日本のシャープペンシルの歴史1(日本での呼び方)
はじめに
今まで他のブログで紹介してきた内容を少しまとめながら紹介していきたいと思います。
日本のシャープペンシルの歴史を調べるために、数年前、国会図書館で文献調査をしました。日本で発行された図書は殆どあるはずですが、さすがに明治、大正の文献は無いものが多くありました。その中でも、シャープペンシルのことについて載っていそうな文献を調べると、文房具関係の業界新聞があることがわかりました。
1900年(明治33年)創刊で、今でも発行されている「日本文具新聞」が
所蔵されている中では一番古いようでした。しかし、1918年(大正7年)から1922年(大正11年)までの新聞しか戦前の物ではありませんでした。
また、各百貨店から発行された冊子(三越タイムズ等)、官報、全国新聞等、戦前(1945年まで)の文献を調べられる限り、シャープペンシルが載っている記事、広告をコピーしました。
もう一方向からの視点として、シャープペンシルに関わる特許調査をおこないました。この調査に関しましては、特許庁ホームページの特許電子図書館から情報を取得しました。
シャープペンシルの呼び方
日本で初めて登録されたシャープペンシルの特許は、明治19年(1886年)12月25日の特許番号299号のものだと思います。本格的に日本で特許法(専売特許条例)が施行されたのが明治18年4月18日なので、結構早い段階かシャープペンシルの特許が出されていたようです。
ちなみに筆記具関係で一番早い特許は明治18年10月7日の特許番号43号の「蓄墨汁針筆」のようです。
この特許第299号は「繰出鉛筆」という題名で、東京府深川区の坂本源平という人が発明者です。特許の内容は、軸のサイドにゴム製の車輪のようなものが付いていて、回すことにより中の芯を出し入れできるような構造になっています。
この特許の題名通り、明治、大正時代は”繰出鉛筆”と主に呼ばれていたようです。その他にも”萬年鉛筆”、”振出鉛筆”、”打出鉛筆”、”機構鉛筆”、”機械鉛筆”、”回転式鉛筆”、”押出鉛筆”、”自在鉛筆”、”巻出鉛筆”など色々な呼び方があったようです。
では現在呼ばれている"シャープペンシル"という呼び名はいつ頃から使われ始めたか?
通説では1916年(大正5年)に、【早川兄弟商会金属文具製作所】、現シャープ株式会社が「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」という商標の商品を発売した以降、シャープペンシルという呼び名が一般化したといわれています。
しかし、下記、2点の広告から一つの疑問点が挙げられます。
1919年(大正8年)7月の「日本文具新聞」に掲載
左側に【早川兄弟商会金属文具製作所】の広告
1920年(大正9年)1月の「日本文具新聞」に
掲載されていた【早川兄弟商会金属文具製作所】
大正8、9年に掲載されたこれらの広告には、まだ【シャープ】という文字は一言も出ていません。”金属繰出鉛筆”とか、プロぺリングペンシル”とかは表記されていますが、”シャープペンシル”とは書いてありません。これらの広告では【シャープ】の部分が、【プロぺリング】や【繰出】という言葉になっています。
3,4年も前にシャープペンシルと命名していたのであれば、これらの広告に”シャープ”と表記されていても良いのではないかと思います。この年代のズレはどうして起こったのでしょうか?
この時期、シャープペンシルの歴史の中で、ターニングポイントとなる出来事が起こります。下記の広告は1920年(大正9年)5月の「日本文具新聞」に掲載されていました。
1920年(大正9年)5月の「日本文具新聞」に掲載されていた
アメリカの【エバーシャープ(EVERSHARP)】のペンシルを
”五車堂”が日本に輸入し、販売をし始めたことを伝える広告
さらにこちらはなんと全国紙である読売新聞朝刊にも広告が掲載されていました。
1920年(大正9年)5月16日の読売新聞朝刊に掲載された広告
この広告の謳い文句「萬年筆の時代は去れり!」はかなりインパクトがあります。
国産の万年筆は明治末期から製造され始め、大正9年には多くの万年筆メーカーがありました。その中でのこの広告!
今ではこのような大胆な広告は出せないだろうと思います。
当時でもこの広告が出た2か月後の日本文具新聞に「五車堂の鉛筆広告「万年筆時代は去れり」に対し、東京万年筆製造同業組合組長伊藤農夫雄氏が咎めた」という記事が載ったほどです。
更にこの"エバーシャープ"、今度は全国紙の一面を使い下記のような広告を掲載しました。
1920年(大正9年)9月1日の読売新聞朝刊に掲載された全面広告
前回の広告から約4カ月経ちますが、かなり大々的に広告していたことがわかります。
また、この同じ日の読売新聞には、「五車堂文房具店の発展」という記事も載っていました。
要約すると「サンフランシスコに本店のある小野昇六氏の五車堂は、一昨年支店を駿河台下に開設して、舶来文房具を取り扱い好評を博しており、今度第二支店を神保町に開く。着荷の中で、日本一手販売のエバーシャープ(萬年鉛筆)は、時代の要求品として注文に応じ切れないくらいの盛況である。」
と、エバーシャープペンシルはかなり売れていたことがわかります。
この出来事を受け、【早川兄弟商会金属文具製作所】は1年ぶりに新しい広告を日本文具新聞に掲載しました。
1921年(大正10年)1月の「日本文具新聞」に
掲載されていた【早川兄弟商会金属文具製作所】
【エバーレデーシャープ萬年鉛筆】
ついに”シャープ”という言葉が登場しました。
日本のメーカーの商品にシャープという言葉を使ったのはこの広告が初めてだと思います。
いままでの広告には
【エバーレデー繰出鉛筆】
【EVER-READY Propelling pencils】
【EVER READY SCREW PENCIL】
と、”エバーレデー”は登場していましたが、
この言葉の後に”シャープ”が続いて、商品名になっていることはありませんでした。
通説では1916年(大正5年)に「エバーレデーシャープペンシル」という商標の商品を発売した、とありますが実際は5年間位ズレていたのかも知れません。
広告の左下の文章は
「日本政府専売特許54357号
高級エバーレデーシャープ万年鉛筆
本品は彼の有名なる米国製エバーシャープペンシルの缺點(欠点)多きと価格の高価なるを憂ひ、
幾多の研究と日子とを費し巨額の財力を投じて完成せるものにして其芯の出入の完全なる後部換芯保存所、
並に消ゴムの装せられたる部分を初め全體(全体)絞りの巧妙なる等舶来品と比較して
既に遠く凌駕せる事は現物が事實(事実)の證明(証明)なり殊に大書して誇るは
価格の低廉なること舶来品の約三分の二以下なることなり」
と書いてあります。
この文章から明らかに1920年5月に登場したアメリカのエバーシャープを意識して(真似して?)作っていることがわかります。
五車堂が販売したアメリカのエバーシャープが日本で大いに売れてきたので、
今まで金属繰出鉛筆を作っていた【早川兄弟商会金属文具製作所】が似た商品を作って販売し始めたのだと思います。
「文具の歴史」(1972年発行)という本にはシャープと名付けたのは福井商店の福井庄次郎氏と書いてあります。
福井商店は関西文具界の大問屋で、今回の広告にも代理店として登場しているので、商品名もいままで"エバーレデー"として売っていたので、そのまま"シャープ"も付けてしまおうという感じで命名されたのかもしれません。
通説との年代のズレは、元々"エバーレデー"で売り出していた製品名に、後から"シャープ"という言葉を付けたため、後世、取り違えてしまったのだと考えられます。
1921年以降、日本のメーカーでもシャープ鉛筆やシャープペンシルという言葉を使った広告が掲載され始めていき、昭和初期(1926年頃)には定着していったようです。
アメリカから輸入された"エバーシャープ"だけが売れて人気が出ていたなら、日本でもシャープペンシルのことをエバーシャープと呼んでいたかも知れません。事実、アメリカではいまだにmechanical pencilのことをeversharpと呼ぶこともあるようです。
日本メーカーが舶来品に直ぐに追従して、市場に受け入れられる製品を製造できる技術があったからこそ、人気を独占した商品名が物の呼び方にはならず、広く使われた俗称が、呼び方になったのだと思います。