人生とは不思議なもので
私とRは、某オンラインデーティングアプリで出会いました。
あんまり顔がはっきり写った写真がなかったRだけど、木の上で本を読んでいる写真や大学の卒業式の写真なんかを載せていて、なんとなくLikeをタップした。
そのあと、メッセージが来て、その中のやりとりで唯一覚えてるのが、「ぼくがしっているにほんごは、watashino aisu kurimu wo tabetanowa daredesuka?なんだ」っていうやつ。
「何それ、変な人!」(そういう変な感じの人、好きなんです)
っていう印象だった。それが、2016年の年末。
Rがロンドンから来日してから3ヶ月後、私のロンドンから帰国してから9ヶ月後。
年明け、2017年の1月に初めて会って以来、いろんな不安や葛藤を乗り越えて、今に至ります(あっという間に、一緒に暮らしてる年月の方が長くなった私たち)。
なんで、急にこんなことを書き始めたかというと、つい最近、RがR母に「ゆくゆくはイタリアで暮らしたいって(私と)話してるよ」と伝えたから。そして、R母がとっても喜んでいたから。
以前の記事でも書きましたが、R母の暮らすトスカーナの田舎(Rの育った家)に行ったときの衝撃を私はまだ覚えていて、それ以来、大自然の中でオーガニックファーミングをしながらRと、できれば子供たちと一緒に暮らしたい!と思っていたのです。そして、勝手に「R母の土地は私が受け継ぐ!」なんてRに冗談を言いながら、いつの間にか私たちの中で子育てはイタリアがいいね、という話に。
R母には、娘(R姉)と息子(R)がいるんだけど、どちらも田舎暮らしには関心がなくって、いずれはどこの誰かも分からない金持ちたちに、40年以上手塩にかけた土地を売らなければいけなくなるかもしれない…と考えていたみたいです(住んでいるところは、ヨーロピアンたちの夏のホリデーハウスも多くあって、金持ちたちも夏の間だけ来ています)。
それが、まさか息子(R)が日本で出会って恋に落ちた相手が、自然環境を保護するために働いていて、オーガニックファーミングをやりたい!と言って、 Rを連れてR母が手塩にかけた土地で暮らし、R母が続けてきたような自然と共生する暮らしを続けることが夢、と言うなんて、誰が想像したことか。
だって、Rはオーガニックファーミングや田舎暮らしをしたいわけでもなかったのに(ホリデーとして訪れるにはいい場所、というのがRの当初の見解)、たまたまオンラインで出会った私が、しかもお互い「自然と共に暮らしたい」とか、そんなことは一切プロフィールに書いてなかったのに、R母と同じような価値観を持っているなんて。
最初、R母がイタリアでWWOOFFのホストをしている聞いた時、私は、そんな偶然信じられなくて、嘘だと思ってネットで調べました笑
初めてRの実家に行った時からずーっとトスカーナの片田舎の緑や街並み、暮らしが「これから暮らしたい土地」として心に残っていました。
(最近、デュべカバーをオリーブの木のプリントにしたんですが、それだけでイタリアのあの家を思いだして幸せになるくらい)
私は、小さな田んぼとコンクリに囲まれた川はありましたが、大自然でもなく、普通の郊外の住宅地で育ちました。田んぼでおたまじゃくしをつかまえて、カエルになるまで育てたり、アライグマが食べ物を求めに来たり、ヘビが軒下にいたり・・・なんてことくらいはあったけど、Rの育った場所のように、人が登れるくらい大きく太い木なんてなかったし、家の排水が濾過されてハーブガーデンのお水になるシステムももちろんない。ピーナッツバターを手作りしたこともなければ、もちろんオリーブオイルを作ったこともない。
私の家から見えたのは家と電線。でも、Rの家からは緑と空と丘しか見えません。Rの育った環境は、私の想像できる範囲を超えたところでした。
自然環境を守る仕事をしている私ですが、自分自身が大自然に囲まれて育ったわけでもないし、いまも仕事の都合上、山や海の近くで暮らすこともできていません。
Rの実家で気がついたことは、
自然環境を守る方法は、必ずしもオフィスワーカーとしてどこかに所属するだけじゃなくて、自然と共生しながら、オーガニックファーミングをして、土地と食べ物と人の健康を守っていく方法もある、ということ。
少しの現金収入と自給できる野菜と土地があれば、家族とともに暮らしていける、ということ。
そして、それが私の目指すべき道なんだろう。
ということ。
いまは子どももいないし、いまの仕事をもう少し磨きたいと思っていますが、そんな気づきがあるからこそ、将来的にはイタリアというライフプランにいたりました。
振り返ってみると、つくづく「人生とは不思議なもので・・・・」と言いたくなるエピソードでした。
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