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病めるときも健やかなるときも。



推しと私と人生と

あいさんのこのツイートを見て「人生のほぼ半分を推しという存在に費やしている私」は「なるほどな……」と唸りながら横たわっていた。
推しを推しているときの心理。
正直言って「記憶があまりない」。ライブやお芝居などの瞬間に夢中になりすぎて騒ぎが終わってから冷静になるパターンが多い。
推しが結婚したと聞いて酒を浴びるように飲んでも酔えずに飲み続けたり(普段の私は相当の下戸である)
引退してラーメン屋をやり始めたと聞いて推しが作った二郎系ラーメンを食べに行ったこともあった
引退して学者になると行った推しの学会発表を見に行ったこともあった。(すごい勢いでメモを取って登壇している推しをほぼ見ていなかった)

だが人生を変えるほどのーー、彗星のような出会いをしたのはきっと、あの人だろうな、と言う人が居る。

汝、治むることを能う

元フィギュアスケーター、現國學院大學准教授の町田樹さんである。
(ちなみに学会発表を見に行った前述の推しである)
(小見出しは彼が一躍有名になった「発言」より引用)

残念ながら彼の現役時代をリアルタイムで追いかけることは出来なかった。
(ソチオリンピックのエキシビションは見ていて興味深いなと気にはしていた)
突然の引退から年が明けて、大学院生とへ移行してプロスケーターになった年にはじめて演技を見て急に「落ちて」しまったのだ。

現役当時はその独特な話や世界観で「町田語録」などと取り上げられていてそれを本人は今でもあまり快く思っていないようだが、自身の考えを発表するその独自の発信方法は興味深かったし、
プロスケーターとしては珍しく自作の演技を限られたアイスショーでのみ上演するという形態も非常に面白かった。

有り体に言えば「おもしれー男」としてハマってしまったのだが、年々演じられるプログラムが困難になっていくこともすさまじかった。
バレエの要素を転用して3幕構成で作られた「ドンキホーテ」や8分に及ぶ「ボレロ」。
スポーツ競技と芸術の端境を突くような発想。
一瞬「生き急いでいる」とすら思うほどの勝負師の狂気が見える瞬間が私はとても好きだった。

そしてその時は突然訪れた。
2018年6月15日、公式ホームページで出演情報を掲載した末尾に
学業専念のためプロフィギュアスケーターを引退すると書かれていたことに気付いたとき。

仕事帰り。私は一人、大雨の中傘を差して歩いていた。

人を一人狂わせるということ

どこかに入らねば、と池袋駅西口の喫茶店に入った。
そこは自動ドアが大げさに開いて二回に案内される古い喫茶店で、
当時たばこを吸っていた私はよくそこを愛用していた。

傘を置いてたばこに火をつける。脳みそを回復させるために温かくて甘い物を飲もうとココアを頼んだ。
当時愛用していたiPadを開くとその時所属していた会社の上司から連絡が入っていた。
なんでもない業務連絡だったので早々に返事をして、私は夢中で無線キーボードを叩き付けた。
私がフィギュアスケート好きなことを知っている程度の上司に、
今まさに推しが本当の引退を発表したこと、
この機を逃すと二度と演技が見られなくなること。
残り三つのアイスショーに出るうちの一つは推しの出身地である広島凱旋公演になること。
つきましてはアイスショーの時期は休日出勤ができなくなる上休みを取ることを宣言してキーボードから手を離す。

私の一方的な宣言に、当時の上司は気持ちは分かったと返事をしてくれて全て許諾してくれた。

よかった。と胸をなで下ろしあとはチケットを取るだけともう一回たばこに火をつける。
(その後執念で先行予約電話をかけ続け広島公演最前列のチケットを確保することが出来た)

余談だがちなみにーー、その数年後、上司は夫婦で応援していたアイドルグループの活動休止に見舞われたのだがその時しみじみと
「あの時おだまきさんが広島までいくから休みをくれと言った気持ちが今になって始めて実感できた。だから俺も悔いなく応援しに行く」と残りのツアーに出来る限り参戦したらしい。

アイスショーではバナーという文化がある。
布に印刷したり紙に書いたりして応援する選手が出て来たときに掲げるというやつだ。(大会の放送とかでタオルを掲げたり国旗を掲げたりしているのを見たことがある人もいるかもしれない)
広島公演、私は同行者とバナーを作るかどうかずっと悩んでいたが結局何も書けずに手ぶらでただぼおっとエンディングで周回する推しを見るしかなかった。
書けなかった。自分の思いをしたためようとするとしたら相当重たい物になる。デザインのセンスも絵画のセンスもない。
その分ただずっと推しを見ていようと決めた。最終公演で花束を貰って表情を駆け抜けた推しは本当に輝いていた。

残りの2つのアイスショーは10月に開催された。
午前と午後でちがう演目をやるということで楽しみにしていた。

午後の公演、最後の演目は、マーラーの「アダージェット」に乗せた作品だった。
「人間の証明」と題されたその演目は嘆き苦しみ天に怒りをぶつけ、前に進み倒れ、挫け、という地を歩く人そのものを表した演目だった。
雷が鳴るような照明の演出。
数少ないジャンプが悉く失敗してしまう。
「克服」出来ない壁を感じた。人は抗えない運命に翻弄される物だと教えられた。
最後まで決して美しいままで終わらないこと、それが「町田樹」というスケーターであることを改めて突きつけて、彼は去って行った。

それからも彼は精力的に活動をして氷上や舞台上で演技を時折見せてくれるけれど、
あれ以上の情熱を燃やし尽くすことが自分の中で出来ずに、今は遠くから様子を眺めるばかりだ。
あのとき流れ星の最後の尾っぽが消えるまで燃やしていた熱を大事にしたいと思ったから。

今はあの時は最大限に「狂って」いたなあ……と穏やかに思い出すことが出来る。

「おだまきさんは町田くんの何処が好きになったの?」と件の上司に聞かれたときに私は悩んでこう答えた。
「……生き様ですかね」
「生き様まで好きになっちゃあ、そりゃもうおしまいだね……」
そう、もう「推してる」時点でおしまいなのである。

引退作となった「ボレロ」と「アダージェット」はもし時間があれば見て欲しい。
フィギュアスケートにしては長丁場の作品だが、最後まで「勝負師」であり続けた人の狂気と生き様が見れる、最高の作品だ。


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