田中光郷

「犠牲者」「暴力」について、現代哲学(フランス現代思想、分析哲学)、図書館学、メディア論、戦史紛争史、文学、経済学などの観点から研究中。

田中光郷

「犠牲者」「暴力」について、現代哲学(フランス現代思想、分析哲学)、図書館学、メディア論、戦史紛争史、文学、経済学などの観点から研究中。

最近の記事

自動車・交通設備による権利侵害【原発・自動車産業レポ②】

前回は原発がどのように日本社会のなかで産業として成立し、政府の法整備によって産業として発展し各地方で批判の抑制としてその法整備が機能しながら各地に建設されてきた経緯と原発運用の限界について簡単に論じました。 今回は自動車と交通設備の問題についてです。原発と自動車や交通設備の問題は切り離せないものがあります。前回もその成り立ちからして類似するものがあると説明しました。今回、世界的な経済学者である宇沢弘文氏の書物『自動車の社会的費用』を引用します。 ちなみにこの書籍では読んで

    • ハンバーグ沼と初ハイハイ

      本日の夕飯として煮込みハンバーグをつくってましたが、若干鍋のキャパオーバーでハンバーグを縦向きに収納して沼の様相を呈してました。 キーマカレーにするべきか迷いがありましたが、肉それ自体を食らいたく思うのは、人間野生の本能が「おら、肉食え」と私をたしなめてるからかもしれません。 そして、料理中に月齢9ヶ月の我が子が初めてハイハイ。火を入れている最中に初ハイハイを見逃してしまったので、人生2回目のハイハイをその後無事に見納め。 ハンバーグは家内と2人でムシャするので、目安3

      • 人権意識を希薄にしたい【原発・自動車産業レポ①】

        年始から能登半島地震にともなう志賀原発の報告に対して批判的な意見が飛び交っています。僕も原発について批判的な立場をとる人間のひとりですが、電力をどう代替するのか、脱原発はコスト的に現実的ではない、身の程を弁えろとかいろいろとかえって批判が飛んできます。 もともと原発は日本が農耕・牧畜社会から「工業化社会」へシフトした際の産物と考えられており、原発施設の建設と自動車普及に伴う交通設備の建設は類似する仕組みによって国策を通して推進されてきました。 ちなみに道路建設と原発建設に

        • 「常識を疑え」へのツッコミ①

          この言い分がちょこちょこ本の表紙や見受けられるようになってきました、「常識を疑え」と言われるだけでも何だかエラそうで嫌になります。 「私は正しいことが何かわかる」「常識に取りついている病巣を知覚できる」みたいなことを、遠回しに言われてるみたいで少し腹が立ちます。 ただし、常識を疑えといいながらそれがどのようにして可能になるのかうまく論じられた解説を読んだためしがありません。単にそのような文に出会ってないという私の力不足でもあるのでその点はお詫びします。それよりも「常識」を

          年末年始のフレスト

          自己紹介文からさっそく脱線する方向で年末年始の料理について書きこむ。フレンチトースト(以下、フレスト)を年末年始にかけて朝につくりました。 昨年誕生した月齢9ヶ月目のわが子との交流をかねて、関西在住のお義姉さんが東京の我が家にのぼってきたのでそのおもてなしとしてつくったところ、奥さんとお義姉さんからも好評だった。 今後の朝食要員として引き続き月3回か4回は起用予定です。 朝からちょっと甘みが強すぎたのか起用頻度は少なめにするつもりで。あとはフレストのコシが死にすぎたので

          年末年始のフレスト

          手が止まる(自己紹介)

          ひとまず自己紹介を書き込んでみようとすると手が止まる。 紹介できることはほぼないと思ったのか、紹介しようとして紹介するほどのことがないと思ったからか、いざ書き込んでどう意味を持つか考えると書くほどのことがない理由をたくさん考える。 自己紹介だから仕事の経歴をあえて書いてみると、過去に半導体工場、自衛隊、飛び込み営業、テレアポなどの類を経験しましたが、社会とのかかわりを考えると自分の立ち位置が「まだ何もしていないのに苦境に立たされている」みたいな気がして仕事の外側でいろいろ考

          手が止まる(自己紹介)