見出し画像

「双神」ディオスクロイの原像

おお、汝ら、勇壮なる双神よ、ここに讃えよう!
暁より光明をもて飛び立ち、人の意の如く足疾き白馬にて天を駆け給え。
海に溺れる日輪の乙女を導くが如く、死すべき我らを苦難より救い給え。
永古変わらざる黄金の車の御者よ、天の国を駆け、地の底の国を翔る、驚嘆すべき天空の神の子らよ!

 *   *   *   *

さて!
これは『Fate / Grand Order』内に登場する双神ディオスクロイの起源が一体何だったのか、わからない方向けに素人調査ながら独自に調べた内容の最終章となります。

なんなら、今までの内容は実は序章に過ぎず、本題はここからと言っても過言ではないかもしれません。
もちろん今までの内容は全て無駄ではないと考えます。一章・物語の中のディオスクロイ、二章・ディオスクロイの信仰、三章・彼らが付き従う女神ヘレネ、この3つの内容を経なければ、この疑問点が深まることもなかったはずです。
つまりはFateにおける彼らのことは、ギリシャのディオスクロイをなぞるだけでは明確な答えが得られないことに。

双神とは、ディオスクロイとは一体何者だったのか。
これは何百年もの間、歴史家達がたどってきた疑問と同じものでもあったことでしょう。

‥‥‥。
などというお膳立ては置いておいて、双子の神ディオスクロイをめぐる物語の最終パートの開幕です。

ディオスクロイの原型たる「若々しい騎手」「馬そのものの姿を取る」「太古の双子神」とは何者なのか。
「紀元前14000年前の神」がどのような形でオリュンポスの神々に統合されていったのか。
その最初の出身地はどこなのか。
それはどういった神だったのか。

なかなか素顔を見せてくれない双神ディオスクロイの素顔に少しでも迫るべく、ちょっと覗いてみてみましょう!

○ ○ ○

さて、前回分を読み飛ばしした方向けに導入を説明する。

ディオスクロイとヘレネとの奇妙な共同関係については説明したと思うが、なぜディオスクロイ(もしくはアンフィオンとゼトゥスなどを含め)は女神に近い存在に従い、これを救出しようとするのか。その神話には果たしていかなる意味があるのか。
この疑問点の直接的な解決については、ホメロス以前のディオスクロイに関する文献や遺物が見つからない限り、決して明かされることはないだろう。

しかし、十九世紀にミュラーらの手によって、インドの『リグ・ヴェーダ』がヨーロッパで知られるようになり、その中の一柱「アシュヴィン双神」に比較神話学者は強く惹きつけられることになる。

即ち、ギリシャの双神ディオスクロイとの強い関連性にである。
比較神話学者らはこれを元にインドとヨーロッパをつなぐ原型神話の一柱として「神の双子」の概念を作り上げ、様々な神話との対比を行うようになった。

※「汎インド・ヨーロッパ」仮説が真実足り得るかどうかについては様々な議論がなされている状況なので、詳細は前回を参照していただきたい。

少なくともディオスクロイがなぜ女神たちを助けようとするのか、ホメロスの作品で急に現れた彼らは一体どこから流れてきたのか。学者らはこうしたものを見極められると考えているようだ。

これらを掘り下げるに当たり、インドの「アシュヴィン双神」やラトヴィアの神「デーヴァ・デリ」を参照しなければいけない、というところまで前回はまとめた。

インドのアシュヴィン双神

前回に話をした学説を巡る現代の小難しい論争に関する話はここまでにして、ディオスクロイの起源を探る話に戻っていきたい。

次に個々の有名な双子の例について見ていこう。まずはインドのアシュヴィン双神についてである。
アシュヴィン双神はヒッタイト・ミタンニとの条約(紀元前1500年頃)において「ナサーティア(おそらくは「救うもの」の意味)」の名前で挙げられたのが初出とされる。(『 Hittite Diplomatic Texts』)
(ミタンニ王国はインド・イラン系の文化ではないかと推測されている部族である。また、このためアシュヴィン双神は本来「ナサーティア」こそ古い名前ではないかという意見もある)

またインドの『リグ・ヴェーダ』では、書の中ではインドラ・アグニ・ソーマについで四番目に多く、50以上の讃歌が与えられており、古来のインドでは重要視されていた一柱だということがわかる。(『リグ・ヴェーダ讃歌』岩波文庫)
このように(※本讃歌の成立時期には諸説あるものの)紀元前二千年紀の成立と考えた場合、ディオスクロイと比べるとおそらく数世紀、最大で千年近く成立が古い神であると推定される。

アシュヴィン双神は「太陽神の息子たち」であり、特にヴェーダ文学においては「神と人の双子」として表現されている。
後藤先生の『Asvin-とNasatya-』によれば、昼間は鳥または翼を持つ馬に引かれた戦車に乗り太陽の娘スーリヤを運んでいく・そして夜の間は海に落ちた太陽を救い出し船で運ぶというサイクルを繰り返しているという。

『リグ・ヴェーダ』において彼らは次のように戦車や馬で移動する。

一 汝らの車はこなたに向かって来たれ。アシュヴィン双神よ、鷲[に牽かれて]飛び、恵みゆたかに、支援に富む[車は]。そは人間の思想より速く、三座を有して風のごとく疾走す、牡牛[なす双神]よ。
『リグ・ヴェーダ讃歌』岩波文庫
五 スーリア(太陽神)の娘、若き乙女は、快くうべないて、ここに汝らの車に乗る、勇ましき双神よ。汝らの姿うるわしき馬、[天]翔る赤き鳥は、重大なるときにおいて汝らを運び来たれ。
『リグ・ヴェーダ讃歌』岩波文庫 

ここでは「人間の思想より速く」疾走する双神が描かれている。彼らは太陽の「光」とも表現される神格であり、fateのディオスクロイの「光速移動」の描写とよく似ている。ディオスクロイ自身は「セントエルモの火」を除き「光」と表現されることは多くないが、このあたりの描写をあわせ技にして双神ディオスクロイは権能として扱っているのではなかろうか。
(※ただしこれは日輪が天空を翔る際の(つまり馬や牡牛の)描写である。天高く翔る移動に使うのみで攻撃する際の描写ではない。ディオスクロイの「矢のごとき光」も彼らが海に惑う人々を救出に来たことを示すものなので、この戦闘技能として使う点はおそらく創作だろうと推定される)

また船を使う描写は下記のようなものがある。(加えて先程の後藤先生の論文の中にも抄訳が一つあるので併せて参照いただきたい)

おお、アシュヴィン双神よ、死んだ男が彼の富を去るように
トゥグラはブジューを水の雲の中に残した。
濡れることのない波、大気の中を移動し、あなたがたを船に連れ戻した
  
Rig Veda, tr. by Ralph T.H. Griffith, [1896], at sacred-texts.com
(1.116)(以降、本書の訳は独自)PD

後藤先生の話に逆行するようで申し訳ないのだが、アシュヴィン双神が船を使って太陽を運んでいたかは定かではないようにも見える。(当然私の調査不足の可能性も高いし、船を使っていても問題はないのだが)
例えばウェストなどは馬や鳥でアシュヴィン双神が太陽を運んだことには言及しているが船には言及していない。他にいくつかの文献をあたったが、船の描写は見られない。

その一方で彼らが海と関係深かったことは間違いない。例えば彼らの別名の一つは「アブディジャウ(「海生まれ」)」である。

また次の例では彼らは苦難にある人間がいれば海の果てであっても助けに向かっている。(更に後述のチャヴァナ(チアヴァーナ)仙の話のように若返りのすべを持つ癒し手でさえあることも描かれている)

六 汝らは驚嘆すべき技術もて、ヴァンダナを[穽より]救いあげたり、雄力もてレーバを[水中より救い]あげたり、驚嘆すべき牡牛[なす双神]よ。トゥグラの子(ブシウ)を海中より救い出し、またチアヴァーナを青春に返らしめたり。
『リグ・ヴェーダ讃歌』岩波文庫

ここでは馬ではなく牛と表現されているが、水中や穴から人を救い出す描写が描かれている。
もし双神が「天翔る赤き鳥」のような姿で、光のように海難を受けた人々を救いに現れるのだとしたらディオスクロイの表現される「黄褐色の翼」を広げて矢のように飛んでくるという「聖エルモの火」と非常によく似た描写ということになり、興味深い。

また彼らの戦車は「黄金の戦車」の御者とも称される。(『リグ・ヴェーダ』4.44.4)

また、戦神のように苦難に有る人間に悪魔を殺すための白馬を貸し与えた。

九 汝らはペードゥ(王の名)に、インドラに励まされ・アヒ(悪魔ヴリトラ)を殺戮する白馬を与えたり、アシュヴィン双神よ、部外者によりても熱心に呼び求めらるる、優勢・協力にして、先の獲物をもたらし、肢体強靭なる勇[馬]を。
『リグ・ヴェーダ讃歌』岩波文庫

アシュヴィン双神には次のように人間に恋慕するなどの物語もあり、人との関わり合いが深すぎたせいで他の神々から下等な神とみなされ、神の力(ソーマ)を得ることが遅れたとされる話も残されている。

紀元前8~7世紀頃に描かれた『シャタパタ・ブラーフマナ』においては、アシュヴィン双神は仙人である老チャヴァナの妻スカニヤーに恋慕し、これを奪おうとした。スカニヤーはこれを断ったが、双神は夫チャヴァナを若返らせる。代わりにチャヴァナかアシュヴィン双神の誰か一人と再び結婚相手を選ばせるとした。泉にチャヴァナを付けると彼は若返ったが、アシュヴィン双神は若返ったチャヴァナそっくりの姿で現れて惑わせた。しかし、スカニヤーは見事チャヴァナを選んだという。

次に『マハーバーラタ』においてこの後の話も残されている。
チャヴァナはアシュヴィン双神に感謝し、彼らにソーマを与えようとしたが、インドラ神はこれを許さなかった。医神(アシュヴィン)は人間の間に長くいた労働者であり、ソーマにふさわしくない低級な神だからという。チャヴァナはマダという怪物を創造してインドラを脅し、アシュヴィン双神にソーマを飲むことを認めさせた。

先程述べたように、彼らは奇跡的な治癒能力を持ち、蜂蜜のついた棒で触れることで死すべき人々を救う医療の神としても信仰を受けていた。チャヴァナを若返らせたことなどはその最たる例だろう。

また『マハーバーラタ』に描かれたように、人と近づきすぎたために下等な神とみなされることもあれば、チャヴァナのように重要な一柱とみなされることもあったようである。
これも「英雄ともされ神としても信仰された」ディオスクロイと類似するところがある。ディオスクロイもまた二章で見たように「人と近しい神」であった。もしかしたら彼らも英雄(低位の存在)とみなされたのはこうした神としてのスタンスが関連していた可能性はあるのではなかろうか。(個人的推測)

他にも『ラーマヤナ』にも登場するなどの活躍もあり、インドでは古くから大変信仰の多い神であった。

以上のような話を鑑みると、古来より重要視された神であり、太陽の運び手であり、人間に極めて近しい神であり、人々の救出に力を注いだ神であることがわかる。


間話 神と人の双子はどこまで遡るか

ディオスクロイ・アシュヴィン双神共に「神と人との双子」として記載がされていることは注目に値する。
先述の通り、ディオスクロイは最古の文献から神か人かは判明しなかったが、アシュヴィン双神はどうか。
アシュヴィン双神が「人と神とのペアなのか、神のペアなのか」については、下記のように文献によってばらつきがある。

①『リグ・ヴェーダ』においては神と人とのペアとして描かれる。(1. 181.4)
②プラーナ文学においては共にスーリヤ神の息子として登場する。

つまり、ディオスクロイと同じように「人と神のペア」「純粋な神」としてどちらにも語られることがある神である。ただし前者は紀元前二千年紀、後者は紀元前3世紀頃と成立時期には非常に大きく差があり、より古い形は「人と神のペア」であったと考えて良いだろう。

だがなぜ、人と神との英雄となったディオスクロイといい(ゲーム内の彼ら流にいうならば「英雄に堕した」)、アシュヴィン双神といい「人と神の複合」になるのか。
この神と人とのペアについては、ギランの『ギリシア神話』(青土社)にて面白い説が書かれているので紹介したい。

ギランによると、人間の原始的な発想では本来「人は子供を一人産むことが通常」と考えられていたとする。双子は自然の摂理に反して二人の子供が生まれてくるが、これはいわば忌子であり、いずれかが神の子であるためであった。つまり一人は人間の父の子だが、もうひとりは超常的な存在の子が人間の体を経由して現れたのだと考えられた。というものだ。
よってディオスクロイやアシュヴィン双神といった「人と神の双子」はなんらかの神話の変遷が影響したものではなく、より根源的な人類の「双子の特別視」に根差しているのではないかという見方をしている。

これと類似した内容はハリスの『The Cult of the Heavenly Twins』(1985)にて詳細に記載がある。

ここでもディオスクロイやアシュヴィン双神の「神と人のペアの成立」をギリシャやインド・イランの伝承よりも古く捉えている。「ディオスクロイが星との関わり(双子座もしくは明星)の中で人と神に分けられた」話よりも一層遡るものだと考えている。
次に例に上げるのは、ハリスの南アメリカのインディアンとアフリカの部族における双子の捉え方についての概略である。

南アメリカのエセキボ川沿いに住むインディアンに双子が生まれたとき、その土地の魔術師は「一人を精霊から生まれた者、一人を人間から生まれた者」と判断したという。
双子は二重の存在であり、一人は「目に見える形での存在(人間の父)」、もう一人は「目に見えない形での存在(超常存在の父)」と定義する。また産んだ母親は変えようがないが、父親は二重の存在にできることが、「神の父と人の父」の二重存在の話につながるということのようだ。(神の母、人間の母ではない)確かにディオスクロイもアンフィオンとゼトゥスも、ヘラクレスとイピクロスも、アシュヴィン双神も全て父親が異なる双子であり、母親は一緒である。
著者はこれらの地域における「目に見えない超常存在の父」の名前を「オリュンポスの父」に当てはめれば、ディオスクロイとほぼ変わらない形となると考えている。

この書では双子のタブー視およびこのタブー視から派生した超常の力による双子の神秘性について、この後も複数の地域の例をもとに考察しているので、興味があれば詳しく追って欲しい。

簡単にまとめるとギランやハリスの主張するところはこうである。

この「一人の母の腹から産まれる不気味な二人の子供とその特別視」という発想は極めて原始的な感情であり、人が星の動きを観測するよりもはるかに古い発想のはずである。
これが根元にあり、「太陽の中に消える明けの明星、宵闇の中で消えていく宵の明星から生まれた代わる代わるの死と復活(のために人と神のペアとした)」という発想は、かなり時代が降ってから(人々が夜空を観測するようになってから)当てはめられたものではないかと推測している。

ラトヴィアの「デーヴァ・デリ」

さて話を戻して次の例を見てみよう。
次に紹介するのは、「デーヴァ・デリ」である。

これはラトヴィアの『民謡(ダイナ)』という数行程度の詩に登場する双子の神の名前であり、「デーヴァ・デリ」とは文字通り「神の子供」を意味する。
学術的には、このラトヴィアの『民謡(ダイナ)』の起源は深いところまで追求できていない。何故ならばラトヴィアの詩が収集された時期は比較的新しく、それまでは口頭でのみ話が伝わっていた為だ。(紀元16世紀頃収集開始)
しかも近代になるとソヴェエトによる民族運動の弾圧もあり、長年捜査が進んでいなかった地域の一つだった。こうした旧ソビエト地域の神話や伝承は近年民族復興とも関連して大いに研究が進められている。(例えばアルメニアやコーカサス地方なども)そのため古いものもあれば新しいものも混ざっていると思われる。

収集された『民謡』の内容の一部は、明らかにインド・イラン人の物語と関連している。例えば「デーヴァ」は『リグ・ヴェーダ』や『アヴェスター』にも登場する神の名前である。しかもイランでのデーヴァは時代と共に悪霊化していき、『アヴェスター』や『シャーナーメ』などの時代になると完全に悪意のある存在となる。ラトヴィアのデーヴァは悪意のない神であり、極めて早い時期に分化したものと考えられる。

さて。これらの『民謡(ダイナ)』には太陽の女神サウレの娘たちと、神の子供らであるデーヴァ・デリとの短い詩がいくつも挙げられている。
デーヴァ・デリは馬が引く戦車に乗って太陽を運び、夜は黄金のボートで海を渡るのである。

『Latviešu tautas dziesmas』のサイトに書かれた情報に基づき、いくつか内容を挙げてみよう。
最初に番号を、次に概略を記載した。丸括弧内は話をわかりやすくするために筆者自身が追記したもので、元々のサイトにあるものではないため注意いただきたい。

・33969(海難の神)
太陽の娘は海に入る。神の子は船に乗り彼女を助けに行く。という内容。

・33811、33812(船旅)
太陽が夜間、海の上を船旅している、という内容がある。

・33819(太陽の娘との関係)
太陽の娘と結婚するために神の子によって〜、という下りがある。

・33798等(馬と戦車)
これらの馬や戦車は誰のためにあるのか。
妻である太陽の娘のために。というくだりがある。

・33814(日没)
草原の果てでデーヴァ・デリが太陽の娘を呼んでいるという内容になっている。

・33801(灰色の馬)
太陽の扉の前に立つ灰色の馬は何者か。太陽の娘を妻に持つ神の子である。というような話。

・33876(黄金の騎手)
海からやってくる二頭の馬には黄金の手綱と黄金のあぶみがあり、騎手自体の足も黄金だった、とある。

※Google翻訳を駆使して読み解いてみましたが、誤り箇所も多いも思いますので、わかる方がいればご指摘いただきたく。

わかりやすいものだけをピックアップしてみたが、これ以外にも多くの「太陽の娘」と「神の子供」の物語が書かれていた。

このように「デーヴァ・デリ」は「太陽の娘」を妻に持っており、黄金のあぶみを持つ騎手であり、灰色の馬とも呼ばれ、船にも乗る存在であったことがわかる。この神は海に降りた太陽を船で助け、夜間は船旅を行う存在とされている。

このように見ると、「アシュヴィン双神」と「デーヴァ・デリ」との関連性は明白である。
「太陽の娘」「黄金の戦車」「天を馬でわたる双神」「夜には太陽の娘を助ける双神」「神(デーヴァ)の名前を持つ存在」。
これらの共通項を見れば、たしかに偶然の一致とは思えない。
となると、この遠く離れたインドとラトヴィアの「双子の神」の間には何らかの共通の神話(あるいはモチーフ)があったと考えるのは自然の流れであろう。そして次に考えることとして、アシュヴィン双神とよく似た性質を持つディオスクロイについても同じような共通項を探すこともまた妥当なことだろう。

となるとギリシャのディオスクロイにおける「太陽の娘」は誰なのか。「天を馬でわたる双神」「夜には太陽の娘を船旅で渡す双神」はギリシャに存在しえるのか。

それを探る前に、そもそもこのラトヴィアやインドの「双子神はどのように生まれたと考えられているか?」について、学者らが考えている内容を二つほど紹介したい。


双神の信仰の原型はどこから生まれたのか?

さてこれらの双神、特にアシュヴィン双神は極めて成立が古い神であり、彼らが元々はどういう信仰から生まれたものなのかというところについては多くの議論がある。
岩波文庫の『リグ・ヴェーダ』によれば、「その起源が早々に失われた神の一つ」と書かれており、その原型がいかなるものであったかについては学者内でも完全には合意できていない。
アシュヴィン双神の原型について、先述の『 Asvin-とNasatya- 』(後藤敏文氏)にて各学者の説が紹介されているので、参考にその例を書きたい。

・インドにいた救済聖者(GELDNER)
・明けと宵の明星(OLDENBERG,GUNTERT他)
・双子座(WEBER)
・雨神
・太陽と月(MILLER,LUDWIG)
・薄明(GOLDSTUCKER,HOPKINS)
・地上の王など。

とこのように多様にわたる。
アシュヴィン双神の原型の中にはウェーバーらが提示したように、双子座も存在している。
ただし紹介した『 Asvin-とNasatya- 』や、ウェスト、(ゲームのディオスクロイの元情報の一つと思しき)ちくま文庫の『ホメーロス諸神讃歌』に挙げられているのは「明星説」となっており、他の論文においても「原型は明星であったようだ」と書かれていることが多い。

どうやら現在の主流は「明星説」となっているようだ。
その為、ここではまず明星説の概略を参考として紹介し、続いて双子座説の信奉者達の意見を記載したい。

双子神の原型①:明星説

では明星説をみよう。
各記述の主張と重要と思しきポイントを抜粋しているが、本来の論文の主張を誤って捉えないためにも、万が一これらの内容を引用される場合は可能な限りそれぞれの原文を参照いただくようにしていただければと思う。

・明けの明星、宵の明星ともに太陽を先導するような位置に当時する二つ星である。(後藤)
・金星は現れた時に太陽に近づくような動きを見せる。これが太陽を「助ける動き」と捉えられたのではないか。(Wikipedia より)
・明星は朝と夕方に出現する。インドにおける朝と夕方の儀式的な重要性が根幹にあるのではないか。(ただし日が長くなることは尊ばれたが、闇や眠りは忌避されたことから、やがて宵の明星は明けの明星に吸収されたのではないか)(後藤)
・夜間海を渡る動きをすることが、ディオスクロイの持つ海難救助の神としての特性に結びついた。特にブシウを海から救う物語があり、これはインド・イラン共通時代の神話に遡る(OTTINGER IIJ 31 299-300)(後藤)

また私見だがこちらも参考に加えたい。

・ラトヴィアの神話では、太陽と月は夫婦だったが、月は金星の女神に浮気をし二人は別れた。その罰に月は満ち欠けするようになった。異伝ではその金星の女神は太陽の従者であったという。このようにインド以外の地域でも太陽と月は明星と縁深いものとされている。
・メキシコのケツァルコアトルとショアトルについても共に太陽と関連し、金星の化身とされ、犬の姿の神ショアトルは夜間太陽を助けながら地の底をゆくという。こうした背景からも、太陽と金星との結びつきは印欧のみならず普遍的な内容ではないかと推定される。
(独自調査による推測、Wikipediaベース)

この説の弱点としては、下記が想定される。

・アシュヴィン双神は二人一組で動く神であるが、なぜ一人ずつでしか現れない明星を二人一組で行動する神としてにまとめる必要があったのか。

この点については疑問は残る。(これについては先述の論文内で後藤先生が意見を述べているので、興味ある方は一読ください)
以上である。

双子神の原型②:双子座説

もう一つ、参考に双子座起源説を紹介したい。

残念ながらウェーバー自身の説は追うことができなかったが、他の学者の中には、下記のような理由を挙げている者がいた。(『ヴェーダの神々の本質について』アンジェリーナ)

・asviniという単語には『二つの星』と関連づけられる。(アンジェリーナ)
・近しい存在であるディオスクロイは双子座と呼ばれている(アンジェリーナ)
・双子座は二つが同じ場所に現れ、1日ごとに現れては沈んでいく。あるいは半年は天空にあり、半年は地下にあることからディオスクロイの半分は地下に半分は天にという内容を説明できる。(アンジェリーナ)
・黄道のおうし座はインドラと関連づけられる。また双子のすぐそばには「戦車(馭者座)」がある。太陽は『双子』の戦車に乗る。即ち戦車は双子の持ち物であり、黄道との深い関連性が見える。(アンジェリーナ)
これが彼らの訴える理由である。加えてこういう内容も見つけたので紹介しよう。
・黄道は太陽を助けるものとされた。(独自調査による推測、Wikipediaベース)

しかしこれにも反証がある。

・彼らの職能である太陽の運行を導く性質との関連性が見えない。(夜間共に現れるならば導けない)

以上である。

○ ○ ○

さて、いずれにしても、「デーヴァ・デリ」や「アシュヴィン双神」から推測される「神の双子」は元来、天の運行に関わる存在として生まれたことは間違いないようだ。太陽の運行を存在として朝も夜も太陽を引き、おそらく夜明けと黄昏などとの関連が深かったと推測されている。彼らがもともと明星なのか、双子座なのか、はたまた別のなにかだったのかの議論は置いておくとしても、この点は変わりないだろう。そして「太陽」を助ける性格が、死すべき苦難の人々を救済する神性と派生し、戦場を救う軍神の性格を持つようにもなり、旅(特に船旅)の守護者ともなり、治癒能力を持ち人々に寄り添う神としての性質につながった。
また日中は太陽を馬や戦車に乗せて空を駆けることから馬や鳥との、太陽が沈んだ後は船に載せて海を渡る性質から船との関連性を得た。
こうした内容が見て取れる。

ギリシャのディオスクロイに「太陽の娘」達は存在するか

さて、しかしここで一つの問題が有る。
ディオスクロイと「神の双子」を語る場合、ディオスクロイには彼らに必要とされる一つの大きな特徴が抜けている。それは「太陽の娘を馬車に乗せて牽く」というもっとも基本的な職能である。

「神の双子」と「太陽の娘」は助け助けられる存在であり、また婚約者でもあった。ディオスクロイの婚約者はレウキッポスの子レウキピデスの姉妹であり、ディオスクロイが救う存在はヘレネである。
彼女たちは果たして「太陽の娘」と捉えることができるのだろうか。

主にウェストの『Indo-European Poetry and Myth』(2007)の先行研究を受けて、この内容を確認してみたい。

レウキッポスの娘たち(ヒーラエイラとポイベー)

ヘレネについては前回に大きく取り上げたが、レウキピデスについては紹介していないのでここに詳細を記す。

神話では、アパレウス、ティンダレウスと同じく、レウキピデスの父レウキッポスも彼らの兄弟であったとされる。彼女らはイダスとリュンケウスの二人と結婚する予定だったが、ディオスクロイに強奪されて彼らの妻となった。
この「レウキッポスの娘達(レウキピデス)」もまた、二つで一つとして語られる女神でもあり、彼女らの父の名前も「白き馬」を意味する。
またディオスクロイ自身も(おそらく)「白き馬」と呼ばれることもあったとされ、後世におけるディオスクロイの乗騎もまた白い馬である。(ピンダロス『ピュティアの祝勝歌』BC470等)

またレウキピデスはディオスクロイらと同じ神殿などに祀られていた。
レウキッポスの娘達はアテネ、アルテミスに仕える巫女でもあり、太陽神アポロンの娘とされる場合もあった。

ロバート・グレイブスは彼女達は「月の女神の戦車を引く女神達でもあった」としている。(※但しグレイブスの主張は学術的な裏付けを持たない場合があるので注意が必要)
加えて出典こそ見つけきれていないが『theoi project』には、ポイベー(月の輝き)とヒーラエイラ(そっと輝く)との話が書かれており、「ヒーラエイラ」と「ポイベー」という言葉は、2頭の馬を空から駆り立てた月の女神、セレネの代名詞でもあったと記載している。(抜粋元がグレイブス作品の描写の可能性は残る)

なお、パウサニアスはスパルタにある彼女らの聖域について下記の通りに述べている。

(ここは)ヒーラエイラとポイベーの聖域です。詩の『キプリア』では二人をアポロンの娘と呼んでいます。彼女らの巫女は、(女神と同じで)レウキピデスと呼ばれる若い乙女です。(『ギリシャ案内記』3. 16. 1)

この点について、ウェストは次のように考えている。

ヒーラエイラとポイベーは「白い馬」(あるいは太陽神アポロン)の巫女であり、同時に女神でもあった。またヒーラエイラとポイベーに仕える巫女たちも彼女ら自身と同じく「レウキピデス」と呼ばれており、ヒーラエイラとポイベー自身が巫女であることの証左ともなる。彼女らは「太陽神の娘」でもあったが、同様に「白い馬たるディオスクロイの巫女」であったものが女神・妻と呼ばれるようになったものかもしれないとする。

他にも、パウサニアスの話では、アルゴスにてディオスクロイや子供たちとともに祀られていたという記載が残る。(2. 22. 5)

「太陽の女神」の強奪の類型(ナルト叙事詩のソスランを元に)

姉妹の父レウキッポス(白い馬)を太陽神と想定した場合、ディオスクロイの「花嫁レウキピデスの奪取」について、『ナルト叙事詩』(オセチア神話)の一例を上げてウェストは語っている。

『ナルト叙事詩』の英雄ソスランは「太陽の娘」と結婚をするために地下の死者の世界をめぐる。その後にようやく結婚し、彼らは夫婦となる。その後、「太陽の娘」はヒースの要塞にて誘拐され、ソスランは軍団を率いてこれを再び強奪し返す。

ヘレネ、レウキピデスはそれぞれテセウスやアパレティダイとの関連を持ち、ディオスクロイによって奪還された・あるいは強奪した女性たちである。(と同時に、アシュヴィン双神についても他人の妻を奪おうとした話が残されており類似性を持つ)

このナルト叙事詩のソスラン、ディオスクロイのあり方を考えると、「太陽の娘の強奪」という話には何らかの根源的なモチーフの存在が想像される。
つまり

・結婚を行うためには地下世界をめぐる必要がある。
・太陽の娘は強奪するか強奪され、花婿は軍勢を率いてこれを奪い返す。

の二点である。

またウェストに言わせれば、こう考えると、例えばアパレティダイからのレウキピデスの奪取、イダスとマルペッサの話※、テセウスとペイリトオスによるヘレネやペルセポネの強奪、テセウスとヘラクレスによるアンティオペの強奪、アガメムノンとメネラオスによるヘレネの強奪のためのトロイア侵攻、果てはロムルスとレムスによるサビニ族の女性たちの強奪について、もしかするとほとんどが同じモチーフをなぞったものの可能性があるという。

※アパレティダイのイダスは、海神ポセイドンから受け取った戦車を使って妻のマルペッサを奪い、その後、神アポロンとも奪い合いをし彼女を妻にしている。

ヘレネと「太陽の娘」

ヘレネはディオスクロイから苦難の救出を行われる、あるいは強奪される存在として描かれる。
ディオスクロイとともにヘレネが現れ、戦争の神、船乗りの神として(救難の神として)現れるのは彼らの天空神としての職能の一部を共有しているからだという見方もできる。

また彼女は「ガチョウの卵」から生まれた存在でもある。(サッフォー)
ガチョウの卵から生まれたエストニアの太陽の娘「サロメ」は目をみはる美しさの少女であり太陽、月、そして星々の最年長の息子に求められたが、彼女もまたガチョウの卵から生まれたものだという。(ウェスト)

ウェストはラトヴィアで行われた「太陽の娘」の結婚式の描写を書いている。
ここでは「木」や「柱」が重要視されており、彼女の結婚式が行われる時、太陽や「神の御子」らは、緑の布、金の指輪、その他の装飾品で木を飾る。類似の慣習は北ヨーロッパや東ヨーロッパでも行われており、これらは夏の初めの5月に木を色とりどりのリボンや装飾品、卵の殻などで飾る「皐月の女王(メイ・クイーン)」のものだという。更に古代インドの儀式の中では、車輪をぶら下げた柱に手を届かせることを「太陽に達した」ということが言われており、柱と太陽との関連が伺われる。

また他にも競争が行われていた様子も描かれている。「太陽の子どもたち(あるいは太陽自身、もしくは少女)は森の端で輪になって踊る。金のガードルを私にかけると母なる太陽は群衆に参加する」という。アシュヴィンはスーリヤを太陽に向かって走る戦車のレースで妻とした。ドイツの一部の地域ではリボンなどで飾られた馬や徒でのレースが行われて、勝者は「皐月の王」となったという。

これらの様子を見ると、第三章の「ヘレネ」で語った彼女のスパルタの儀式の内容と、「太陽の娘との儀式」との類似性も見えてくるのではないだろうか。

○ ○ ○

さて、以上のように「太陽の娘」としての観点からディオスクロイとヘレネ、ディオスクロイとレウキピデスの関係性を見てみた。
これらを見てみたときに、果たして彼女らが完全な「太陽の娘」との相似性を持っていると言い切れるだろうか。
個人的な意見としては、個々の例の細部を捉えるならば、彼女ら(特にヘレネ)が間違いなく天空神であるという決定的な内容はないように思える。故にヘレネを天空神と見るか、豊穣神と見るかについては、学者らの間でも決着がついていない印象を受けており、実際に反論を行っている文献も見たことがある。

だが、それぞれの部分として捉えずに全体を俯瞰して考えてみるとどうか。

レウキピデスは太陽神と関わりの深い白い馬もしくはアポロンを父とし、ディオスクロイを夫とし、「強奪」を受けて妻となった。彼女ら自身も巫女であり、同時に「白い馬」そのものでもある。

ヘレネは他の太陽の娘とも関わりのある「卵生」の存在であり、ディオスクロイによって窮地から救われる、もしくは要塞を攻めて「強奪される」という共通のモチーフを持つ。これはテセウスからの奪還もそうであるし、ディオスクロイの死後に彼らの代役として現れた「兄弟」のアガメムノンとメネラオスらもしかりである。また豊穣の儀式とも捉えられる木の儀式は、太陽の娘たちの婚姻の儀式との関連も類推できる。

このように見ると、決定的ではないにせよ、彼女らが無関係と言うことも難しいのではなかろうか。
ディオスクロイとヘレネ、レウキピデスが「天空神」そのものとして信仰されていたかまでは保留したとしても、少なくとも彼女らに「太陽の娘」としての属性の一部は受け継がれており、ディオスクロイとの関係性を持っていたという点は十分可能性としてあるだろう。

ギリシャの太陽と月、地下世界と太陽の門

続いて、古代ギリシャの世界観において、「天を翔る黄金の馬車」「地下や船で夜をめぐる太陽」といったような記述が存在するのかどうかについて見てみたい。

結論から言えばそれは描かれている。
しかしそれはディオスクロイでもなければ「太陽の娘」でもない。
太陽神ヘリオスに関してである。

そもそも古代ギリシャ人が地理や世界をどのように考えていたのか、彼らの世界観を見てみよう。

まずはホメロスの『イーリアス』から下記シーン。

(ヘファイストスがアキレウスの盾を作るシーン)
「盾の表に鑄造るは緑の天と海洋と、
大地と倦まぬ日輪と、團々缺けぬ月輪と、
天を飾りて連れる無數の高き星宿と、
プレーイアデス、フィアーデス、更に堂々のオーリオーン、
更に車輪の異名呼ぶ大熊星の座ぞ高き、
同じ處をり行きオーリオーンを眺め見て、
オーケアノスの潮流に彼のみ漬ひたることあらず。」
『イーリアス』(ホメロス:青空文庫より)

ここに書かれているのに重要なことは、日輪と月は疲れを知らぬものとされていたこと(これはアシュヴィン双神にも見られる)、星々は世界の果てにある海オケアノスに沈み清められる存在であるとみなされていたことだろう。

彼(ヘリオス)は黄金の戦車と馬に乗り‥‥天国のもっとも高いところから、オケアノス(注:引用元ではOcean)に再び駆け下りる。
『ホメーロス風讃歌』31 ヘリオス

ヘリオスは黄金の戦車に乗り、海に沈むものとされていた。
またピンダロスの『ピュティアの祝勝歌5』にてディオスクロイ・カストロも黄金の戦車に乗る様子が記載されている。

またステシコロス(『断片17』:『デイプノソフィスタイ』より)によって、ヘリオスが黄金のカップの船に乗ってオケアノスをわたる描写があるという。ヘラクレスはヘリオスからこの船を借り受けてオケアノスを渡り、最果ての島に住むゲリュオンを倒している。

またオケアノスと冥府とのつながりについても考えてみたい。

そしてそこには、不死の神々に嫌われた女神、恐るべきスティクス、逆流する海の長女がいます。‥‥‥遠く広大な地球のはるか地の底で、オケアノスの支流が聖なる小川から暗い夜へと流れ、その水の10分の1が彼女(スティクス)に割り当てられます。
ヘシオドス『神統記』775~

ヘシオドスはオケアノスと冥府と現世を渡す川の女神スティクスとの関係について上記のように語っている。
ここではオケアノスと冥府は共に世界の果てにあり、繋がっているものだと思われていたことがわかる。

そして彼らがオケアノスの海とレフカダ島の岩(白き岩)を通過し、太陽の門と夢の国にやってきた、そして遂にもはや労働もできない影と魂たちが宿る水仙の牧草地(※冥府)へとたどり着いた。
ホメロス『オデュッセイア』24.1

『オデュッセイア』においては、冥府の入り口は最果ての海オケアノスを超え、レフカダの岩を超え、太陽の門と夢の国の先にあるものと描写されている。
古代の世界においてはこれらは地続きのものであったというのはおかしな話ではない。異界や死者の国は世界の縁にあり、もともと地続きだったという話は古今東西よく見られることだ。身近な例で言えば、例えば日本の民話においても、浦島太郎が亀に連れられていった蓬莱島(あるいは沖縄のニライカナイなども)は元来は水底ではなく海の果てにあるとされていた異界である。また死者の国である「根の国」も元来は徒で行ける地続きの場所であった。さらにアーサー王がたどり着いたという死を超越した常若の島アヴァロンも海の果てにある島の名前である。
つまりオケアノスの果ては死後の世界(地下の世界)にほど近く、太陽が昇り沈む最果ての海はこうした領域にあるものと考えられていたのである。

オケアノスの果てにある島々は楽園とも考えられており、第三章で述べたヘレネとアキレウスが婚約を果たした「白い島」との関連性も想定できる。

○ ○ ○

さて、以上に見たように、ディオスクロイそのものには太陽を運ぶ逸話はなく、太陽を救い出す性格自体も失われていると見ても良いだろう。だがその「世界観」自体は太陽神ヘリオスに引き継がれており、彼の牽く「黄金の馬車」はインドのアシュヴィン双神やラトヴィアのデーヴァ・デリと同様の動きを繰り返している。

更に太陽を牽かなくなったとはいえ、女神(かそれに類する存在)の救い主としての性質はヘレネやレウキピデスの伝承に残り、天国と冥府を渡り歩く性質は彼らの死と復活の神話との関連性を強く結びつけられていたであろうことはこれまでに紹介したとおりである。

汎印欧神話仮説と「神の双子」

続いて、「汎印欧神話」仮説における「神の双子」がどのようなアーキタイプモデルであるかを見ていきたい。内容は英語版ウィキペディアの情報及び、ウェストの『Indo-European Poetry and Myth』(2007)などを参考とさせていただいた。

前回述べたアンソニーによる修正版の「クルガン仮説」に従えば、「汎印欧語」を話しだした最初の民族は紀元前6000年頃にカスピ海沿岸に始まり、紀元前3500年以前に印欧祖語を話し始めたという。
この段階で彼らが共通の文化を持っていたかは定かではないが、印欧に伝わる神話の共通の起源の存在を想定する比較人類学者達は、彼らの中で共通する複数の神々が信仰されていたのではないかと推測しており、この中の「神の双子」に関連する内容について説明したい。

まず「神の双子」の親は「天空神」であるとされる。「天空神」は著名な神であり、人々に公平をもたらす神ではあったがゼウスのような最高神ではなく、正義の執行者ではなかっただろうという。(言語学的にはディーヴァ、デーヴァ、デウスともに共通の語源である可能性が高いと言われている)

また彼は「大地」の夫だが、必ずしも子供は両者の血を引くわけではない。
「神の双子」「夜明けの女神」「太陽の娘」には母親はおらず、この「天空神」による単独の子供とされる。(アテネやヘファイストスのように)

「神の双子」自身は「太陽の娘」もしくは「夜明けの女神」と関連づけられ、馬に乗って太陽を引っ張る戦車に乗るか、もしくは彼ら自身が馬とされた。
(※彼らが馬に乗る理由:馬や戦車に乗る理由は紀元前3500年頃に乗馬が、その後紀元前2000年頃に戦車が開発されており、その開発時期に影響を受けているからだという)

夜には太陽を黄金の船に乗せ、暗い海を渡る。その際「夜明け」を海難から救い出す。そして明け方に明星を目指して空を飛び上がり再び天へと返り咲く。彼らの職能は別れており、一人は若き戦士とされ、一人は癒し手であるか家事と関連するとされた。
(カストロが「世俗の軍事」(馬の名手・戦の名手)に関わる二つ名を持ち、ポルクスの代名詞が「聖職者」のようなニュアンス(高貴なる・潔白な)であることも対比を感じさせる(個人感想))

「太陽」自体は女神とされており、「神の目」とも形容される。

「夜明け」は1日の始まりに現れ、彼女は不滅であるか夜明けに生まれ変わり、天国への門を毎朝開く。

このような存在だと学者たちは想像している。
これらの内容を見れば、ディオスクロイの起源がどういうところから始まったのかについて、大まかな原型が見て取れるのではなかろうか。

※あくまでも現状では仮説であり考古学的な発見に基づいたものではないことは注意されたし。今後の研究に期待したい。

その他の地域の『神の双子』達

最後に紹介程度にはなるが、二人一組の神をいくつか紹介することで見えてくるものがないかを考察したい。
またこれまでの「アンフィオンとゼトゥス」、「カベイロイ」、「レウキピデス」などについては紹介済みのため、割愛することとしたい。

  (A)リトアニアの馬信仰(アシュヴィエナイ)とラタヴィアのウシンシュ(Diẽvo sunẽliai/Ašvieniai)『リトアニア』『ラタヴィア』

リトアニアの神々(デーヴァ)はラタヴィアの「デーヴァ・デリ(神の息子)」などに見られるように、ヴェーダとの関連性が示唆されている。
更に下記サイトによるとリトアニアにおいては馬が深く信仰されたという。馬は人語を介し、困っている人々を助ける力があり、金、銀、ダイヤモンドで彩られた馬で引かれた馬車により太陽は引かれたという。

また、ラタヴィアには「ウシンシュ」と呼ばれる馬の形をした神がいる。この神は名前の由来を印欧語に持つといい、名前の由来を「光」や「蜂蜜」などに持っているという。
全ての馬の保護者であり、春の耕作の訪れを告げる神でもあるという。(ちなみにキリスト教伝来後は彼は聖ゲオルギウスに紐づけられる。)

  (B)ヘンギストとホルサ(Hengist / Horsa)『イギリス』

名前はそれぞれ「馬」に関連する。彼らはイギリスに現れた侵略者であったが、苦難に陥ったイギリス王ヴォーデンガーンの救済者として海を渡ってやってきて、イギリスに根を下ろした。後世、馬の頭のついた屋根を「ヘンギストとホルサ」と呼んだという。これはリトアニアのアシュヴィエナイなどにも見られる。(研究者によってはアフィントンの白馬との関連性についても語られることがあるというが、これは話半分に聞いておいた方が良いかもしれない。)

  (C)アルシス(Alcis)『ゲルマン(タキトゥス)』

タキトゥスは『ゲルマニア』(43)にて、ディオスクロイに相当するゲルマンの神「アルシス」について言及している。

  (D)ブランとマナウィダン、ブランウェン『ウェールズ神話』

『マビノギ』における馬と人の関連は深く、ブランとマナヴィダンの兄弟は妹ブランウェンとアイルランド王との結婚、破滅、救出、戦争との関わりの中で動く。
余談だがWikipediaによればブランの持つ「死者を復活させる釜」等を持ち、この存在からアーサー王伝説における漁夫王との関係性も示唆されているとのこと。

 (E)ソールとその馬『北欧神話』

太陽の女神であるソールは馬の乗り手にして、治癒の魔術の使い手。アルヴァックとアルスピッドという二匹の馬に乗せられて、天をかける女神であるという。(Wikipedia)

(F)アルスとアジゾス『パルミラ』

個人的な調査だがおそらく関連するか。パルミラにおける明けの明星と宵の明星。一人は騎馬に乗り、一人はラクダに乗る。キャラバンの守護者とされる。(Wikipedia)

主にWikipediaの情報を持ってきているので、誤りが残る可能性があります。ご注意ください。

太陽の戦車と船の伝承

次に太陽の戦車について紹介しよう。これはカストロが乗っていたものも然りだが、多くの神話に登場する存在であり幾つも登場する。

(a)トランドホルムの太陽の戦車/グレーヴェンスヴァンゲンの双子

紀元前1400年頃のデンマークにて太陽の戦車と呼ばれる遺物が見つかっている。これは黄金でできた戦車の上に太陽と思しき円状の物体が載っており、それを白くメッキされた馬が引いているというものである。つまりこの時代のデンマークには、太陽を引く白い馬という概念が広まっていたことがわかる。
加えて、「グレーヴェンスヴァンゲンの双子」と呼ばれる神の双子と類推される遺物もデンマークから見つかっている。結合された双子というモチーフと二つの棒を結合させたディオスクロイのシンボル「ドカナ」の関連性について言及される場合もある。

(b)ネブラ・ディスクの太陽の船

ドイツで発見された紀元前3600年ごろの現存最古の天文盤。複数の研究者によってここに描かれたものの一つが太陽の船ではないかという指摘がある。
(このディスクは千年以上使われ続けていたようで、紀元前3600年の段階ではこの「船」らしきものは書かれておらず、途中で加えられたもののようだ)

(c)ヘラクレスの黄金の壺の船。またはアルテミスとアポロン

ヘラクレスが海を渡り地下世界へ向かう際に太陽神ヘリオスから借り受けたものは黄金の壺でできた船である。故にヘラクレスもまた太陽神信仰があったものとされることがある。(ヒュギヌスの語る「ヘラクレスとアポロ」というのはおそらくこういうところからくるものなのだと推測される)
その後、太陽神と月神としての性質はアポロンとアルテミスに移るが、彼らもまた同様に戦車に乗って天を走るものと考えられた。(ヘリオスは天から地上を見下ろすことから千里眼の持ち主とされた。例えばアレスとアフロディーテの不義を見破る、デメテルにペルセポネの居場所を伝えるなどしている。これが預言者アポロンとの同一視に結びついた可能性があるという)

(d)ラーの船

太陽神ラーは船に乗って空を行く。そして地の底に入り日食を起こす蛇アポピスと戦いながらオシリスの国(冥界)を通って再び天へと上がる。(古い形では地下の世界のナイル川を渡る)スカラベは日没と日の出のイメージを持たされて永遠の命の象徴とされた。後世には豊穣と死後の世界を司るオシリスと同一視され、「昨日はオシリス、明日はラー」として毎日復活を遂げるものとみなされた。オシリスは死せる神であり、最初は豊穣の神として現世にいたが弟に殺されて、妻の力により復活する。ただし完全な復活はできなかった為、死者の国である地下の世界に旅立ち、その統治者となる。この仕組みはペルセポネの神話との類似性があるように見える。
またラーは毎日アポピスの蛇と戦い、これに負けると飲み込まれて日食が起きる。

(e)北欧の太陽と月の戦車

先述の通りだが、北欧のソールなどは二頭の馬に引かれた馬車で空を駆ける。

紹介したこれらは一部の例である。

(参考)世界各地の双子座

双子座と関連づけられる各文明のキャラクターについては下記サイトが詳しい。

このサイトはデメテルとともに描かれたディオスクロイのコインについても言及がある。(あるいはデメテルでなくヘレネかもしれず、ディオスクロイでなくカベイロイの可能性もあるが)豊穣神とディオスクロイとの関係を示す内容の一つと考えても良いのかもしれない。
(ただしコインについては詳しくなく、全く関係のない絵柄を組み合わせることが多いのならばこれは傍証にはなり得ない)

(参考)ムル・アピンの双子座(ルガルリラとメスラムタイア)

参考とはなるが、ムル・アピンに記された双子座の神ルガルリラとメスラムタイアも見てみたい。
フォンバイヘルによると、彼らは古バビロニア時代(紀元前1500年頃)には既に二人1組の神として知られていたという。
ルガルリラの由来は不明だが、メスラムタイアの名前は、ネルガルの信奉された「メスラムの寺院」から来ているとされる。彼らはネルガルとも習合され、冥界の門番として信仰を受けた。彼らは紀元前3世紀ごろのセレウコス朝からは強く信仰を得たが、それまでは優先順位の低い神であったという。

彼らは神の二人組であるが、救難の神ではなく、船乗りとも関連はしない。
バビロニアからギリシャに入るまでの星座の流入ルートも明確ではなく、中には見た目そのものが変えられている星座も少なくはない。
その為、これがディオスクロイとどこまで密接なリンクがあるかは不明だが、黄道十二宮は重要視された星座であり、両者はバビロニアにおいて双子座を象徴する神であり、ディオスクロイと同じく地下世界(冥府)との関わり合いも深い。
おおよそギリシャ星座が作られるときに元々のバビロニア神話の性質は失われている場合が多いように思われるが、双子座がバビロニアからギリシャに入ってきたときに、その説話とディオスクロイとの関連が全く考慮されなかったとも断言はできないのではなかろうか。

ディオスクロイの原像

さて、太古の神霊サーヴァント・ディオスクロイの起源を巡る長い旅もそろそろ終盤に差し掛かってきた。

今まで見てきた内容を振り返れば、ディオスクロイの起源がどういうところから始まったのか、どのように見られ、信仰されてきたのかについて、輪郭がぼんやりと見えてきたのではないだろうか。

だが、まだ大きな謎は残されている。

「神の双子」については現段階ではあくまで仮説に過ぎず、これが真実であると考古学的に証明できているかと言えばそれもまた否だ。故に多くの反対意見もあり、まだ数多くの議論の余地がある。もしかしたら、新たな発見により数十年後には否定されている説の可能性もある。

さらに、仮にディオスクロイ、アシュヴィン双神、デーヴァ・デリといったような神々が共通する「神の双子」という原型から成立した神だったという説が正しいと判明したとしても、「神の双子」がどのような変遷を受けて「ディオスクロイという神として生まれ変わったのか」は別の話である。

つまり例えば。

いつ頃セントエルモの火との関係性を得たのか。

いつ頃ヘレネと組み合わされるようになったのか。

いつ頃スパルタに流れ着き信奉されるようになったのか。

いつ頃カストロとポルクスという名前をつけられたのか。

いつ頃太陽を運ぶことをやめたのか。

残念ながらこれらはミッシングリンクとなっており、まだ誰も明確な答えは持っていない。
ディオスクロイはアルカイック期に突如として出現した神である。これ以前の西アジアの高原地帯に発生したと思しき「神の双子」がギリシャにやってくるまでの文献や考古学的発見はない。
正確な情報を述べよということであればそれが事実である。

故に、もしこの調査が学術的なディオスクロイの成立起源を探る趣旨のものであればこれより先の情報はないといって、筆を止めるのが正しいのだろう。「文献を恣意的な使い方をしていないか」「論理の飛躍がないか」「仮定の上に仮定を重ねていないか」などを複数の研究者が査読し精査した上で、論理的に「正しい」と言えるものを書くのがまっとうな作業であり、そのようなことを行っていないこの記事が続きを書くことはトンデモ理論にしかなりえないからだ。
(というかすでに論理の飛躍や破綻がいくつか有るはずではないかなぁと思っておりますが‥)

しかし、今回の目的は別に学術的な作業ではない。
こうした既存の情報源をもとに「FGOのスタッフやライターがどんな資料を元にしてサーヴァント・ディオスクロイを作り上げたかを推測すること」が目的なのである。故に、この投稿においては元々の情報は議論中のものでも構わないし、何なら間違った情報源をもとに作られていても一向に構わない。

よって、「fgoで想定されていたであろう」原典のディオスクロイの原像を推測し、それを踏まえて作り上げられた「太古の双子神であるカストロとポルクス」が一体どんな背景を持っているのかを推測することでこの一連の記事の結論とできればと思う。


結論:fateにおける太古の双神ディオスクロイはいかなる存在であったと推測されるか

では今まで調べてきたディオスクロイの起源と変遷をまとめるための飛躍の旅を始めよう。

①西アジアでの原型「神の双子」の成立

まずは最初カスピ海近隣の民族が信仰した「神の双子」という天空神モデルのことは念頭にあることは違いないだろう。
FGOの中でディオスクロイのことは「小神ではあるが太古の昔から語り継がれてきた神」であるとオリュンポスで紹介されているためだ。インド・ヨーロッパ語族の起源として和訳もされておりもっとも有力視されているのがアンソニーの「クルガン仮説」である以上、歴史モデルもこれだと考えるのが妥当ではないだろうか。
一般的に「神の双子」は妻である太陽を補佐する御者の神でありその夫であるとされる。西アジアで発生した当初、双子神はおそらく天に輝く二つの「明星」が信仰されて生まれた神だったことだろう。双子は夕方に太陽を迎え入れて海に沈み、朝日とともに明星は太陽を先導して空に上る。
馬との関連の深さを考えると、人類が馬に乗り始めた紀元前3500年頃の時期にようやく彼らのかたちは完成したのだろうと思われる。乗馬の開発とともに、太陽を運ぶために「疲れることのない」彼らは乗り物に乗るとされた。最果ての海を渡る場合には船を、天を渡る場合には馬(或いは戦車)と発展した。
これらを信奉する民族そのものあるいは伝承のみが広がり、やがてはるかな旅を経て双神信仰はギリシャにたどり着いたのではなかろうか。

※(神話)太陽が天空と海や地の底をめぐる神話は世界中に見られる。
どこの文明でも世界の果ては海とされ、太陽は海もしくは世界の裏側を通ると捉えられた。日没後、地下に降りた太陽が再び天に帰るために何かしらの移動を伴うというニュアンスは多くの文明で見受けられる。
太陽を中心に天と海を回る存在であり(インド・ラトヴィア)、もしくは海の代わりに地底(アステカ)、あるいは地底の川を渡る(エジプト)とみなされる。
アステカの明星が、乗り物に載らず太陽を導く明星というのは珍しいパターンである。彼は人とともにあった犬の姿をして太陽を導く。太陽に付き従う神の太古の形は元来こうだったのかもしれないが、あくまで「元来騎馬神である」と表現されるディオスクロイにはこの設定は反映されていないのではないかとおもう。

※(fate)乗馬の起源が紀元前3500年前とされているため、騎馬の神とされるディオスクロイが14000年前の神と考えるとなかなかにサバを読んでいることになる。
ゲーム内ではオリュンポスにて「3500年のオリュンピアマキア以前の神」と言われているがいつオリュンポスの神々と統合されたかまでの記述はないので、14000年前まで遡る必要はないのかもしれない。
ただしそれでも紀元前3500年はかなりギリギリのタイミングなので「異聞帯では乗馬が若干早く始まった」か「オリュンピアマキアのタイミングぐらいで生まれたためオリュンピアマキア当時は幼い神だった」と判断するべきなのかもしれない。最もfateの歴史上で乗馬のタイミングがいつと設定されているかは定かではない。

②「神の双子」の性質

「神の双子」は女神たる「太陽の娘」を導く存在とされており、天にあるときも海に沈む時も常に共にあり、彼女を救うものとされた。
特に太陽が海に沈む姿は、溺れていると思われたのだろう。馬の神(陸地の神)としてもっぱら信奉される(ように思う)アシュヴィン双神にも海難の救助者としての伝説は色濃く残る。
アシュヴィン双神は「意のごとき速度で動く」「光の化身」とも表現される神であり、彼らが操る戦車を牽くのは鳥、馬、牛であったとされる。また馬を表現されるときは「白い馬」とされ、ヘリオスの例のように「翼を持つ馬」とされることもあった。もしくは彼ら自身が「白い馬」と表現されることもしばしあった。

エジプトの天空神であるラー等に見られるように、多くの世界で太陽の天空と地下を回る動きは死と復活のループと考えられた。ラーとオシリスは同一視され「昨日は死に、明日は蘇る」。即ち夜にはオシリスとして死に、朝には再びラーとして復活し地上の世界に舞い戻る。
おそらくこの「死者の世界と天国とを交互に回る」性質はいつしか「生と死のサイクル」と結びついた。加えて、これは双子に対する原始の呪術的発想と結びつき「一人を超常の父を持つ子、一人を人間の父を持つ子のペア」とみなした。
この二つの理由により、ディオスクロイやアシュヴィン双神は、一人は死すべき人間であり、一人は神として不死であると定義された。そしてその一方で、人と神とのペアでありながら両名が神としても信仰を受けた特殊性を持っていたことが『リグ・ヴェーダ』などから見て取れる。(※fateにおける双神が人間と堕したのは双子座と関連付けられてからとされており、上記の内容は採用されていないものと思われる)

女神を導き救う存在であった彼らはやがてその職能を拡大させていく。
人類の様々な危機を救うようになり、特に海難の救助者となり、戦争からも救う軍神となった。アシュヴィン双神は人々を癒やし若さを取り戻す、死そのものへの救世主となり、アルスとアジゾスのように陸路での旅の導き手とされる場合もあった。

こういったタイプの神々は複数存在しており、最古の例として「アシュヴィン双神」(紀元前15世紀頃?)や、ラトヴィアの「デーヴァ・デリ」(収録時期が16世紀と新しく実際の成立時期不明)がある他、イギリス、ケルト、北欧などの幅広い地域で類似の例がある。

※(神話)「馬そのもの」とも表現されるのは、太陽を運んでくれるなら別に人でなくても問題ない、という点から来ているものと思われる。

※(fate)以前に述べたがディオスクロイが「光の神」と名乗るのは「恣意の如き速さの」「光の神」であるアシュヴィン双神の影響と思われる。ただしあくまで太陽の運搬に関わるもののため本来は攻撃スキルではない。また「軍神」ではあるが「剣神」としての扱いはない。

※(fate)かなり初期の成立段階から人と神のペアだった様子が見て取れるが、そうだと整合性が取れないためアシュヴィン双神もディオスクロイもここに神&神ペアだったものが神&人ペアに変化したと考えるしかない。
この扱いには「人間による双子の特別視」も影響しているので、カストロのいう「人間が起因で神から零落した」という言い分には一理ある。天の運行に従って死んだり生き返ったりするのは本来の職務なのだが、このあたりがどう処理されているかはFGO上ではよくわからない。

③ディオスクロイ「カストロとポルクス」

ギリシャにおけるディオスクロイはアルカイック期(紀元前8世紀)に突如として登場する。最古の文献である『イーリアス』においても、すでに英雄としてのディオスクロイと航海神としてのディオスクロイが両立した段階だった。
「神の双子」を起源とした場合もその伝播ルートは不明である。元来異民族であったスパルタがもたらしたものかもしれないし、アルカイック期以前のギリシャ人がすでに信奉していたものかもしれない。
またこの頃はどうやら起源と思われる明星や代名詞となる双子座とは結びついておらず、単なる「星」の化身であるか、もしくは海難を助けに来る「光の神」、あるいは「白い馬の騎士」と思われていた節がある。(ふたご座とリンクするのはおそらくヘレニズム期に入ってからのようだ)

理由は不明だがディオスクロイは「太陽の娘」との関係性を失い、単なる航海の救世主としての神としてのみ知られるようになった。太陽神ヘリオスやアポロンは男性であり、もしかするとギリシャでは女性神である「太陽の娘」との関係性が受け入れられなかったからかもしれない。

英雄としてのディオスクロイの描写は現状の古代ギリシャ最古の文献である『イーリアス』(紀元前8世紀)に記載がある。一方で神としてのディオスクロイの最古の例はアルカイオスの『讃歌34』もしくは『ホメーロス風讃歌』(紀元前6世紀頃)が最古であり、「聖エルモの火」の姿で登場する航海神として讃えられている。ディオスクロイの呼び名は『ホメーロス風讃歌』内に出てくる普通名詞としての「Dios Croi(天空神の子)」という表現が最古のものと推測されている。

ディオスクロイは主にスパルタで信仰されており、スパルタ王家の守護神、軍神として特に親しまれていたようだ。他にもアッティカでは「アナケス
」の名前で親しまれており、他にも様々な地域で信仰を受けていた神だった。彼らの姿は「白い馬に乗り卵の殻をかぶる騎士」であったか「若き青年たち」として表現されていた。
またアシュヴィン双神と同じく「人間に近い神」であったともされ、一部の儀式では個人宅のささやかな食卓であっても召喚に応じるなど、個々の人間の祈りに応じるフットワークの軽い神でもあった。
また、先述のように船乗りたちにも好まれており、いつ頃からかサモトラケ島の航海の神「カベイロイ」との同一視を受けるようになった。更にカベイロイ信仰とも関連する死と再生のサイクルに関わり、豊穣の秘儀を司る神「偉大なる母デメテル」の従者とされることもあった。(紀元前5世紀にはクセノフォンによるそれらしき文献があるため古典期にはすでに成立していた信仰だと思われる)

だが、もっとも関わり合いの深かった神はやはり女神「ヘレネ」であろう。
ヘレネはスパルタの王女として描かれることもあったが、彼女も広くギリシャで信仰された豊穣の神であった。ディオスクロイの兄妹とされることもあったが、古い異伝ではネメシスとゼウスの子供という純粋な女神ともされた。
ディオスクロイとともに生まれ、誘拐されたときは軍を率いてまで強奪しに来る関係の深さはもちろん、ギリシャ各地でディオスクロイとともに信仰された上に、スパルタへの侵攻を共に止める、嵐のときにディオスクロイと関連して現れるなど並々ならぬ関係性を持っていたようである。
おそらく、ディオスクロイが失った「太陽の娘」の代替がこの「ヘレネ」であり、もしくは双子の妻である白き馬の巫女「レウキピデス」出会ったものと思われる。

先述のホメロスの時代になると、人にして神であったディオスクロイは、エッセンスだけを残して完全に人間世界の英雄として扱われるように変化していく。
最初は「太陽の女神」の従者たる「明星」であった双神はギリシャにおいて太陽との結びつきを失い、単に死の世界と天の世界を行き来する双子となった。古き「天と死の世界を巡る双神」はやがて「死すべき英雄」とみなされながら、同時に死して復活をする神話は残された。
ギリシャでは神としての彼らと英雄としての彼らが二重に存在するようになっていった。

やがて彼らはスパルタの双子の英雄として変遷していく。そして神話ではアルゴノーツにも参加し、カリュドーンの猪狩りにも参加し、テセウスと争い、ケイローンに教えを希うようにもなり、最後には隣国メッセニアのアパレティダイとの抗争の中で命を落とし、再び「天の星」の間にある神の座に戻っていく。
そして最後にバビロニアから入ってきた「双子座」と再結合されて、現在知られるような双子座の英雄ディオスクロイが完成したのではないか。

そしてローマ時代には航海の力もポセイドンやカベイロイから与えられたものであると考えられるようになっていく。遂には航海の力でさえ、彼ら自身の力ではなく他の神から与えられたものであると考えられるようになったのだろう。
その一方でこの時代においても軍神としての地位はめざましく、各地で神殿を建てられ、信仰された神でもあり、現代においても神として英雄としての神話が残されているのである。

※(fate)ヘレネについて一言も語らないのは、まだ大きな理由が残されているように見える。神話ベースで言うとパリスくんはテセウスと同じような目にあってもおかしくないが、そんな素振りは全く見せていない。許されていればいいのだけれど、ディオスクロイは密かに悪事を働く逸話がいくつかあるため、静かすぎてちょっと心配ではある。

※(fate)スパルタ王家に関わるレオニダスやオデュッセウスあたりとも口を利かないが、シナリオ上でどういう処理をされているのかは謎に包まれている。汎人類史のディオスクロイは船の神とスパルタの軍神の二枚看板でやってきていたはずなので、何らかの話があってもおかしくはないのだが。

※(fate)異聞帯のディオスクロイは傍若無人な性格だが、神話ベースで見るといとこの花嫁を奪うような双子なので、あの性格は割と原作反映と言えなくもない。

※(fate)オリュンポスを見返すと、太古の双子神たる彼らの本分であるはずの「女神の護衛」を一度もしていない点については若干の疑問点がある。(この性質を外してしまうと双子神ではなくなるので理由なく性質を失っているとは思えないが)
理由はいくつか妄想できるが、従うべきヘレネが不在のため独自行動を行っていた、あるいはキリシュタリアに再召喚されて英雄としての性質が流入したため女神を護衛する性質が薄れた、のいずれかであれば説明できる気がするが本当のところはわからない。

○ ○ ○

さて、以上ような流れになるのではなかろうか。

つまりはギリシャにおける「双神」ディオスクロイとは、航海の神であり、スパルタの守護神であり、ヘレネの救い主であり、軍の神であり、死して蘇る神であり、そして、あまねく人を救う、人の近くで見守り、寄り添う双子の神であった。

そしてこれらのエッセンスを得てfateにおける「太古の双子の神」ディオスクロイのキャラクターは形成されているのだろう。彼らの重要なエッセンスのいくつかについては語られていない、もしくは採用されていない部分もあるのだろうが、それは今後明かされる内容として心待ちにしたい。

こうしてみれば、彼らはゲーム内で語られているとおり、文明の黎明期から長い時間を人々とともに過ごしてきた、まごうことなき偉大な太古の神々であったと言えるのではなかろうか。


終わりのお礼にかえて

まず、ここまで読み進めてくださった方がいらっしゃればの話ですが、長いことこのような者の独り言にお付き合いいただき、改めてこの場でお礼を申し上げなければなりません。
大変ありがとうございました。

さて、今回の調査は、あくまで現実におけるギリシャ神話のディオスクロイの定義でなく、いち素人がゲーム内で気に入ったキャラクターを突き詰めて調べたかっただけの内容であります。

学者さえ全貌を理解していない太古の神「ディオスクロイ」あるいは「神の双子」。
このような巨大な神秘の暗闇に竹槍一本で挑んだ所行を蛮勇と見られるか、果敢とみていただけるかは空恐ろしいところですが、一旦はディオスクロイの二人について知るべき最低限の内容については知れたのかなと思っています。

そして更に謎も深まりましたが、おそらくこの学術風に見せかけて(多分)誤情報の混ざっているようなまとめは以後作らないように肝に銘じたいと思います。
あとは引き続きのんびり学者様達の後ろを、そしてなんと言っても『Fate世界』のこれからの発展をちらちらと覗き見できればと思いますが、一部、書くと宣言したにも関わらず、部分部分でまとめきれていないポイントが有るため、恥を忍んでそこだけまとめて終わりにできればと思います。

個人的には、この何ヶ月か、ディオスクロイとずっと一緒にいられたので、分からない事が多くて辛かったものの、なんだか楽しかったです。
ゲーム内の彼ららしいところもあれば、全く違う面も見えたりして、ほんの少しだけ深く、彼らのことを理解できたつもりでいます。

当初、これを始めた理由としては2つあります。

元々は全く彼らの背景がわからないために個人的なこととして調べ始めたことでしたが、同じように感じている方もいるのではないかと思い、こうして乱筆ながら内容をしたためた次第です。

もう一つの理由しては、ディオスクロイはゲーム内での完全なヒールとしての登場したことで賛否ある評価を受けており(私は大好きですよ!)、ゲーム外での彼らのキャラクター性には関係ないところで騒動があったこともあり、好きな人は大好きだけど苦手な人は割と苦手、というような立ち位置に収まってしまっている気がします。
そんな人達に少しでも彼ら兄妹の背景を知ってもらうことで身近に感じてもらえないかと思ったところもありました。

もっとも、これが足しになっているかどうかはわかりません。あ、ちょっと面白いところがあったな、ぐらいに思ってもらえたところがあれば、個人的には万々歳です。

あとは、そもそもfateで原典を一つずつ挙げていくことに意味があるのか?堅苦しく文献なんて引っ張り出す必要があるのか?と言う指摘があれば、それもまたごもっともなことだと思います。
フィクションはフィクションであり、それが回り回って他文化を傷つける懸念があるケースはまだしも、いかなる時も錦の御旗のように表現の正当性を振りかざすことは個人的には違和感があります。物語なら正しい描写よりも面白いほうがより重要でしょう。

ですがその一方で、気が遠くなるほどに長い長い人類史の数多の積み重ねの上に、今の彼らが形作られたことを知ることもまた、きっと無駄にはならないはずです。

我らの想像力は無限であることは、星座や神話を作った古代人が証明済です。神話や歴史の彼らのことを知れば知るほど、燃料があればあるほど、想像は膨らみ、大きくなった想像は更に輝くものではないでしょうか。
ささやかながら、それがキャラクターの背景を膨らませ、想像するための一助になることを願います。

ご清覧、本当にありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!