ディオスクロイとケイローンの関係性、およびケイローンの弟子のリストの調査と出典確認

さて。今回は割と普通のギリシャ神話に関する内容ですが、ケイローンとディオスクロイの関係について調べてみました。

○ ○ ○

ディオスクロイのカストールとポリュデウケス(カストルとポルックス)は、他の英雄と同じくケイローンと師弟の関係があったとされている。
あるいはカストールのみがケイローンの弟子であるという意見もインターネットやサブカルチャー上では広く伝わっている。

日本語版Wikipediaでは、2021年11月現在、ディオスクロイとケイローンの関係は下記のように記されている。

一般に野蛮で粗暴なケンタウロス族の中で、ケイローンは例外的な存在であり、アポローンから音楽、医学、予言の技を、アルテミスから狩猟を学んだという。ケイローンはペーリオン山の洞穴に住み、薬草を栽培しながら病人を助けて暮らした。また、請われてヘーラクレースやカストールら英雄たちに武術や馬術を教え、イアーソーンを養育し、アスクレーピオスには医術を授けた。アキレウスの師傅(しふ、教育係)でもあった。弓を持つケンタウロスのモチーフは知恵の象徴であるケイローンから由来している。
『Wikipedia 日本語版 ケイローン 2022年11月版』

このようにカストールはケイローンの弟子の一人であると紹介されているのだが、日本国内のウェブサイトでは、ポリュデウケスについては明示されているものはなく、「カストールのみがケイローンの弟子であり、ポリュデウケスは弟子ではない」という扱いをされている記述が多い。

これらの情報について出典が明言されたものを私は見たことがなく、今回はこの点について深掘りをしてみた。

今回の調査内容としては、まず神話上の取り扱いとしてディオスクロイとケイローンがどのような関係性だったか、特に明記されていないポリュデウケスはどういう扱いだったのかという点や、複数のバリエーションがあるのならどのエピソードがどれくらいメジャーだったのか。というような内容を調てみることにしたい。

加えて、初歩的な内容になるが、そもそもケイローンの教えた生徒たちの話はどういったメンバーで、どういった来歴を持つのか。更にその中でも誰が主流であったかを、出典例を交えながら見ていきたい。

なお、本記事の構成として、最初に前置きで日本内外のインターネット上の情報でケイローンの弟子がどのように表現されているかを見た上で、次に各種辞典を確認するような構成をとっているので、実際のギリシャ神話上に伝わるメンバーの来歴や出典のみを知りたい場合は前置き部分は飛ばして頂き、『theoi Project〜』の章あたりから読んでもらっても差し支えないと思われます

(前置き1)日本のWEBにおけるディオスクロイとケイローンの扱い

参考までに、日本と海外のWEBサイトで、それぞれどのような取り扱われ方をしているのかについて確認してみよう。

最初に、先程紹介した「カストールがケイローンの弟子であった」という話がどこから来たものかを出来る限り確認したいと考え、まずはWikipediaにおける『ケイローン』の記事の初版を見てみたところ、次のような記載であった。

ケイロンは、ギリシャ神話に登場する半人半馬のケンタウロス族の賢者。ケイロンがクロノスとニンフのフィリラの子という説においては、クロノスは妻レアの目を逃れるために馬に姿を変えてフィリラと交わったことから、半人半馬となったという。
一般に野蛮で粗暴なケンタウロス族の中で、ケイロンは例外的な存在であり、アポロンから音楽、医学、予言の技を、アルテミスから狩猟を学んだという。ケイロンはペリオン山の洞穴に住み、薬草を栽培しながら病人を助けて暮らした。また、請われてヘラクレスやカストルら英雄たちに武術や馬術を教え、イアソンを養育し、アスクレピオスには医術を授けた。
あるとき、ヘラクレスとケンタウロスたちとの争いに巻き込まれ、ヘラクレスの放った矢が誤ってケイロンの膝に命中した。ヘラクレスの矢には怪物ヒドラの猛毒が塗ってあったため、不死身のケイロンは死ぬこともできず、苦痛から逃れることもできなくなった。ケイロンはゼウスに頼んで不死身の能力をプロメテウスに譲り、死んだ。その死を惜しんだゼウスはケイロンの姿を星にかたどり、射手座となったという。
『Wikipedia 日本語版 ケイローン 2004年8月26日 (木) 07:50版』

このように、すでにケイローンの弟子としてカストールの名前が挙げられている。つまり2004年の段階では、ある程度この認識があったことは間違いない。

次に、2004年以前の情報で 「カストールがケイローンの弟子であった」という記述に当てられるものがあるか、探してみた。
(この段階のWikipedia記事ではカストールではなく、カストル名義になっている。そこで特にカストル名義の情報を重点的に閲覧した)
探してみたところ、見つけうる限りで最も古い情報としては下記であった。

ケイローンは、クロノスと妖精(ようせい)フィリラのあいだに生まれ、正義感が強く、賢い馬人に成長しました。太陽の神アポロンと月の女神アルテミスから、音楽、医術、予言、狩りの方法などを学んで、ペーリオン山のほらあなに住んでいました。
ケイローンは、勇者ヘルクレスやカストルに武術を教えたり、のちに医術の神といわれたアスクレピオスに医術を教えたり、そのほかにもギリシアの英雄(えいゆう)たちを育てました。
星座宇宙博物館『誕生日星座の神話 いて座』

こちらにタイムスタンプはないが、ソースコード上には「98.3.11 4:24」とあり、おそらくは1998年3月の情報だと思われる。
Wikipediaの記述とよく似通っている部分がある。

また同様に下記サイトにおいても、「黄道12星座とギリシャ神話 2001(Ver2.1)」というファイルがあり、こちらにはカストールの情報はないが、いて座について次のように述べている。

アポロン、アルテミスの両神は音楽、医学、予言、狩りなどの力を彼に授けました。その後、ケイローンは先生となり、ヘルクレスやアスクレピオスなどたくさんの英雄を教え育てたと言われます。
「黄道12星座とギリシャ神話 2001(Ver2.1)」

Wikipediaと同様に、「アポロン、アルテミスからの訓示を受け」「ヘルクレスらの教師となり」「毒矢が足に突き刺さり」「星座となった」という文脈になっている。

今回挙げたのは一例だが、他にも同時代と思われる星座のサイトが複数確認できる。
大同小異あれど、多くがこれと類似した言い回しで射手座(ケイローン)の神話と成立を述べているものであり、少なくとも90年代後半~2000年代頭には、ケイローンの伝承および弟子としてカストールがいたことが周知されていたことがわかった。
またこれらに関してもポリュデウケスについて扱っているものは見つからなかった。

現在確認できているのはここまでである。
語り口の類似性から見ても、Wikipediaを含め、骨子は同じ文献から情報をとってきているのではないかという推測や、まずは星座サイト上にケイローンの弟子としてのカストールが伝言ゲームのように広まり、それが神話サイトなどに逆輸入されたのかもしれない、などといった可能性も憶測はできるものの、論拠はなく明示はできない。

またこれらのサイトでもどのようなギリシャ神話の出典を引用して記述されたものかまでは記載がなかった。

(前置き2)海外のWEBにおけるディオスクロイとケイローンの扱い

次に西洋圏でのディオスクロイとケイローンの扱いは一般的にどの様になっているかを見てみた。

手始めに英語のWikipediaの情報を確認することにした。
ここで日本と同じ伝承があれば海外でもよく知られた内容ということになり、文献が見つかる可能性はかなり上がるだろう。

だが結果は次の通りで日本のWEBサイトとは別の結果となった。

アキレウス、アクタイオン、アイネイアス、アイアース、アリスタイオス、アスクレピオス、カイネウス(カイニス)、カストールとポリュデウケス、
ディオメデス、ヘラクレス、イアソン、マカオン、メドス、メレアグロス、メネステウス、ネストル、オデュッセウス、オイレウス、パラメデス、ポダレイリオス、パトロクロス、ペレウス、ペルセウス、プロテシラオス、テラモン、テセウス
『Wikipedia 英語版 CHIRON  22:58, 5 February 2021 ver』
(和訳は筆者独自、権利はWikipediaの指定に準じる)

このように、日本の情報とは異なり、カストールとポリュデウケスの両名が入っている。(この記事にディオスクロイの名前が入ったのは割と最近で「12:51, 13 February 2019‎」(Markx121993氏追記)のバージョンにて追記されている)

こちらも出典がないため、Wikipedia編集者の誤記である可能性も考え、他のウェブサイトも確認をとった。
だがカストールとポリュデウケスの両名をケイローンの弟子であると扱っているものはあるが、日本のサイトのように「カストールのみをケイローンの弟子である」と扱ったものは見つからなかった。

また、そもそもケイローンの弟子としてディオスクロイの二人が挙げられているサイトがかなり少なく、主に出てくるのは、アキレウス、アスクレピオス、ヘラクレス、イアソンであった。

カストールとポリュデウケスの両名を扱ったサイトとしては、例えば「CHIRON Castor and Pollux」で検索してみたところ、jstor(学術雑誌の電子図書サイト)の「Machiavelli and the Interpretation of the Chiron Myth in France(1982)」にて、アキレウス、ヘラクレス、テセウス、イアソン、カストールとポリュデウケス等の有名な英雄がケイローンの弟子であった、という話が出てくる。
この論文にはアクセスできなかったため、ギリシャ神話の出典までは不明だが、少なくとも西欧圏においては、カストールとポリュデウケスの両名を弟子であるとみなす場合があり、実際にそうした内容を扱っている学術論文も存在することがわかる。

また英語圏では、カストールのみをケイローンの弟子とすることがあまりメジャーではないことも類推できる。

海外情報の確認①「theoi Project」のケイローンの弟子について

さて、ではここからは実際にケイローンの弟子はどういった人物が主だったのかを中心に整理していきたい。

最初は「theoi Project」におけるケイローンの弟子の扱いについてである。
確認したところ、本サイトで扱われているケイローンの弟子のリストは次のとおりであった。

・アスクレピオス(『イリアス』4.215他)
・アクタイオン・アリスタイオス(『ピュティア祝勝歌』9. 26他)
・イアソン(『神統記』993他)
・アキレウス(『イリアス』11. 832)
・ディオニュソス(『奇妙な歴史1巻』(プトレマイオス・ヘファイステオン))
・コキュートス(『奇妙な歴史1巻』(プトレマイオス・ヘファイステオン))

『theoi Project』 Kheiron(ケイローン)のページ

※アドニスの血を注ぐことができるのはケイローンの弟子であるコキュートスだけだったという記述がある。このコキュートスは「野生の猪に殺された」とされるので、死の川の神であるコキュートスとは別人と思われる。
※本サイト内では、ヘラクレスは「ケイローンの死」の項目でしか取り扱われておらず、弟子だとは明記されていない。

https://www.theoi.com/Georgikos/KentaurosKheiron.html

このサイトには出典と当該部分の英訳が載せられているので、よければ見ていただきたい。ここで登場する人物は皆、ケイローンとのエピソードを数多く持っていることが見て取れる。

また、彼が援助したり、医療の使い手として手助けをした人物として下記が挙げられていた。

・ペレウス(『イリアス』19. 390他)
・ポイニクス(『ビブリオテーケー』3. 175他)

特にペレウスは彼の人生の殆どがケイローンと関わり合うほど縁が深い。
(アキレウスが生まれる元になった妻テティスとの結婚を始め、ペレウスは多くの苦難においてケイローンの世話になっている。
ギリシャ神話史の発展において、先にアキレウスありきだったのか、ペレウスありきから始まった関係なのかは詳細を調べられていないが、少なくともケイローンとペレウス・アキレウス親子の関係性は古くから切っても切り離せないものであったことは間違いない)

さて、以上のように上記のメンバーは判明したが、Wikipediaで紹介されたメンバーには足りておらず、またケイローンとディオスクロイとの関係性については情報が得られなかった。

参考:ケイローンと薬学

このサイトでは、ケイローンは本来薬学と極めて縁が深い存在であるということに比重が置かれて書かれている。
深くは説明しないが、これはこのサイトに限ったことではなく他の辞典でも注意を向けられている部分であり、例えばアスクレピオスを中心に、マカオン、ポダレイリオスなど、医療に携わる存在はケイローンの弟子であるケースが多いということが書かれている。
(Harry Thurston Peck, Harpers Dictionary of Classical Antiquities:MEDICI´NAでも医療の伝授者として記載)

また、大プリニウスが「ホメロス時代にはケイローンは医療の祖として扱われていた」等の記述を残しているとの記載もある。

海外の情報確認② ペルセウス電子図書館登録の辞典の調査

次にペルセウス電子図書館を利用し、CHIRON、CHEIRON、KHEIRONでの検索を行い、辞典などを中心に先行研究の確認をした。

ただ結論から言うと、意外にもケイローンの指導した英雄のリストが書かれたような文献は見当たらず、そのうちの著名な数名が書かれているだけの書物ばかりであった。
そのため断片的なものになるが、以下に列挙する。

(記載例)
○出典元名(出版年)
 ・弟子名(項目名)
  ※更に注釈がある場合は「※」にて記載。
○『Harry Thurston Peck, Harpers Dictionary of Classical Antiquities 』(1898)

 ・アキレウス(Achilles)
  ※アキレウスの世話はケイローンとポイニクスに一任されていたと記載がある。

 ・アスクレピオス(Aesculapius)
  ※狩りと医療の技術を伝えたとある。息子のマカオンとポダレイリオスも医者であるとはある。ただしここではケイローンの弟子とは明記されていない。

 ・イアソン(Iason)

 ・ヘラクレス(Herăcles)

 ・イアソンとその息子メドス、ヘラクレス、アスクレピオス、アキレウス(Chiron)
 ※ケイローンは音楽の知識と外科手術の知識を伝授したとある

 ・ペレウス(Thetis)
※弟子ではなく友人であったとある
○『Pliny the Elder, The Natural History』(大プリニウスの『博物誌』)
 ※医療の起源はアスクレピオスかケイローンにあるという。(29.1)
 (参考)アスクレピオスがティンダレオスを生き返らせたというエピソードも紹介されている。

 ・アキレウス(25.19)
 ※アキレウスもまた医術に精通し「アキレオ」という薬草の発見者であるというエピソードがあり、医術の名手として紹介されている。
○『The Princeton Encyclopedia of Classical Sites』
 ・アスクレピオス(EPIDAUROS)
○『Commentary on Apollonius: Argonautica』
 ・アキレウス 
※ケイローンはアキレウスを始めとする多くの英雄の指導者であると紹介されている(2.510)
○『Commentary on Homer's Iliad, Books IV-VI』
 ・アスクレピオス(4.194)

 ・アスクレピオス、アキレス、イアソン、他の多くの英雄や、ペレウスの友人としてケイローンは記載されている。(4.219)
○『A Dictionary of Greek and Roman biography and mythology』

 ・アクタイオン(actaeon)

 ・アイネイアス(aeneas)

 ・アスクレピオス(aesculapius)

 ・メドス(argonautae)

 ・アリスタイオス(Aristaeus) 
※ケイローンとミューズから癒しと予言の芸術を学んだと記載。
 ※ギリシャの物語の最も著名な英雄はすべて(アキレスのように)これらの芸術におけるケイローンの弟子として説明される。
 ※アルゴナウタイの物語に登場する理由は、英雄の多くが彼の友人と生徒であるためとある

 ・イアソン(jason)

 ・リジロン(ligyron) 
※アキレウスの幼名としてビブリオテーケーで記載されているとあり、ケイローンのリストに加えられている。

 ・ケイローン(参考)
※アポロンとアルテミスから指導を受けており、狩猟、医学、音楽、体操、および予言の芸術を学んだ(Chiron) →筆者注:後述の『狩猟論』の記載と思われる

さて、ざっとだが、いくつかのリストを提示してみた。

今回確認した多くの学者らにとっては、ケイローンの代表的な弟子としては

・アスクレピオス
・イアソンと息子のメドス
・アキレウス(友人ペレウスの子)

が主たるものであると理解されていることがわかる。

またアクタイオン、アリスタイオス、ヘラクレスなども紹介されており、これらは海外のインターネットの認知度と近いものがある。

一方で、ここでもディオスクロイの名前が弟子として挙げられている辞典はなかった。
これらの研究者には、他の英雄達に比べてディオスクロイとケイローンとの関係があまり重要視されていなかったということだろうと思われる。

海外の情報確認③『パウリ・ヴィソワ』のリスト

ではディオスクロイがケイローンの弟子であると扱われている資料はないのかと更に複数の文献を確認した。

結論から述べると、最終的に見つかったので、下記に紹介したい。

本書は19世紀末にアウグスト・パウリによって刊行されたドイツの辞典『Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft』(通称『パウリ・ヴィソワ』)である。
この書物では、ケイローンが養育した者、指導した者について細かくリストアップして扱われており、ディオスクロイの二人の名前も上がっているので見てみよう。

かなり細かく一人一人記載されており、バリエーションと出典が明記されている。

※なぜか通し番号に歯抜けがあるが、そのまま紹介する。またわかる範囲で各人物の注釈を足したが、特にこれといった情報がなく既に出典の紹介済の英雄は「紹介済み」として割愛している。
また、かなり専門的な書物も多く、今回は主題でないために調べきれなかったものについては「?」マークを付けて留保とした。

a) Achilleus アキレウス
 ・ペレウスがアキレウスを連れて行く(ヘシオドス『ケイローンの訓戒?』)
 ・ホメロスは医療を学んだことのみ書いている(ホメーロス『イリアス』11.831)

b) Aktaion アクタイオン
 ・アポロドーロス『ビブリオテーケー』3.30

c) Alkon アルコン
 ・アルゴナウタイであるファレラスの父。出典が読み取れなかったがアスクレピオスとともにケイローンの弟子となったとされる場合があると書かれている。

d) Apollon アポロン
 ・アリスタイオス、アスクレピオスとの関連性から、デルフォイとケイローンとの関係性が想定されている、と書かれている。

e) Aristaios アリスタイオス
 ・紹介済

f) Asklepios アスクレピオス
 ・紹介済

g) Dionysos ディオニュソス
 ・紹介済

h) Herakles ヘラクレス
 ・紹介済

i) Iason イアソン
 ・紹介済

k) Kokytos コキュトス
 ・紹介済

l) Machaon & Podaleirios マカーオーンとポダレイリオス
 ・クセノフォン『狩猟論』他。
 ・アエリウス・アリスティデス:7.42 もか?

m) Medeios メードス
 ・紹介済

n) Melampus メラムプース
 ・コルメラ:10.349?
 ・ウェルギリウス:『地理志』3.550(https://www.stoictherapy.com/elibrary-georgics)

o) Patroklos パトロクロス
 ・フィロステファヌス『断片35?』他。

p) Peleus ペレウス
 ・紹介済

q) Phoinix ポイニクス(アミュントールの子)
 ・紹介済

s) Teiresias テイレシアース
 ・エウスタティウス『オデッセイ注釈』(1665?)

t) その他の英雄たち
 ・後述する。


『Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft』
Chiron 1a より

ここまでの項目の中にはディオスクロイが含まれていない。
とはいえ全く書かれていないわけではなく、ディオスクロイは「t) その他の英雄たち」の中に紹介されている。

Die Jagd und das Kriegshandwerk erlernten von Chiron, nach Xen. cyneg. I 1f. und Philostr. p. 176 K.:
die Genossen des Peleus und Iason bei der kalydonischen Jagd: Amphiaraos, Kastor, Meleagros, Nestor, Polydeukes, Telamon, Theseus (Stat. A Chiron I 157);
ferner andere berühmte Jäger wie Hippolytos, Kephalos, Meilanion;
und die Genossen des Achilleus vor Troia: Aias (Aineias), Antilochos, Diomedes, Menestheus, Odysseus, Palamedes, Protesilaos.
(太字は筆者追記)

ここに至り、ディオスクロイがようやく出てくる。
参考文献はクセノフォンの『狩猟論』と、ピロストラトスの『英雄論』の2つであるという。(テセウスのみ、スタティウスの『アキレウス』 I 157にも記載ありとなっているが、ディオスクロイは関連しないため今回は割愛する)

なお、この節ではケイローンの生徒として加えられた「その他の英雄達」の特徴を三つに分類してリスト化してある。

①アルゴナウタイの英雄
②著名な狩人
③トロイアの戦士たち

このうちディオスクロイは①の「アルゴナウタイの英雄」のカテゴリに分類されるものとして紹介されていた。

以上のように具体的な作品名が判明したので、実際にこれらの作品内の描写にて、ディオスクロイとケイローンの関係がどのように扱われているかを見てみよう。

古典ギリシャにおけるケイローンとディオスクロイのエピソード:クセノフォン『狩猟論』を通して

さて『英雄論』と『狩猟論』の該当箇所の内容を追ったところ、次のようになった。それぞれ見ていこう。

①ピロストラトス『英雄論(へーローイコス)』 紀元2世紀

まずは『英雄論』だが、結論から言えば本著にはディオスクロイに関する内容は登場しなかった。
ラベルの並び順は若干異なるが、引用先にp.176に該当する英訳があったので、ここで記載したい。

[§32.1]Protesilaos says that Kheirôn, who lives on Mount Pelion, “tuned” the musicians,[311] and made people just). He lived for a very long time, and Asclepius visited him as did Telamôn, Peleus, and Theseus; Herakles also often came to Kheirôn when his labors did not divert him. [§32.2]Protesilaos says that he himself shared the company of Kheirôn at the same time with Palamedes, Achilles, and Ajax.

この作品はプロテシラオスの亡霊が生前を語るという方式を取るが、ここでは彼とアスクレピオス、テラモン、ペレウス、テセウスが居たこと、ヘラクレスは自身の試練の合間にたびたび現れたこと、プロテシラオスはパラメデス、アキレウス、アイアースの4名で居た時もあったことについて書いてある。
つまり、この文献は先程あげた他のメンバーに関する情報であり、ここにディオスクロイは登場しない。

②クセノフォン『狩猟論(キュネゴイシス)』 紀元前4世紀

次に『狩猟論』を見てみよう。
こちらは次の通り英雄のリストが出てくる。

They bestowed it on Cheiron and honoured him therewith for his righteousness. And he, receiving it, rejoiced in the gift, and used it.
And he had for pupils in venery and in other noble pursuits—Cephalus, Asclepius, Meilanion, Nestor, Amphiaraus, Peleus, Telamon, Meleager, Theseus, Hippolytus, Palamedes, Odysseus, Menestheus, Diomedes, Castor, Polydeuces, Machaon, Podaleirius, Antilochus, Aeneas, Achilles, of whom each in his time was honoured by gods.

ここで挙げられているメンバーを和訳すると次のとおりである。

セファラス、アスクレピオス、メイラニオン、ネストル、アンフィアラオス、ペレウス、テラモン、メレアグロス、テセウス、ヒッポリュトス、パラメデス、オデュッセウス、メネステウス、ディオメデス、カストール、ポリュデウケス、マカオン、ポダレイリオス、アンティロコス、アイネイアス、アキレウス

このようにディオスクロイの両名の名前が出てくることがわかる。(あくまでカストール単体ではない)

なおこの後、一人ずつの英雄の概略について触れる流れなのだが、極めてあっさりした内容である。
ほとんど英雄譚らしき内容もなく、ディオスクロイについても下記の内容が記されているだけである。

Castor and Polydeuces, through the renown that they won by displaying in Greece the arts they learned of Cheiron, are immortal.

まずここでは、ケイローンによって得た名声によって二人は不死となった、というようなことだけが書いてある。
また、最後にカストールに関わる描写がもう一つだけあるが、こちらもあまり情報としては深くはない。

The Castorian is so called because Castor paid special attention to the breed, making a hobby of the business.

これは、カストールが大事に育てている品種(犬の品種)なので、カストリアンと呼ばれていると言う内容である。カストリアンとは、当時使われていた犬の種類であり、その語源を紹介する部分にあたる。

○  ○  ○

さて残念だが、以上がケイローンとディオスクロイの二人との描写のすべてであり、これ以降に彼らが登場する部分はない。
えらく淡白な作品だが、そもそも『狩猟論』は狩りの方法を紹介するハウツー本であり、神話の紹介を目的とした書物ではないため致し方ないのである。

先述の『パウリ・ヴィソワ』でディオスクロイが「その他の英雄達」とひとまとめの分類をされていた理由、他の辞典などにおいてディオスクロイの名前が明記されていない理由はおそらくこの点だろうと推測できる。
あまりに描写が少ないため、ディオスクロイはケイローンの弟子としてはあまり脚光を浴びる存在でなかった可能性が高いのである。

また、ケイローンの弟子としてのディオスクロイの設定が『狩猟論』の作者であるクセノフォンが創作したものなのか、それとも彼の見聞きしたどこかの地方の伝承に残っているものなのかは今となっては定かではない。
だが、いずれにせよ、この設定はあまり後世に伝わらなかったのだろうと思われる。
少なくとも私は『狩猟論』以降に、ディオスクロイとケイローンの師弟関係に言及する古代ギリシャ文献を見たことがない。

もちろん私の知識不足である可能性も否めないが、同様に後世の研究家の間でもケイローンの弟子としてのディオスクロイの名前がなかなか挙がらない以上、例えばアキレウスやアスクレピオスといった面々ほどには省みられていないことは事実であろう。

結論:ディオスクロイとケイローンの関係性について

さて、最後に今までの情報をまとめてみよう。

まずは「カストールのみがケイローンの弟子」という文献は存在するかという問いには、「現状では根拠となる出典が不足している」というのが妥当な答えだろう。

現在把握できるのは、20世紀初頭の研究内容までだが、そこまでにカストールのみがケイローンに師事する話はおそらく残っていない。
(仮に私が知らないだけでパピルスなどによって新たに判明した伝承が見つかっていたのだとして、それが「伝統的」なディオスクロイの描写とは言えないだろうし、少なくとも古今の研究者は認知をしていないので、どちらにしても可能性は低そうである)

加えて、先述の通り、日本国内のインターネットから辿れる情報についても明確な出典がわかるものはない以上、何らかの誤解で広まったエピソードである可能性は考えられる。

また古代ギリシャ時代の作品のうち、ディオスクロイとケイローンが関係が明示されているのは1作品のみで、これはクセノフォンの『狩猟論』(紀元前4世紀)であった。
そのため、ディオスクロイの二人は確実にケイローンの弟子として記録されていたことがわかる。だが本作中ではほとんど活躍の場がなく、ディオスクロイがどういう弟子だったかを表すような細かいエピソードまでは存在しなかった。

こういう背景を考えると、日本におけるケイローンとディオスクロイの関係性はあまり精度が高く伝わっているものとは思えない。
少なくとも今のところは、カストールがケイローンのもとで何をした、ポリュデウケスはいなかった、というような内容は出典の論拠がなく、易々と鵜呑みにできる内容ではないだろう。

その一方で、ケイローンの弟子として有名なのはアキレウス、イアソン、アスクレピオス、ヘラクレスといった面々であり、神話史において彼らはケイローンと深く結びついており、かなり古い時代から強固な関係性を持っていたということが改めて確認できた。

今回の調査は以上である。


余談①:アルゴノーツのメンバーに関する推測

『パウリ・ヴィソワ』にて言及されているように、アルゴノーツのメンバーであることとケイローン門下であることは互いに影響しあっているという研究意見は興味深い。

以前の記事でも述べたが、紀元前3世紀の『アルゴナウティカ』(紀元前3世紀)以前において、アルゴノーツのメンバーリストはほぼ残存していない。(『ピュティア祝勝歌』および一部の壺絵にそれらしきものは残存する)
そのため、紀元前3世紀以前ではどういったメンバーが古く、どういったメンバーが後の時代に追加されたのかは明確にはわかっていたいのである。

憶測にしかならないが、『アルゴナウティカ』以前のクセノフォン(紀元前4世紀)の時代に『パウリ・ヴィソワ』で言及されているようなメンバーがアルゴナウタイの一員として周知されていたとすれば、『アルゴナウティカ』以前にもなんらかの別の船員のリストが普及していた可能性はやはり高いのではなかろうか。

こちらについても引き続き、確認していくことにしたい。


※余談②:アルテミスとアポロンの言及について

『狩猟論』では、ケイローンはアルテミスとアポロンに狩猟の技を授かったということも書かれている。

『the Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology』においては、「アルテミスとアポロンから狩猟、医学、音楽、体操、予言の技能を授かった」ことが書かれており、この設定の出典を『狩猟論』と『英雄論』、『ピュティア祝勝歌9』の3つに求めている。

本記事の最初に確認した日本語のサイトにおいてもケイローンとアルテミスとアポロンの関係性について言及しているため、上記の三つの作品のうちのどれかを参考にしたものと思われる。
上記の文面を考えると引用元になったのはまさにこの『狩猟論』ではなかろうか。

理由としては文中に「カストール」が記載されているものの、『狩猟論』以外の2つの文献には「カストール」が登場しないためである。

傍証でしか無いが、ここで紹介したい。

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