そろそろFF11の昔話をしようか③レベル上げPT
FF11の昔話というのであれば、最も象徴的で思い出深いのは
要はやっぱり、なんといっても、「他人とPTを組む」っていう行為そのものだったと言えると思う。
過去の記事の中でも、昔のPTプレイについてのことは何度も書いてきたけれど
初期のFF11はとにかく敵が倒せない、レベルを上げるという行為に工夫を凝らすゲームだった。
昔に、FF11をやるということは、もはや、ゲームじゃなかった、と感じているのだけれど
その要因としては、かならずPTを組まなければ、何も成し遂げることができないということ
人と協調しなければ、実際に成し遂げることは何もないのだということを教えていた。
「これが現実に冒険者になるということなのか」と、プレイしている人間に、思い知らさせるようなものだった。
ソロでプレイすることに最も冷遇されたと思う白樽(白魔導士のタルタル)でいえば、
レベル11になる頃には、サルタバルタの「楽」表示の蜂に殺されるという経験をして
そもそもレベル1でソロで一番弱いTiny Mandoragoraと戦ったときにギリギリ倒せるか倒せないか
レベル2に上がれるかどうかの試練が待っていたというほどに
攻撃力がなくて、ただただ 「HPを回復をする」ということに特化していて
序盤からPTを組まないとどうすることもできなかった。
たとえばヒュームの戦士なら、レベル11までは比較的楽に上げられるのだろうと思うけれど
基本Lv11にもなる頃には、6人のフルでPTを組み、ウィンダスのプレイヤーなら、タロンギかブブリムなどに赴いた。
それ以降PTでしかレベル上げを行わないことがふつうだった。
そのLv11~Lv13の時が最初のフルPTになる人も多いという。
種族差やジョブの差が極端に作られている中で
「そうか。みんなと共闘しあわなければこのゲームはたったの一匹のモンスターを倒すこともできないんだ」と思い知らされることになるのだ。
前衛でいえば、このときに「連携」というものを覚える
他のプレイヤーとタイミングを合わせて武器の技を打つことで発生する追加ダメージなのだけれど
単体の通常の攻撃力はあんまりにも弱くて(そもそも攻撃が当たることすらないという)
この連携を駆使しないとたったの1匹のモンスターが倒せないという風になっていく。
これが…現実にモンスターと戦うということなのか…狩りとは…こういうことなのか….という冒険者になるという現実を教えられるようなゲームだったのだ。
初期のFF11とは。たった一匹のモンスターをどう他のプレイヤーと協力しあって
どう経験値を手に入れて、どうレベルを上げるのか?というのが
ストーリーもへったくれもない、このゲームの要だった。
だけどそれが不思議なことにそれが妙にリアルで面白かった。
なぜなら戦闘に赴くという行為はリアルではできればやりたくない行動だと思うので
FF11はまさしく、リアルだった。
特に初期の方段階で
力を合わせあいモンスターを倒すことを成し遂げた暁には、それ以降にもずっと付き合い続けるようなお互いの友情というものが生まれたりもした。
よく年をレベルで、またはレベルを年で言い表したりすると思うのだけれど
レベルが1つ上がるということは、まさしく一歳年を重ねて、一皮むけたという重みがいちいち違った。
レベル上げに行くという行為はとにかく大変だった
まずかならず6人でフルでPTを組むために
メンバーを探すことに1時間という時間をかけたりもして、レベル上げに向かった。
そうして狩場に向かうのも、徒歩で行くのか、チョコボで行くのか、手段はかぎられている。
チョコボに乗る場合も、今ではチョコボに乗る機会がないために
この仕様を知らないままの人もいるのだろうか、たくさん乗る人がいればいるほど
チョコボの利用料の料金が上がる仕様になっていて
人が多い時間になると、レベル上げにただ行くために、この額をとられるのか、という値段になることもあった。
そしてお金をまともに稼げるようになるためにも、またレベルは上げないといけないので踏んだり蹴ったりだ。
もしかしたらレベル上げに行ったはすが、レベルが下がって帰ってるということもあり、まさしくその限りになる。
ついでにいえば移動速度そのものが、当時はいまより遅かったという事実もあり、なおさら時間がかかった。
遠い狩場には、アクシデントも考えて、移動だけで1時間かかることもあった。
それがある意味リアルだった。レベル上げに行くということは、モンスターと戦うために遠くへと遠征に赴くいうこと、
今日という一日を全力で使い果たすことなのだという、ある意味緊張感がヒシヒシとこみあげていた。
「これが現実に冒険者になるということなのか」と気が付けばそこに現実を感じていた。
そして一体一体のモンスターを倒すのにも信じられないくらい時間をかけた。大体は5分ほどだと思うけれど、
オフラインゲームでボスを倒すよりも、このゲームでのレベリングで、たった一体の敵を倒すということは、精神的な消耗がとても激しく感じた。
「強そうだ」程度だと、6人で割ったら、90程度しか経験値が入らなかったりするので
だから挑む相手はもっぱら「とてとて」
ずっと格上の相手と戦って、一戦一戦死闘を繰り広げることがあたりまえだった。
ちなみに2023に私が復帰してから、フェイス3体と4人で、とてとてに挑んだら割と楽に倒せたので
当時にとてとてと戦うというのは、こんなにぬるいものではなかった…ことを記憶している
そういえば思い出せばなつかしくなる、「ロールの役割が戦士と白しかない」という言い方になるのか
戦闘の作戦はある意味シンプル、というかマンネリで、
前衛は全員サポを戦士にして、相手の攻撃を惹きつける挑発というアビリティを使うこと、
後衛は全員サポを白にして回復をすること、それ以外に何も能がないともいえるのかもしれないけれど
昔は 基本は戦士3人、白魔導士3人 戦戦戦白白白という役割のイメージで十分、というくらいの考えしかなかった。
他においてはむしろ、どう、むりやり役割を作って生かせるようにできるのか、ということに頭を悩ませることになっていた。
そしてずっと格上のモンスター1体を6人がかりで、
たとえば最も防御が弱い黒魔導士のタルタルなら、ターゲットが向けば2撃とかで死んでしまうような敵を相手に
6人がかりで戦術を駆使して倒すのだ。後衛にターゲットが向くようならすでにアウトという線引きが必要になる。
前衛だとしても、殴られていたらすぐにHPが赤になるような敵を
前衛3人がかりでローテンションを組んで挑発をし続けて、とにかく後衛には敵のターゲットが向かないようにする。
そして回復しても回復してもすぐにHPが赤になる前衛たちを
後衛たち3人がかりでケアルをする、というのが当時の基本的なPTスタイルだ。
そうして倒せる非常に格上の敵をなんとか倒し、手に入る経験値が200という文字を見たときにはみんなで歓喜をするのだ。
しかしレベルが上がるにつれて、次のレベルが上がるまでに必要な経験値が何万という単位になってくるにも関わらず、
とくにもっと効率よく経験値がどんと手に入るというような極端な戦術はとくにないと来るのだけれど。
いまでは武器を作ることなど、コンテンツに挑み続けることが要になっていると思うけれど
昔はレベル上げをすることがそのものが途方もない苦行となっていた。
しかしそれはそれで、どのレベル帯であっても、たった1のレベルが上がることが大変であることは同じなので
特に上級者と駆け出しの人間の間で「話がかみ合わない」「なんの話をしているのかがわからない」というようなことはなく
シンプルにみんな視線の矛先がただただレベル上げに行きながら、
ぼんやりと宙を見つめあうことが同じだったので それもまた対人関係の形成がしやすかった一部になっていたと思う。
とくに面白いことがない。ということは、自分で何を目的にするのか?ということを逆に無限に作り出せるということでもあって
それがリアルな冒険者であるという空間を作り出していて、
みんな毎日の大半はレベル上げPTに少ない稼ぎを少しでも稼ぐためにジュノ下層にとどまりPT参加希望をだしながらも、各々の冒険の目的を友と語り合ったりしていたのだ。(そしてその夢はことごとく打ち砕かれる仕様になっていて…ああ現実というものは儚いものなのだと…え?これゲームだったよね?ゲームだったはずのものがただの現実にすりかわっていることに気が付くのだ)
初期のPTプレイで、「ロールの役割は戦士と白しかない」と書いたけれど、
具体的に他のそれぞれのジョブでどういう場合があるかというのは
私は白魔導士以外を知らない世界線だったので、たとえばガルカの暗黒騎士の人がどうなのかとかわからないし、
私から書くことはあまりできないのだけれど
たとえばPC版開始してからいくらかまでの、修正される前の本当に初期の黒魔導士の魔法の攻撃力といえば
前衛の攻撃とはくらべものにらないくらい火力はとてつもなかったらしく
その火力を駆使する戦闘というがなかったわけでは一応ない
黒魔導士のみで6人でPTを組み、移動のできないミミズ相手に戦うというのが有名だった。
しかし基本的に、防御力が極端に弱く、ターゲットが向いてはすぐに死んでしまう黒魔導士が精霊魔法を打つとしたら、
敵のHPが半分以上減っていて、敵にダメージを与えれば与えるほど蓄積される前衛のヘイトが固くたまった後に
一気に黒魔導士が精霊魔法を叩きこんで、片づける、というやり方がほんとうは基本だったのだが
そのやり方があまり効率がよいとは言われなくなり(前衛の連携の邪魔になる等)、
黒魔導士や(後に追加された)召喚士は、白魔導士よりもMPの多いジョブなため
PTプレイにおいて、「MPが多いためたくさんケアルを打つことができる」ということしか重視されないという悲惨なものになっていた。
赤魔導士といえば白魔導士には使えないリフレシュがあるため、一時期に白よりも重宝されたという話も有名だと思うけれど
2003年2月のバージョンアップまでは、赤魔導士はこのリフレシュという魔法さえなく
「剣も握れて、白魔法も黒魔法も使える万能ジョブ」というのが売りで
このジョブならソロでも可能、という話が聞くこともあると思うけれど
初期のFF11に、ソロでできるなんてそんなことが通常に考えられるわけでもなく、
「中途半端で何もできないダメなジョブ」と認定されていたので、PTプレイで、おとなしくサポ白でケアルをするくらいしかできなかったと思う。
当時個人的に熱かったと、PTプレイでまさしく記憶をしているのが、ナイトというジョブと白魔導士というジョブの関係だと思う
白魔導士には、SPアビリティの女神の祝福というものがあるけれど、PTメンバーのHPを全快にする代わりに
モンスターのターゲットを自分から離れなくさせてしまうという、いわゆる、自己犠牲アビリティだ。
わたしが覚えているのが、「ナイトがいない場合は、女神の祝福は使うな」というものだった。
白さえ生き残れば、みんなはレイズをして生き返ることができる。だから白だけは生き残る必要がある。
お願いだから。女神の祝福は使わないでくれ…と...それでも女神の祝福を、使ってしまい、自分だけが死ぬという白魔導士がいて
そんなときにナイトが、インビンシブルというSPアビリティを使うと、これは女神の祝福のターゲットを
ほとんど唯一引きはがす方法で、PTが絶対絶命のピンチのときに、白魔導士が女神の祝福を使い、それをナイトがインビンシブルで守るというのが決まったときは熱かった。
そうやって小説にしたくなるようなネタがPTを組んでいるときに、たまに起きるのだ。
毎日毎日レベル上げのPTばかりで、FF11ってファンタジーのストーリーをたのしむ要素、ないの?って疑問や不満を抱きながらプレイをしている中で、3
あ、そうか…自分たちがこうして、まさしくストーリーを作り上げていたのか…ファンタジーのストーリーは、まさしく自分たちプレイヤーが作り上げるで、これが、オンラインゲーム。こんなリアルな物だったのか…と衝撃の事実をそこで理解することになったのだ。
毎日毎日。とにかく人を探して、パーティーを組んでレベルを上げ続ける。というのがこのゲームの中のひとたちの日常だった。
私は「レベルなんて上げなくても、白Lv36になっていれば 実にさまざまな活動ができる」ということに挑戦していた人間だったのだけれど
ともかく基本の大半はレベル上げに時間が作られる、
多くのレベル帯の狩場で、中心国のジュノからチョコボに乗っていくことがだいたい近いので、
多くの場合、当時はPTが組みたい人間はみんなジュノ下層に集まってきて
誘われるのを待つ人は、PT参加希望というマークを出した。
なのでジュノ下層はいつも人がごったがえして、訪れると全部のプレイヤーのキャラが表示されることはないというくらいに賑わっていた。
レベル上げ自体を、いつもの友人たちと以外は絶対に組まない!と決めて固定してやっている人はどちらかというと少なかっただろうと思う
昔はPTといえばもっぱら野良で、その場その場で、知らないひとたちと即席でPTを組んで、
どうしていくかをその場で決めて行くので、
そんな中、だれもが信頼できるプレイヤーではないという中で、
その場で組んだメンバーの力量を見て、少し弱い敵相手から入って、いけそうなら強い相手に挑む、ということをしてたと思う。
ただ割と多くの場合で、みんなこのゲームというものを理解して、瞬時に互いに協調性を高めあって、
一瞬でも誰かがミスしたら怖い戦闘を、お互いを信頼しあって、進んでやっていたと思う。
自分ひとりじゃなりたたないことをみんなで進んで作り上げて行くあの瞬間のアドレナリンの量みたいなものがなんかもう相当記憶として感慨深く残っている。
今ではめっきり使われなくなった「パーティー参加希望」のマーク。
昔は3国の中心地であるジュノ下層に冒険者たちがみんな集まって
レベル上げPTのためのシャウトを行って、パーティー参加希望のマークの玉を出したひとたちが溢れかえっていた。
「白魔導士Lv35です。誘っていただけませんか?」
こんな感じに/shoutをするのだ。 ちなみに当時は/yellという機能がなかったので
同じエリアのみ、それに端っこで叫んだ場合反対端では聞こえないものだけれど
みんなジュノ下層に集まってPTを組むということは決まり事だったので、特に不便を感じることもなかった。
「いつもの冒険者たちが狩りに行くために集まる都会がある」というのが
ますますこのFF11というゲームを「これがリアルに冒険者になるという姿なのか」という風に感じさせた。
ちなみに白魔導士だと、「今日は気分ではない」と思っていても、いい時間帯にジュノでログインをしてしまったら
ログインと同時に3人から声をかけられるということもしばしばあったのだけれど(居た!白がPOPしたぞ!とHNMが沸いた如くのログインした瞬間の即TellでPT達に待ち構えられてる感があった)
なので今では使う必要がないと思われる/anon というキャラクター情報を表示されないようにするシステム
こんな具合なので、白魔導士でPTを組みたくない場合は特に使われていたと思う。
中にはPTには誘われないジョブなどもあり、または白でも「MPの少ないガルカであったら誘いたくない」など、
PTに誘われることを考えてジョブや種族というのを選ぶということも多かった。
なので初期の頃というのは、特に私のケルベロスサーバーにおいてはそうだったらしいけれど、白魔導士(それにタルタル)の割合はかなり多かった。
(MMOそのものが、サービス開始時にヒーラー職を選ぶ人が多く、過疎になるほどに減っていくという傾向があるらしいが)
ちなみに今はレベルシンクなどがありこの仕様が解消されたというところだろうけれど
レベル差がある場合、レベルが高い人に経験値が多く入り、レベルが低い人に入る経験値は少なくなるという仕様があって
どれくらいどうだったかは忘れたけれど、例えばみんなでモンスターを倒したとき、Lv35の人に170入る経験値が、Lv32の人は110しか入らないなど
不平等になるシステムがあって、これくらいのレベル帯までにそのシステムを理解していない、という人もたまにけっこういたりしたのだけれど
実のところ、基本的に盾になる前衛のレベルが高い方が良いとされていて、後衛のレベルが低い方が良いと定義された
しかしながら、PTの心臓になるのは白魔導士という存在であり、もっとも活躍しているはずが、経験値が減らされるということにもなる。
ただでさえ人を守って自分が死ぬことがある自己犠牲ジョブ、
なぜそのような仕様を作るのだろう、まるで有能な女性が女性差別で給料を下げられるような、というわけで当時の白魔導士の人たちは裏Tellを回し、前衛たちの悪口をいう事に勤しんでいたのである...
ともかく情報網をみんなで回しあうネットワークはジョブを見れば白魔導士の人が率先していることは本当に多かった。
連絡網を回すのは、自分も白魔導士だったし周りの人もみれば気がつけばみんな白魔導士だらけ そんなことは多かった。
それに前衛の人でもこのシステムを理解した上で「白魔導士ファースト」というモラルを個々で考えるひとたちがちゃんといて
中にはLv35の人で、lv36の白とLv34の白がいた場合に、「白の方がレベルが低いとかまずいだろう」と各々で考えた上で。
自分よりレベルが上のLv36の方の白の人の方を誘うとか個々の意識でそういうことは行われていた。
というわけで、とりわけ自分は白魔導士だったので、野良で白でPTに誘われて入ったときに
白を大切にするリーダー。白や後衛のことを考えないリーダー。
あからさまにPTの様子が毎回違うということは かなりあったように思う。
しかし毎回毎回違う人とPTを組むことには、PTがどんな結果になるかわからない「怖さ」というのが付きまとっていた。
そういうわけで当時、私の場合はだけれど、多くの人の場合そうだったんじゃないだろうか
リンクシェルという場所において、LS内で一緒にレベル上げのPTを組むなんていうことはめったになくて
「PTにいってきま~」「いてら~」と挨拶をする場所で
そうしてどうなるかわからない今日のPTの愚痴なんかをみんなで言い合って不安や不満を解消していた。
中には意図的にPT内で迷惑行為をすることを目的としたユーザーがいないとも限らなくて
そういう人物は2chのしたらば掲示板という場所なんかで、晒されたりとかもしただろうけれど
ある意味記憶に思い出深い部分か、LSのお付き合いのあるLSのそのまたLSの...という遠くから要注意人物といって連絡網が回ってくることとかもあったと思う
ただし、迷惑行為を目的にしている人は、PTを実際に組んで潜入してまで...っていうのは実際のところほとんどなかったと思う
どちらかといえば、MPKという行為があって、PTを組んでるひとたちが集まる場所に、
高レベルまであげた人物がひとりで、その辺りのPTでは倒せないレベルの敵を近くまで引っ張ってきて、あたりのPTのひとたちを皆殺しにしてしまうという
こういうような迷惑行為というのが存在していた。
もしくは高レベルでソロプレイをやっている人物が、相手を倒せないと判断して、その人より低レベルで集まってPTを組んでるひとたちの中に逃げてきて
PTたちの集団がまとめて殺される、ということと、区別がつかないこともあったと思うけれど
そんなわけで、ソロプレイヤーというだけで、迷惑な人間だという目を向けられることもあった。(そうか、そもそもソロでやってんのが、迷惑なんだ…)
みんなPTを組んで。みんな同じ場所に向かう。
思い出深いのは、ジラート前の初期の頃はとくにエリアも少なく、
「このレベルはここで狩りをしてレベルを上げる」ということがみんな同じように定められていたため、
サーバーが開始した直後は、その狩場に定義された場所は特に混雑していた。
いや、それが混雑なんてものではなかった。
そもそもレベル上げに行くことができないという事態が発生した。
個人的に思い出深いのは、クフィム列島前のジュノ港の階段前にレベル上げのためのPTが行列を作って順番待ちをしたことだ。
はじめはみんなスタートは、ラテーヌ、コンシュタット、タロンギ方面、3国でそれぞれ分かれていた冒険者たちが
Lv19になる頃には全員がみんなクフィム列島というひとつの場所にレベル上げの場所として集中するためだった。
しかしどんなに狩場の位置をずらして、PT同士で、お互いに獲物を譲り合って頑張っても、
獲物の数はどうしても限られてるので6PT以上は入れないだろう、
誰かがジュノ港に戻ってきて「ここで待つ」という行為をしはじめたら、
そのまま他のPTもその後ろで待つという「行列」が出来上がり、
「あのジュノ港のクフィム列島前の階段がやけに長いのは
そうか、PTが順番待ちのための行列を作るためなのか...」という
今だと誰もおらず、絶対に味わうことができないのが、思い出になっている。
前のジュノの記事で書いたことと重複しているけれど、
当時にジュノにたどり着いた頃と言えば、
フルでPTを組むことを覚えて、連携を覚え、サポートジョブもゲットした
一皮剥けた、一人前の冒険者であるという
各々の冒険のストーリーを既に持っている、
みんなこの地にたどりついた猛者の集まりなのだ...という感覚をめぐらせながら、
ジュノ港のクフィム列島前には、そんな人間が、大量に集い、
自分はその猛者の一員なのだと、と
PTが動くときをまだかまだかと思いめぐらせながら待っていたのだ。
個人的に、ハンター×ハンターのハンター試験会場にたどり着いたひとたちみたいな
たくさんの冒険者たちが待たされているその光景に、「これが冒険者なのだ」というそういう渋い感じのものを感じる面白さがあったかもしれない。
しかしこの混雑の仕様には、一体モンスターを倒したら、次の獲物は次のPTに譲る。というルーチンを形成して行くという
また別のPTマナーというものを覚えさせられた。
PTを組んで。とにかく他のプレイヤーとの間のマナーを学ぶ。
これがゲームなのか。ただの現実じゃないか。
うんざりくるようなのだけれど、
それが恐ろしく目が覚めるような永久に残るような思い出が記憶される要因にすっかりとなっているのだ。
よく「日本人しかゲームの中でまで列を作って待つなんてそんなことまでしない。」といったけれど
日本人だけが行うと言われていた行為といえばもうひとつ、お見送りという行為だった。
場所や運が悪ければ、1時間という時間をかけて狩場に向かう中で
その道中も決して弱い敵の中を歩いて行くわけではなく、それこそ黒樽なら絡まれたら2撃で死ぬような
信じられないくらい格上の敵の中を歩いていって、狩るのにちょうどいい弱い敵を探す、というような有様でもあったため
誰かが途中で落ちなくてはいけなくなったときには、そのまま一人で戻らせるなんてこともできず、
戻るときはみんなPTで固まって戻っていった。
PTが6人揃うまでに1時間。
狩場に向かうまでに1時間。
レベル上げを開始して1時間。
すで3時間も経っている。誰かが落ちるといって、街に戻って1時間
人を補充して、また狩場に戻って1時間
こうしてみると、移動ばっかりに時間がとられていて
レベル上げをしてる人は、少なくみても3時間、その先に続けるなら6時間は欲しいというのがこのゲームだったのだけれど
多くの人がレベル30台とかでレベル上げに行けなくなってやめていったりした。
自分も同じく、レベル30台で、2年間位止まっていたりしたのだけれど
同じような人はLSにもフレにもたくさんいた。
逆に「ふつうの人」はそんなもんだった、という認識がないのかもしれないと思う(笑)
3時間以上も一日にゲームなんてできるわけがない、というひとは多いので、そんなもんだったのだけれど。
レベル30台にもなると、レベルひとつ上げるのに必要な経験値は6000以上とかか、
だけど1回これだけの神経をすり減らしながらPTを組んでも、
3時間しかプレイできない人なら実質1時間で抜けないといけないので
みんなの時間を一緒に使って見送ってもらいながら安全な町に戻って、申し訳ない気持ちになりながら、レベルアップに必要な経験値が1/3稼げてるかどうか、
レベル上げにはもういけない、いきたくない、いろんな人がそんなに風にやむなく陥り、レベル上げという行為を断念していった。
しかしそんなにも異常に大変だったからこそ、
「あぁ、現実に冒険者になるってそういうことなんだ」という謎のもうひとつの現実を自分は知っている側なんだ、という
当時のレベル上げPTこそ、FF11の象徴として、深く記憶に残っている。
移動時間に時間がとにかくとられるゲームだったということに対して
今思えばすごく無駄だったと思うかといえば
自分としては、そのやたらと時間がかかることが妙にリアルで
今はe-スポーツっていう、ゲームもスポーツだ、という言葉があるけれど
同じく現実にもたとえば釣りに行ったり、昆虫採集やら鉱石採集になんか行こうものなら
まずそれにかける移動時間にとられてる時間こそが、大きいものだと思うのだけれど
その時間も含めて「自分はこれをしているんだ」っていう気持ちを高めていくというか
「この世界は現実なんだ」っていう風に認識させられてくるものがあった。
それに毎回の野良のレベル上げPTにおいて
毎回知らない人と戦略を組むにあたって
前の記事でもれこれは書いたことでもあるんだけれど
その長い移動時間をみんなで一緒に駆けている間に
戦略をどうするか こうするか と話していって
視線合わせのような時間が自然に生まれて
今日のPTはこういう感じなんだなと
戦闘が開始する前に計る時間が作れていたという
緊張感の高めあいみたいなものがすごかったと思ってる
そしてレベル上げの最中に、誰かが落ちると言った時の町中までの全員での見送りは、
わざわざ時間をかけているからこそのお互いみんなでこのゲームというのを作り上げているという
気持ちの高めあいみたいなものが異様に高かった一部になった。
ちなみにそれじゃあPTを組まずに、ひとりで戦おう、というものなら。それがどういうものなのかといえば
獣使いなど、ソロプレイができるジョブ、などと言われたジョブがあったりもしたけれど、それでもかなり大変なもので、
そして多くのものは、Lv30になる頃にはもう、たったひとりで「楽な相手」だと表示される相手と戦っても、
ジョブや種族によって生じる短所が埋められず、殺される、
やっと倒せても、一体倒すのに、5分以上も異様にかかって、その経験値も20とかしか入らなかった。
PTなら同じく5分はかかっても、200くらい、10倍は入るということだ。
ひとりひとりの力は無力で、力を合わせなければモンスターとたたかうことはできない。
そしてこれは人としての教養を学んでいくゲームだと思った。
2002年当時、それも、まだ無印のファミコンとかの時代に作られた言葉かもしれないけれど
「ゲームをやってると馬鹿になる」と言う言葉があったと思う。
しかしそれはプログラミングが発達していなくて、たいして情報量のない、頭を使う要素が特にないファミコンなどのゲームだからではないか。
しかし2002年になり、このFF11というオンラインゲームが現れたとき、
これをやっていることで果たして脳みそが萎縮するということがあるだろうか?と疑問を感じた。
よくゲームは教養に悪いとかいう理由のひとつとしては、
一般的にRPGは、コントローラーを片手間に頭も使わずにカタカタとどんどんいろんなことクリアしちゃって
そんなに世の中甘くない、なのでこんなものはよろしくない、みたいなのがあると思うのだけれど
そして2002年当時に現れたFF11に関しては、その現実の甘くなさを教える、
他者に気を使い、神経をすりへらし、教養を教えるゲームだなというのを全体的に感じていた。
衝撃だったと思う。
それに前にも書いたことだけれど、ゲーマーっていう人種においては
ひとりでつよくなって酔いしれたい、みたいな、そういう人間が多いように感じるのだけど、
だけどそういうタイプ人間は、このヴァナデールの村社会・身内認識・情報網、結束力の強い世界において、
みんなで膨大な情報の量を交換しあう日々についていけないだろうし
人として協調性の高い人間が網羅していくんだっていう、このゲームは、奥深く、教養の高く学ぶゲームなんだというものを感じていたので
当時のFF11の世界が、相当に面白いものとして作り上げていたと感じているし
大変だったからこその、このゲームをプレイしているプレイヤーの人のマナー意識や人間性の高さが感じられて
何がどういうというデータに残るものではなく、人との思い出というのが自分にとってかけがえのないものになっている。
そしてこのゲームの要は「たった一体のモンスターを倒す大変さ」というものだと感じていた。
このゲームをプレイするということは。PTを組むということ。
それは人と共に協調しなければなにも成し遂げられないということを教えること。
ある意味、従来のゲーマー、ゲームというものを叱責していくゲーム。
衝撃的で、FF11の象徴ともいえるようなものだった。
正直、今のFF11の動画やPTを組んでいる動画を見ていても、
「なんだか、ゲームになってしまったなぁ...」という印象があって
初期の頃の、「PTを組まなければ、何も成し遂げられない」その意味しているものは、
もはや今は、経験できないし、何も教えて伝えて行くようなものはないのだろうかと残念に思う。