女神ヘレネの信仰について
一応断っておきますが、これは『Fate Grand Order』に登場する太古の双神ディオスクロイの起源をたどるのが目的です。
「ディオスクロイの原像を辿る旅路になぜヘレネが出てくる?まだゲームにも出てきていないけれど?」と疑問に思った人もいらっしゃることでしょう。
ははあ、さては興味が出て脇道にそれたな、位に思われているかもしれません。
ですが、違うのです。
太古の神ディオスクロイの今後を語る上でヘレネの存在だけは決して避けては通れないのです。ヘレネはディオスクロイの第三の双子とも言うべき密接な関わり合いがあります。
そしてそれは『イーリアス』に語られるトロイアの傾国の悪女とされたヘレネではありません。
ヘレネもまた、兄弟であるディオスクロイと同じく、零落させられた神であると、現在の学者の多くは考えています。
興味がなければ、後で振り返りたくなったときにでも覗いてください。私が最初に驚いたように、ギリシャ神話においてはたまたま共に生まれた双子に見えるヘレネとディオスクロイの二人への見方が変わると思います。
それでは始めます。
スパルタ王女「トロイのヘレネ」
さて、一つ気付いたことはないだろうか。
ディオスクロイは二人で一柱の神として信奉されていたが、とある人物が同じ場所で頻繁に信仰されているのである。
それは、彼らの妹とされる「ヘレネ」である。
ヘレネの名前はこれまでに何度か紹介しているが、著名な人物のため、一般の方の中にも知っている方は多いのではなかろうか。(そしてFateのユーザーならおそらく誰もが知っているだろうが)
特に有名なのが『イーリアス』における扱いだろう。
トロイア戦争の幕開けとなった出来事は、トロイアの王子パリスによる、ギリシャ全土で「最も美しい王女」とされた女性の強奪事件が起因となっている。
その奪われたスパルタ王メネラオスの妻の名前こそヘレネである。
神話におけるヘレネの生涯
ヘレネについては以前に一部語ったが、改めて見てみよう。
彼女はスパルタの王女であり、レーダーの娘であり、ゼウスの娘であり、ディオスクロイの妹として生まれている。あるいは古い出典によっては彼女はネメシスとゼウスの娘という生粋の神の血筋であり、その卵はレーダーに預けられた。また場合によってはディオスクロイの二人とともにヘレネも加えて、一つの卵から生まれるパターンも有る。
ヘレネはアテネの王テセウスに奪われたが、彼が冥府に繋がれている間に、ディオスクロイが再び現れて彼女を奪い返した。子供ができたという話もあれば、幼すぎて清らかなままであったという話もある。
その後、ディオスクロイはアパレティダイとの争いで死亡したのだが、ヘレネの話はここからが本番である。
やがて大きくなったヘレネをめぐり、テュンダレオス王の元に、ギリシャ全土から王や勇士たちが詰めかける。最終的にはメネラオスという男にヘレネは嫁ぐことになる。テュンダレオス王は息子たるディオスクロイを失っていたため、メネラオスは王位を継いだ。
だが宴会の際にトロイアの王子パリス(アレクサンドロス)という男が、ヘレネを誘拐し連れ去る。彼は美の女神アフロディーテの加護があり「この世界で最も美しい女性を妻にする」という神託を得ていたためであるが、その一方でそれは不和の女神の仕組んだことでもあり、神々を二分してのトロイアとギリシャ(アカイア)との戦争に発展した。
ディオスクロイは『イーリアス』においてはすでに死んだことになっており現れることができず、ギリシャ側はアキレウスを始めとする数多の勇士たちが攻撃を加え、トロイア側は英雄たちを寄せ付けない厚い城壁と第一王子ヘクトールの知略によってこれを阻んだ。
ギリシャとトロイアの全面戦争は最終的に、かの有名な「木馬」によるアカイア軍の襲撃によってトロイアの滅亡という形で幕を下ろした。
トロイアから帰ったヘレネはメネラオスとともに暮らしたというが、やがてメネラオスともどもに永久の時を過ごしたか、もしくはスパルタを追放されて流浪の身となったのだった。
また、中にはパリスに連れ去られたのは幻影であり彼女自身はエジプトにいた、もしくは放浪の末にエジプトに向かおうとした、などの異伝も残されている。
これが一般的に語られるヘレネの顛末である。
だが、こうした物語上の彼女とは別に、史実においてスパルタ、ロードス島、アテナイなどにおいて彼女は女神としての信仰を受けており、これがディオスクロイと関連されていると言われるのである。
歴史上の女神ヘレネ信仰
パウサニアスは『ギリシャ案内記』の中でこう語っている。
(メッセニア)は夜間スパルタを攻撃しましたが、ヘレネとディオスクロイの出現によって阻止されました。
『ギリシャ案内記』(4. 16. 9)
このように軍を止めるスパルタの守護者として、ディオスクロイと同じくヘレネーが登場している。
また他にもいくつもの関係性を語る内容が残されている。
・スパルタのセラプネの村にあったメネライオンの神殿(紀元前8世紀頃~)はヘレネとメネラオスに捧げられたものであったが、同時にディオスクロイも祀られていた。
・前回のアッティカ(アテナイ)で祀られた「アナケス」にもヘレネとの関連していると思しき情報がある。
・船乗りが見たセントエルモの光は、ディオスクロイの顕現とされたが、一つの光のときにはそれは「ヘレネ」と呼ばれたという。(プリニウス『博物誌』2.38.101)
・テセウスによるヘレネの誘拐を描かれたシーンでは、ディオスクロイとヘレネは共に壺に描かれているという。(Edmunds『Stealing Helen』p72:例に出ているのは紀元前550年頃の絵)
などなど、ディオスクロイの祀られていたスパルタやアッティカといったような地域において、彼らの関連を示す情報が残されており、同時に船乗りの守護や、スパルタでの戦闘の守護と言ったような場合においても彼女はディオスクロイとともに現れるのである。
ディオスクロイとヘレネは両者とも神としての力を持ち、それぞれが密接に関係しているのではないかと考えられる。
以降に具体的な例を見ていきたい。
スパルタのセラプネにおけるヘレネの信仰
スパルタ人にとっては、メネラウスは死後メネライオン神殿に埋葬され、ヘレネはここで夫と共にこの神殿の主神として信仰されるようになったのだという。セラプネにおけるメネライオン神殿にてこうした内容が残されている。
(ある男が美しい女性と結婚した。だが)奇妙なことに彼女は幼い頃は醜かったそうだが、今の彼女は美しかった。
…毎日、子供をフィープウムの上に立つセラプネのヘレネの神殿に運び、そこに彼女を像の前に座らせて、女神に懇願すると子供の醜さは取り除かれた。
(ヘロドトス『歴史』6.61)
セラプネにおけるヘレネの信仰は、醜い少女を美しくさせたという。
これは単に美の女神としての力だけではなく、一部の研究者からすると「この物語は、セラプネのヘレネの力が、子供に将来的な結婚の資格を与える資質を与えることを暗示して」いるのだという。また、メネライオン神殿で見つかったレリーフの多いものの一つとして6000個の遺物の半分以上「花輪」が挙げられており、これは強く結婚と結びついている。(『Stealing Helen』)
また、このメネライオン神殿から発掘されたものは戦士としての奉納品(メネラオスに対して)の一方で、鋤や動物といったレリーフも多く見られるという。
この鋤や動物は、ヘレネが多産・豊穣神としての性格を持っていたことを示しているという。
さらにメネライオンの神殿以外でメネラオスが信仰された形跡がないことから、あくまで主体的に信奉されていたのはヘレネの方であり、メネラウスはヘレネの夫であることから信仰を受けていたのではないかと、ここでは推測している。
つまり、スパルタにおいては、ヘレネは美の女神であり、ひいては結婚に関連する神であり、多産や豊穣を司る女神として信仰されていたことがわかる。
またヘレネは英雄神か古来の神かという問題については、いくつかの学術書では次のように考えているようだ。
そもそも英雄神とは何か。
ディオスクロイの項目ではあくまで「彼らは古来の神」という立場を取る以上、英雄神については触れてこなかったが、簡単に言うと英雄神とは「ホメロス以降に語られた人間の英雄を祀り神として崇められた存在」のことをそう呼んでいる。八百万の神を持つ日本人には馴染み易い考え方ではないだろうか。
ヘレネを古い神だと定義する学者たちはこれについて様々な方法で意見を述べているが、ウェストの言が割と単純でわかりやすかったので参考に紹介したい。
彼の言い分はこうである。
英雄神は『イーリアス』などの叙事詩を元にして信仰が作られている。
古来アルカイック期~古典期において基本的にヘレネは傾国の悪女であるという描かれ方をされてきた。
しかし、スパルタなどにおけるヘレネの信仰にはその形跡は残されていない。そのため順序でいうと、神ヘレネの信仰があり、そこから叙事詩の王女ヘレネが生まれたと考えられる。
上記のような説明を行い、ヘレネは英雄神ではないと定義づけている。
(参考)イソクラテスの『ヘレネ』と彼女の不滅性について
彼女は不死を達成しただけではなく、神に匹敵する力を得た。
彼女は最初にすでに死の運命にあった彼女の兄弟を神聖なる場所に引き上げた。そしてそれらを人々に信じさせた。彼らは海の危険の中で真剣に祈りを捧げれば船乗りたちを救う力という名誉を与えました。
イソクラテス『ヘレネ』61
『Stealing Helen』にて論文中に紹介があったので、にわかには信じ難いが、面白い内容だったため参照。
これは当時の一般的なヘレネ観ではなく、イソクラテスが独自に語ったものであるという。
『Stealing Helen』においては、こうした美から始まる豊穣・出産・不死性(『エルメロイの事件簿』における黄金姫の魔術のようですね)が「神のような力」をヘレネに与え、ディオスクロイにも不死を与えたのではないかと考察している。
つまりここでは、ヘレネはまず自らの美しさを人々の知らしめることによって女神の如き不死を手に入れ、その不死の力を、死の住人となっていた兄弟のディオスクロイにも使うことで、共に神として成立したのではと考えている。
そのため、最初は美を力の源としていたものが美の永遠性からさまざまな職能を得たのではないかと考えているようだ。
例えばイシュタルも美と生産とが関連しており、興味深い。
同じような内容は次のサイトにおいても語られており、「ヘレネの不滅性」ということについては焦点がよく当たる題材のようだ。
ヘレネは死後の事が書かれるケースが少なく、後述のロードス島における「木のヘレン」が特殊であり、例えばエウリピデスのヘレネは死の淵でアポロンに救われる(メネラウスは死ぬ)や、『ギリシャ案内記』(3.19.9)によれば一部の地域ではアキレウスの妻として「白き島」と呼ばれるところに住むという。(海の果てのエリュシオン島に近い楽園だと上記サイトでは推測している)イソクラテスもまた彼女の不死性(というか死からの回避=不滅)についての想定を行っているように思える。
アッティカにおける信仰
『The Oxford Classical Dictionary』によれば、アッティカにおいてもヘレネはディオスクロイととともに信仰されており、動物の犠牲を得ていたという。
前回の「歴史の中のディオスクロイ信仰」で述べたの通り、ここではディオスクロイ(アナケス)とヘレネが完全に一体となった形で信仰の儀式が執り行われている様子がわかる文献が見つかっている。
本論とはややそれるが、岡先生の書かれた『ホメロスと叙事詩の環』においては、ネメシスを母とするヘレネ信仰と、レーダーを母とするヘレネ信仰について下記のように推測している。
テセウスがヘレネを連れ去ったアフィドナ近郊のラムヌスはかつてよりネメシス神の信仰地であり、ここにテセウスが彼女を連れてきたことはネメシスとの関係性を示唆する。一方でディオスクロイがヘレネを連れ返しに来たことレーダーとの関係を匂わせるため、アッティカの「ネメシスを母とするヘレネ信仰」とスパルタの「レーダーを母とするヘレネ信仰」が組み合わさった結果生まれた物語なのではないかというものだ。
私自身が理解しきれていない部分もあるが、興味深かったので参考としていただきたい。
ロードス島の「木のヘレネ(ヘレネ・ディンドリティス)」
さて、最後にロードス島におけるヘレネを紹介したい。
ロードス島においては、ヘレネはスパルタで過ごしたのではなく、追放されてロードス島に流れ着いたことになっている。
そこで友人であった女王の策謀にはまり、最終的にヘレネは首を絞められ死に至ったが、パウサニアス(3.19.10)によると「ヘレネ・ディンドリティス」としての聖域を得ていたという。
エドモンズの『Stealing Helen』よると、こうした「首吊による死」と、「木に成る果実」との関わり合いは前ヨーロッパ時代から存在するものとされ、一部の研究者からは少なくともロードス島においてはヘレネ自身が植物の女神や肥沃の女神であったと推測されている。
またヘレネのカルトとしては人形を木にぶら下げるものがあり、この派生形ではないかとしている。『牧歌(アイディル)』にその描写が有る。
O maid of beauty, maid of grace, thou art a huswife now;
美しき少女、恵みの少女、あなたは今や家を取り仕切る女性となった。
But we shall betimes to the running-place i' the meads where flowers do blow,
しかし我々は花が咲く場所のはちみつの上で足踏みをすることだろう(??)
And cropping garlands sweet and sweet about our brows to do,
そして私達の眉の上に乗せるための甘い甘い花輪を切りそろえます。
Like lambs athirst for the mother’s teat shall long, dear Helen, for you
母の乳房を待ち焦がれる喉の渇いた子羊たちのように、親愛なるヘレネ、あなたに
For you afore all shall a coronal of the gray groundling trefoíl
あなたのために、地を這う灰色のシロツメグサの花輪をあらゆるものの前に
Hang to a shady platan-tree, and a vial of running oil
怪しげなプラタナスの木とランニングオイル(?)の瓶に吊るす
His offering drip from a silver lip beneath the same platan-tree,
彼の供物は同じプラタナスの木の銀色の唇から滴る
And a Doric rede be writ i' the bark for him that passeth by to mark,
そしてドーリス人の忠言は、印を通り過ぎる彼のために樹皮に印を書くことです
‘I am Helen’s; worship me.’
「私はヘレネ。私を慕ってください」
And ‘tis Bride farewell, and Groom farewell, that be son of a mighty sire,
それは花嫁との別れ、素晴らしき雄親の息子である新郎との別れ
テオクリトス『牧歌』13(抜粋)
(※頑張って訳してみましたが全く自信がないため原文も併せて明記します)
『Weaving the Word: The Metaphorics of Weaving and Female Textual Production』(p156)には首をつった女神の考察が載っている。
(もしかしたらGravesの孫引きかもしれませんので注意が必要)
ここではミュケナイ時代の果物の木にぶら下げられた人形のカルトと、類似する神性としてミュケナイの大女神として古くは信仰されてきたアリアドネの「首吊り自殺」を挙げている。
先ほど紹介した『牧歌(アイディル)』にも、ヘレネの歌の中に木に花輪をかける場面がある。スパルタにおいても同様の信仰があったかは不明だが、
ルーツを似たところから発生させているものかもしれない。
また『Stealing Helen』によると、類似の例として、デルファイにおける孤児の少女チャリラの例を挙げている。(プルタルコス『ギリシャへの質問』12)。
デルフォイが飢饉の時、デルフォイ人は食事をもらうために王のもとに赴く。孤児の娘チャリラもまた王のもとに現れたが、人々は食事が十分でないために、靴で殴って彼女を追い払った。チャリラはそのために首をつって死んだ。
この後、飢饉や病がひどくなり、王は神託を得た。巫女はそれに答え、「自殺したチャリラはなだめられるべきだ」と答えた。王は今でも食事を市民全員に配る儀式を行い、更に人形を靴で殴ってその首の周りに紐を巻いた後、彼女が首をつったときにデルフォイ人が彼女を埋めた場所に再び埋める。
※ただし、エドモンズ自身は植生説に否定的であり、チャリラの例はヘレネ・ディンドリティスとは合致しないという見解のようである。こちらは肥沃をもたらすものではなく、飢餓を回避するものだからである、ということらしい。
またこれとは全く違う観点でこの儀式を考察する者もいる。
ウェストはヘレネを天空に関わる女神と捉えており、このスパルタにおける「木に花輪をかける儀式」とその他の文化における同様の儀式と天空神との関わりについて考察している。これは別の機会に述べるが、ヘレネの原型については複数の系統が考察されていることを理解していただければと思う。
ヘレネはなぜエジプトに向かうか
先程のサイトになるが、下記の考察が面白かったので紹介したい。
ヘロドトス、エウリピデスというような古代の作家が、「ヘレネはトロイには行かず、もしくはトロイからの帰りにエジプトに向かう」と話しており、ロードス島の伝承にも「流浪の果てにエジプトに向かおうとした」というエピソードを残している。
複数の作家に言及されていることからも、古くから知られたエピソードだったのだろう。
しかし、何故エジプトなのかということについて、このサイトではペルセポネに見られるような一年の移り変わりを示すものではなかったかと推定している。
ギリシャにおける四季を考えると、冬には草木は枯れ果て(神威の喪失)、また春になると蘇る。
この動きを説明するために、ヘレネはギリシャを離れる必要があった。その先がエジプトだったのではないかという推測だ。
ヘレネが植生の女神である前提に基づいた恣意的な内容となってしまう点が弱いものの、面白い推測だと感じたので紹介した。
テセウスのヘレネ拉致とアリアドネ、および「木のヘレネ」とアリアドネについて
アリアドネの糸という話はFateでも登場している。テセウスが出てきてはいないがアステリオス(ミノタウロス)との関連で聞いたことが有るだろう。
英雄テセウスはクレタ島の怪物ミノタウロスを倒すために王の娘アリアドネを頼った。アリアドネは著名な発明家などに相談しながら知恵を働かせテセウスに長い糸をもたせた。テセウスは糸を頼りに迷宮を踏破しミノタウロスを倒し、アリアドネを妻として連れ帰ろうとした。しかし途中でどういうわけかアリアドネを置いていってしまう。代わりにディオニッソスが彼女のもとに現れ、彼女を妻として娶り、不死なるものとして共に永遠に過ごした。
話によっては彼女は不死なるものにもかかわらず首吊を行おうとする。
紀元前7世紀のヘロドトスなどによれば、アリアドネはディオニッソスの妻にして、古い時代から不滅の存在とされた存在だった。
(ちなみに冠座が彼女の象徴ともされるがこれはアルゴナウティカやフェノメナ辺りから明確に言及される)
実際の信仰としても彼女はディオニッソスの妻、つまり「豊穣神」として信仰されており、しかもそもそもの起源をたどれば元来ミノアの古い文明にて女神アフロディーテと同一視された大女神であったことが考古学者の調査や発掘で知られている。
上記のことや同じ首吊の伝承を考えると、ヘレネもまた首をつって死んでいるが元来は不滅の存在であったと推測される。
テセウスの拉致については、先述のサイト(white dragon)では次の通り言及している。
アリアドネの強奪、ヘレネの拉致、ペルセポネの強奪、これら全ては同じモチーフの繰り返しになっている。彼女らは豊穣の神として崇められた存在であり、テセウスの動きは豊穣神の強奪のモチーフを3度繰り返していると推測されるのである。
このモチーフについては考察に値する意見ではなかろうか。
まとめ:女神ヘレネの信仰はどういうものだったか
さて、ヘレネに話を戻そう。
以上のことから、古代ギリシャのヘレネは神として信仰されていた部分があり、美の女神という面、豊穣の女神としての面、更に学者によっては天空神としての隠された面をもつ存在と捉えられていることがわかる。
特にスパルタのメネライオン神殿(セラプネ)は彼女の信仰の地として知られており、信仰された地域の広さからすればメネラオスよりもヘレネが重要視されていたと考えられている。
またディオスクロイと共に信仰されているケースが複数ある。
例えばアッティカやスパルタのセラプネでは共に信仰された記録が残り、他の物語や記録に置いても海の上の光としてディオスクロイと関連付けられ、それだけではなく戦場でも共に現れていた。
つまりディオスクロイとヘレネは神話のみではなく、実際の信仰面でも共に崇められており、深い関連性を持っていたことは間違いないだろう。
「物語①」で話したように、ヘレネ自体はネメシスとゼウスの間の女神とされる場合もあった。このパターンの場合は、ディオスクロイが誘拐したテセウスから助けに向かったヘレネはスパルタ王家の姉妹ではなく、純然たる女神であったと考えられる。
そしてその場合でも、ディオスクロイはヘレネを助けにくる存在だと思われていたことだろう。
このように、ディオスクロイとヘレネは単純に神話内でたまたま同じタイミングで生まれただけの存在ではなく、むしろ両者は神としても英雄としても切っても切り離せない存在であったころがわかる。
以上の話をまとめて考えると、単に傾国の美女として語られることの多いヘレネの見方も変わるのではないだろうか。
そして次の疑問は、おそらくなぜディオスクロイとスパルタの女神ヘレネはここまで関連付けられて考えられてきたのかになると思われるが、これを語るにはギリシャ神話の枠を離れて、はるかヨーロッパ全土・中東にまで視野を広げる必要がある。
双神ディオスクロイをめぐる物語も徐々に終盤が近づいてきましたが、それは次回の話とできればと思います。
またディオスクロイとカベイロイに関する「双子の豊穣の神として信仰」は考えられるかについてもまとめてみましたが、内容として入り切らなかったため、別途補足説明として挙げたいと思いますので、よろしくおねがいします。