘレネと共にあり、彼ら自身も一日置きに生と死を繰り返す神性である。
また前に述べたとおりディオスクロイのモチーフの一つについては蛇が有るというが、蛇は永遠の象徴であり死んでは復活をする存在であり豊穣の化身とされていた。
加えてやや無理な類推にはなるが、ヒュギヌスが双子座を「トリプトレムスとイアシオン」と呼び習わしたように、双子座自体も豊穣神との関係を意識している可能性はないだろうか。トリプトレムスはエレシオスの秘儀の、イアシオンはサモトラケの秘儀の主要な関係者であり、共にデーメテルなどによって農作を広めた人物とされている。

いずれにしてもディオスクロイのモチーフとサモトラケの秘儀(デメテル、ペルセポネ)のモチーフはよく似ている。つまり一旦は死の国に行くが、その後蘇る点である。
これらを考えるとディオスクロイの生と死のサイクルは、決して双子座などと関わりができスパルタの英雄とみなされた頃の後付のものではなく、彼ら元来の神性・信仰に関連する重要なファクターであると考えてもよいのではないか。

別の例を上げてみよう。
例えばエジプトの豊穣神オシリスは純粋に神として信奉されている。
最初は地上の豊作に携わったが、やがて最初の死者となり、妻である女神イシスによって復活する。あるいはラーと同一視されるようになり沈む太陽はオシリスとして死に、再び昇る太陽はラーとして日々蘇るとされた。
これらの動きはディオスクロイとよく似ているが、少なくともエジプト神話におけるオシリスは神として死に、神として復活する。つまり死すべき存在であることと神であることは神話において全く同一ではないのである。
(奇しくも両儀式が語った「生きているなら神様だって殺してみせる」という話はタイプムーンの世界にも有命の神、不死の神の二種類がいる事の証ではなかろうか。スカサハ様も神殺しをなさっているし)

さて話がそれた。
冒頭に上げたとおり、「theoi project」のページではディオスクロイを豊穣神の一柱としてカウントしていた。結論を言えば「そう見られるケースも有る」ということでよいのかもしれない。

だが、これまでの章で述べてきた中に、ディオスクロイの豊穣の神として信奉されたエピソードはないように思える。ディオスクロイが農耕に携わった伝承でもあれば紛れもない事実としてもよいのだろうが、実際はそういった記述は全く残っていない。

ここは個人的な意見になるが、もしかすると彼らにはヘレネという豊穣の神と思われる存在がそばにいるが故に豊穣の神としての力を持ち得なかったのではなかろうか。また逆にディオスクロイ自身が豊穣神として想定される場合、ディオスクロイとは呼ばれず「カベイロイ」と呼ばれたのかもしれない。根拠はないが、そんなふうにも感じた。

ここでわかる確かなことは下記の通りではなかろうか。
 
 ・ディオスクロイはサモトラケの信仰においては「カベイロイ」と同一視され、彼らは生死のサイクルと関連した豊穣の秘儀の神であった。またサモトラケの神としてディオスクロイを捉えた場合、仕える神はヘレネではなくてデメテルとなるという。
 ・現在の研究によっては、ディオスクロイを豊穣の神としてカウントしている場合もある。ただし実際には彼らに豊穣神としてのエピソードは残っていない。ヘレネやカベイロイ、デメテルなどとの関係を考えると、少なくとも豊穣の神との関係性を持っていたことまでは確実なことのように思える。
 
今回の話は以上です。

※(7/28)クセノフォンの『ヘレニカ』に下記の描写を見つけたので追記。

デメテルとコレー(ペルセポネ)の秘儀に関連するトリプトレモスとヘラクレス、ディオスクロイはデメテルの果実の種をもたらしたもの達、と記載してある。(おそらくスパルタの描写、ヘラクレスの子孫はスパルタの建国者であり、ディオスクロイはスパルタの王子である)
この描写はディオスクロイを豊穣神と見ている例として良いだろう。

http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:1999.01.0206:book=6:chapter=3





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