英雄ディオスクロイの物語⑤テセウスからのヘレネ奪還
英雄ディオスクロイの物語を辿る最終の第五回目です。『Fate / Grand Order』のキャラクター背景を辿る目的のため、ディオスクロイの名前の表記はそちらに準じております。
最後はアテナイ王テセウスからのヘレネ奪還。Fateでは一人も関連する人物が出てこないせいか全く語られませんが、ディオスクロイを辿る上では外せないエピソードとなります。
概略
最古の文献はステシコロス(紀元前7世紀頃)だという。
「なぜヘレネを奪還に来ないのか」という名目で『イーリアス』(紀元前8世紀)に二人の名前は登場する。
来ない理由としては、「すでに土に覆われた(死んでしまった)」からなのだが、それだけ当時の聞き手にとっては、ディオスクロイが生きていれば必ずヘレネを奪還しにきて当然だと思われていたことが理解できる。
またテセウスに誘拐された際のヘレネの年齢は何パターンがあるものの、特に(トロイア戦争との年齢を考慮してか)幼少期という設定にされることが多い。
こうした理由から若いヘレネを成人したディオスクロイ達が助けに来るという「物語①レーダーとゼウス」で語った内容(同じ卵から生まれた)からすると一見ねじれた内容になっている。
一方で誘拐されたのは成人のヘレネでありテセウスとの子供がいるという異伝もあり、この場合はイピゲネイアであるという。
※一般的にはアガメムノンとクリュタイムネストラの娘とされ、トロイア侵攻においてギリシャ軍の生贄とされた少女
内容:
テセウスとペイトリオスはゼウスの娘ヘレネとハデスの娘ペルセポネを妻にするべく、くじ引きをした。
勝ったテセウスがヘレネを、ペイトリオスはペルセポネを妻としてお互いが協力することを誓った。
まずディオスクロイの二人が不在の間に二人はヘレネを奪取し、アテナイ(アフィドネの町)に移送してテセウスの母アイトラーに預ける。
その後に、彼ら二人は冥界に向かった。
冥界に向かった二人はハデスに出会う。ハデスは二人の目的を理解していた。二人は彼に椅子を勧められて座った。座らせたそれは忘却の椅子であり、二人は腑抜けになってしまった。
テセウスが冥界にいる間、ディオスクロイはヘレネを奪還するべくアテナイに押しかけた。
ディオスクロイはヘレネと、その世話をさせるべくテーセウスの母アイトラーを奪い、スパルタに戻っていった。
やがてテセウスは冥界にやってきたヘラクレスに助けられたが、ペイトリオスはヘラクレスも助けることができず、彼は冥界に繋がれたままになったのだった。
引用元:
・『イーリアス』
なぜ兄弟は私を連れ戻しに来ないのか、とヘレネが言うシーンが有る。(おそらくアパレティダイとの争いで死んだため参加していない。同時代の『キプリア』にアパレティダイとの戦いについては記載がある)
・『キプリア』断片11 テセウスとヘレン
https://www.theoi.com/Text/EpicCycle.html
ヘレンがテセウスを連れ去ったことについて「早すぎる強奪」と呼んでいる。
アッティカの町であるアフィドナはディオスクロイによって強奪され、カストロは当時王だったアフィドヌスに右足を負傷させられている。その後、テセウスを見つけることに失敗したディオスクロイによって、アテネの町は強奪を受けたという。
・『断片191』ステシコロス
原文は見れていない。
下記の辞典によれば、アガメムノンの娘と言われるイフィゲネイアはテセウスとヘレネの娘とされていたという。
https://oxfordre.com/classics/view/10.1093/acrefore/9780199381135.001.0001/acrefore-9780199381135-e-3324
・『断片5』(アルクマン)
https://www.theoi.com/Text/LyraGraeca1B.html#24
アルクマンは母親を捕虜にしたこと、その際にテセウスがいなかったことを伝えているという。
・ 『ビブリオテーケー・ヒストリカ』(ディオドロス::4.63.1–3)
https://www.theoi.com/Text/DiodorusSiculus4D.html
10歳のヘレネを誘拐した。ディオスクロイは武装してアフィドナに近づき、これを奪い返したという。
・『テセウス伝』(プルタルコス:31-34)
https://www.theoi.com/Text/PlutarchTheseus.html
・『アストロノミカ』(ヒュギヌス)
「アフィドナの町でカストロは死んだとも」というような言い回しをしている。
アテナイとの戦い(つまりテセウスの誘拐)で死んだという話は他になく、詳細不明。
文献を読んでの推察と補足
テセウスによるヘレネの強奪と、その奪還については年齢などの違いはあれど、ディオスクロイに関わる部分の大筋は同じだ。
すでに『キプリア』やアルクマンの時代から、テセウスによる拉致の内容は知られていたようだ。
テセウスとの子供を作っている場合もあれば、トロイア戦争との時系列を考慮され「幼い少女」として描かれることも多い。
ヘレネとディオスクロイが壺絵に描かれる場合はこの「奪還」のみとされており、なおかつディオスクロイはヘレネの保護者として
年上に描かれている。(同じ時に生まれたにもかかわらず)(Edmunds『Stealing Helen』p72)
この誕生の密接さと、保護者としての年齢差は面白いものを感じる。
テセウスによるアリアドネ、ヘレネ、ペルセポネの拉致に関するの考察(というより引用)については後述し、ここでは最低限の内容に留めることとしたい。
またこれとは別に、このアテネへのディオスクロイ侵攻はプルタルコスの時代(紀元2世紀)においてもアテネでよく知られており、彼らのアテネでの名前「アナケス」をもじって、「anakos echein」という言葉が「気遣う」という意味を持っていたというエピソードも有る。(『テセウス伝』:紀元2世紀)
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おそらく双子の死に関するエピソードと共に、ギリシャで崇拝された神としてのディオスクロイの原像の考察をされる上で重要なエピソードの一つです。
その辺りはまたの機会に語りますが、キャラクター的にディオスクロイの二人は姉妹想いのイケメンだということとですかね。
あとは幼児とされながら一国の王に誘拐される魅惑のヘレネは本当に一体何者なんだ…。
一方でテセウスの株があまりに下がるからという意見があり、このエピソードはアテナイでは不適当としてあまり語られなかったようです。
ディオスクロイの物語の中でも重要な話※なのですが、テセウスが未登場のFateでは全く触れられない内容ですね。
※ちなみに『Oxford classical Dictionary』にて紹介されるディオスクロイの主要エピソード三つは「アパレティダイとの争い」「アルゴノーツの冒険」「ヘレネ奪還」とされています。
さて、英雄としてのディオスクロイをめぐる物語の紹介は今回で一区切りです。
次回以降はエピソードとまでは言えない小ネタですとか、ネットで見た情報に対してのメモレベルの疑問点の紹介を行うか、もしくは次の段階として物語を離れ、史実の古代ギリシャにおけるディオスクロイ信仰について話を進められればと思います。
それではまた。
(参考文献は文中に提示していますが、後日まとめて記載します)