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ABCがわからない。

日に日に具合が悪くなってくる。

「絶賛稽古中」「初日まであと○日」
この記載を見る度に私の胸はぎゅううっっっとなる。
あと○日で見られる、やっと劇場に行ける!

「劇場入りしました!」「ゲネプロです!」
……もうつらい。あと○日したら始まってしまう。はじまらなきゃいいのに。

「どうせあなたいつ何を見たって死ぬんだからいいでしょう?!腹をくくって断頭台に立ちなさいよ!」
配偶者は床でもんどり打つ私にいつも冷静な言葉をかける。
わかっている、どうせどんなものを見たってだいすき!最高!追いチケ!となるのはわかってる。わかってるけど。

でもせめて足掻かせて。幕が上がるその時まで。

というわけで推しの芝居がまもなく始まります……!
(隙あらば宣伝)(18日(金)から池袋サンシャイン劇場にて!愛知大阪公演もあるよ!)

私は『梅棒』というダンス演劇集団をここ数年追いかけてるわけですが。
「すきな劇団があって」
「どんな劇団なの?」
「えーーーっと、ダンスとJ-POPと演劇が融合してて2時間ぶっ通しで踊り続けて役者の台詞がないけどストーリーは続いていって」

はい。とても説明しづらいのです。説明しづらいけど、

「絶対に面白いから見て!!梅棒を見た帰りの景色は七色に光るよ!!」

ということは出来ます。
(宣伝はすかさず、過去公演のダイジェスト版映像をどうぞ)

とは言っても好きな物になればなるほど、言葉を尽くすことは難しくないですか?
頭よりももっと手前、脊髄反射というとロマンが無いから「こころ」が反応しているものに限って上手く言語化出来ないと思います。

言語化できなくていい、しないままでいいと言う安堵を、私は梅棒から毎回受け取っている気がしています。
もう、とにかく目に入ったもの全て言葉にしないと気が済まないこの私が、見終わってただわあっと天を仰いで「最高だったー……!楽しかったー……!」と脱力するしかなくなることにどこかホッとしているのです。

梅棒スタイルでは既存の(時にオリジナル曲も含めつつの)J-POPを用いてダンスを構築していますがその「歌詞と動き」が重なることで(ほぼ)ノンバーバルで演じているのに不思議と台詞が聞こえてきます。
私はそこに無限の可能性を感じていて、例えば怒っているシーンでも動きだけで伝えられてどんな台詞を口にしているかは直接分からないんですよ。喜びも悲しみも、受取り側の考え方で多面化していく魅力があります。
言葉って形をなしてしまうと力を持ってしまうから、台詞が決まってしまうと物語に制約をつけてしまうんですよね。(だからこその「脚本家」がいて「戯曲」が存在するのはわかっているのですが)

そこであえて言葉を使わない(必要な台詞やナレーションなどは適宜入るので物語はちゃんと伝わります!大丈夫です!)ことで受け取り側に伝わる言葉の可能性が無限に広がるつまりは物語自体が無限の可能性を持っているって、

すげー……。

といつも思ってしまいます。
その分、版権の関係で円盤には残らないなど制約もあるので本当に、はまり込んでしまったら全力で脳に焼き付けていかなきゃ行けないんですけど……!でも既存のJ-POPを使っていることで曲さえ聴けばいつだってその公演の思い出に浸ることが出来ます。
再生ボタンを押すだけでタイムマシンのように劇場の座席に戻っていくことが出来るのです。最高でしょ?

言葉で描けることには限界がある。

今年で活動開始から20周年を迎えた梅棒のメンバーですら「梅棒ってどんな団体ですか」と聞かれて言葉に窮する場面がなおあることを見ていると、
「ああ、わからないことはわからないままでいいんだ」という安心感が生まれてきます。

あれだけ情熱を注いでいる全てにすら、当の本人たちが言葉に出来ないこともある。
恐らく、それは言葉なんてものを飛び越えるぐらいの熱量があるからこそ。
初期衝動の熱の形を言葉にすることができないから、彼らは今でも踊って伝えてくれているのです。

この世の中には言葉に出来ないことや言葉に出来ない気持ちがある。
それは私をひどく安心させます。
好きになればなるほど言葉は足らなくなる。語彙力は貧困になり、感情で伝えるしか無くなる。自然と涙があふれてくる。

私は劇場に、梅棒にきっとそんな希望を抱いている。

言葉にしなくてもいい。きっといい。

文章を無駄に長いこと書いてみて思うことがあります。

「言語化」をしましょうと言われるとどこか堅苦しさを感じるものがあるかもしれない。
自分の思っていることを「言葉に出来ない」ことを悩む人も沢山いるかもしれない。
けど、私は上手く出来なくてもいいって思っています。
まとまらなくて形が不器用で、むき出しのままの気持ちしかないならそれはそのままで良いと思います。

大事なのはその時の自分の気持ちとその形に真剣に向き合うことで、言葉は多分ゆっくりとあとから追いついてくるはずです。

思わず涙があふれそうになった出来事も、怒りで大地を踏みしめたことも、天を仰いで大笑いした日も、楽しさで駆けだした瞬間も。
憂鬱に巻き込まれて布団で寝ているときだって。
銀座を歩いた日のことも、新宿で惑った日のことも。
素敵な靴に出逢った日のことも、演歌バッグをお迎えした日のことも。
そんなにドラマティックじゃない日も。毎日のことも。
多分、きっと時間をかけてゆっくりと言葉になっていきます。

焦らなくても多分、こころの熱量にことばが追いつく日がきっと来ます。
もしかしたらそれはことばじゃないかもしれないし別の形をしているかもしれませんよね。

……まあ私は毎日書きたいことだらけではあるのですが!!
逆に落ち着きを取り戻したくはある!私のこころがまず落ち着け!!

おちつけるかーーー!!!(少なくとも土曜日に本番を見に行くまでは)(金曜初日久々に仕事と被って行けなかったよ……。)


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