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CHAI取材を大東駿介と振り返る

今まさに世界に羽ばたかんとする彼女たちの言葉から、インタビュアーを務めた大東駿介は何を感じ取ったのか。今回は、これまで二週に渡って掲載してきたCHAIのインタビューを振り返っていきます。

音楽は宗教的になりやすいものやし、それも悪くないけれど、僕としてはCHAIみたいなやり方の方が好きだなと。

長畑宏明(担当編集) CHAIは楽曲の中でコンプレックスに対する前向きなメッセージを発していますが、本人たちは「応援歌ではない」とはっきり言っていましたよね。「むしろそういうのは嫌いだ」と(笑)。あくまで「私たちはこうしている」とスタンスを表明しているだけ。

大東駿介 その感覚にはすごく共振するんですよね。世間からこういう色をつけられたから、そこに乗っかるか拒否するか、彼女たちはそんなこと考えていないわけです。ただ「グラミーをとる!」っていうエネルギーだけで突っ走っている。で、その軌跡や熱量に感化されているオーディエンスがいる、それだけ。あくまで個人の話。音楽は宗教的になりやすいものだし、それも悪くないけれど、僕としてはCHAIみたいなやり方の方が好きだなと。

長畑 昨年末にライブ(赤坂ブリッツで開催された「CHAIとみてみチャイ」)を観られて、バンドに対する印象は変わりましたか?

大東 最初からバンドに対する先入観はなかったし、色メガネをかけて観たわけでもないんです。ただ、「コンプレックスっていうテーマをどういう風に料理するんだろう?」とは思っていました。例えばステージ上で「コンプレックスは武器だよ」って一言でも発したら“神様”になってしまうんだけど、そういうことはなくて。ステージトークそのものがほとんどなかったし、あくまでステージ性を追求していて、メディアが求める像に合わせるようなことはしなかった。それで、アンコールの最後に「かわいいだけの私じゃつまらない(' sayonara complex’)」ってね。私たちが向かっている先はその先だからって、神様っていうとさっきの話と矛盾するんだけど、神様が信者をおいていったような感じがした。お客さんからしても「自分のコンプレックスは肯定された、じゃあいいか」で終わらない。現状肯定じゃないわけで。「人として自分も何か考えなきゃ」って個人に投げつけてきた感じがしました。

長畑 そのスタンスってまさに、大東さんがこのメディアで打ち出したいものと合致しますよね。

大東 うん、メディアが作った仕組みとかはもういいよって。そういう、みんなの考え方を一色に統一しようとする仕組みがあったとしても、それに乗っからずに自分は何を選ぶか、今はそういう時代になりましたよね。でも、CHAIにしても、彼女たち自身がすごく強いわけではない。

長畑 ああ、それは本人たちもおっしゃっていましたね。「夜は無理、だからよく寝るんだ」と。

大東 個々の弱さもすごく感じたし……グラミーを目標とした時に、J-POPにはまったく魅力を感じられなくて、でも海外の音楽にも圧倒されてしまう。日本にも戻れない、海外にもいけない、その板挟みに絶望したっていう話にすごくグッときて。

こういう話を記事におこすと「あなたたち特別ですやん」ってなりがちなんだけど、CHAIのインタビューには“逃げ道”がなかった。

長畑 そして、今は海外できちんと結果を出し始めていて。これは音楽好きの人しかわからないかもしれないけれど、Pitchfolkみたいなメディアで特集される、年間ベストアルバムに選ばれるっていうのはすごいことで。

大東 なのに、彼女たちは特別な誰かではなかった。こういう話を記事におこすと「あなたたち特別ですやん」ってなりがちなんだけど、CHAIのインタビューには“逃げ道”がなかった。隣に自分を励ましてくれる友人がいただけ。グラミーっていう夢を一緒に背負ってくれるメンバーがね。その環境はそこまで特別じゃない。それも今の時代ならでは。そろそろ現実見ましょうよ、その上で自己肯定していきましょう、っていう時代がやってきたと思うんです。

長畑 CHAIは時代が次のステージへ行く時のアイコンになりそうですよね。

大東 そう、間違いなく。今って、カラ元気みたいなキャンペーンはいっぱいあるじゃないですか。いわゆるポジティブキャンペーン。でも、彼女たちの場合はライブ中も心の底から音楽を楽しんでいるし、一方でグラミーにたどり着くまでの道についてほんまに悩んでいて、またほんまに音楽を楽しんで……日本で何って言われるか、海外で何って言われるか、ほんまに悩ましんやけど、ほんまに向き合っている。インタビュー中、「ほんまに」を感じられる箇所がたくさんあった。これはワイドショーを観ていても実感するんですが、みんな嘘にすごく敏感で、真実を欲している。不倫騒動なんてまさにそうですけど、一個人の家庭事情まで探りたくなるほど、小さな小さな真実を求めている。そして、それを社会に求めているということは、すなわち自分にも求めているということじゃないかな、と。

本心でネガティブに考える部分もあるけれど、自らそこには飛び込まないよって。

長畑 CHAIの場合はあくまでパフォーマンスとして陽のヴァイブスを全面に打ち出しているんですが、そうならざるをえない状況というところに目を向けると、また違った感慨がありますよね。

大東 世間のサラリーマンの方だと、会社の事業と自分がやりたいことが合致しないケースがすごく多くて、それが一番苦しい。どちらかというと、僕もけっこう似たような立場で、俳優として今これじゃないっていう、作品の目的と自分の立ち位置が一致しない場合が意外と多くて。そこで、僕は「イエローブラックホール」っていうもうひとつウツワを作ることにしたんです。このメディアを通して、自分の人生にとって欠かせない経験を積む、それがもうひとつのライフワークだっていう。社会の中でも、副業可能な会社がどんどん増えているし、メディアやプラットフォームの数も増えているし、自分の人生をもうひとつ作っていいですよっていう時代がきて、逆に言い訳ができなくなってきている。ポジティブにいえば、個々の権利の範囲が増していく、個々の可能性を表現しやすい時代がきた。

長畑 大東さんは20代の頃「イケメン俳優」っていう見られ方をすることも少なくなかったと思うんですが、そういったカテゴライズに対する強い拒否反応があったんですか?

大東 えーと、そこは……自分のことに限らず、もちろんカテゴライズに対しての批判はあるけれど、一方でそんなことをしていても仕方ない、とも強く感じていて。批判に群がる蛾、みたいになるのが嫌なんです。ネガティブな運動に乗っかったところで生産性がないから。「自分は何者でもないかもしれない」っていう恐怖は抱えつつも、「いや、そうじゃない」っていう希望も捨ててはいない。本心でネガティブに考える部分もあるけれど、自らそこには飛び込まないよって。ちゃんと"うま味”のあるものを掴みに行くぞって、いつも思うようにしていますね。

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