CHAI インタビュー 〜『37 Seconds』とバンドの共通項〜 前編
2月7日、いよいよ映画『37 Seconds』が日本全国で封切られました。脳性麻痺を抱える一人の女性の精神的成長を描いた本作は、後半に入るにしたがって障害者と健常者の間にある壁が徐々に融解していき、鑑賞者も主演が障害者であることを忘れてしまう、という普遍的な人間ドラマの魅力をたたえています。その主題歌を務めたのが、スケールの大きなシンセポップに己のコンプレックスを乗せて宇宙まで届けんとするCHAI。はたしてCHAIというバンドの持つ文脈はどのように本作とリンクしているのでしょうか。(以下、映画のネタバレも含まれます)
インタビュー・大東駿介/テキスト・長畑宏明/写真・岩渕一輝
日本特有の「可愛い/可愛くない」っていう価値観があるじゃない。この国じゃ、みんなその基準に照らし合わせて生きないといけない。―マナ
大東駿介 まず『37 Seconds』の主題歌に関しては、実は撮影が始まってからも主題歌が決まっていなくて、撮っている間に(監督の)HIKARIさんとずっと「曲どうしよう」という話をしていたんですよ。それで、(主人公のユマを演じた)佳山明さんのバックグラウンドを脚本に加えていくうち(注1)に、当初の予定よりもハードな描写が増えていったんで、それを中和していく役割としてCHAIの曲が候補に挙がってきた。で、結果的に今回はCHAIという存在とこの映画のメッセージが重なった気もします。映画の主題歌のオファーを受けた時って、メンバーはすでに台本を読んでいたんですか?
マナ(ボーカル/キーボード) それがまったく見ていなかったんです。HIKARIさんが私たちのLAライブに来てくれて、そこではじめてお話したんだよね。でも映画の内容は何も知らなくて、とにかく「すっごいパワフルな方だな」っていう印象で(笑)。ファッションも個性的で、観客の中でも目立っていた。だから最初はそんなHIKARIさんのキャラクターに惹かれたんだよね。
大東 じゃあ、映画をご覧になったのは最近ですか?
マナ 最近です。私たちはもともと情景が見えるように曲を作っていなかったから、そこに絵が加わると斬新だった。『37 Seconds』はもう間違いなく感動的な作品なんだけど、曲が入ったとたんにお涙頂戴じゃなくてポップになっていたから、おおー良い感じにハマってるなって。
大東 ふだん曲はどうやって作っているんですか?
ユウキ(ベース) うーんと、みんなでスタジオに入ってバッと作る。
大東 えっと、素人だから全くわからないんですが、それってどういうこと?(笑)
カナ(ボーカル/ギター) ですよね(笑)。最初にマナがメロディを持ってきて、「アフリカっぽいリズムちょうだい」「今度は今の雰囲気にあわせてコード作って〜」みたいな感じで各々のメンバーに投げるんです。それで、最後にユウキが歌詞を入れる。
大東 この前CHAIのライブをはじめて観させてもらって、言いたいことは山ほどあるんですが、と・に・か・く、全体の構成がすばらしい! 途中で着替えたり、ダンスしたり、そこには誰でも楽しめる仕組みがあって、照明も含めて、さっきも言ったみたいにまるで演劇を観ているような気持ちになって。何よりもメンバー自身が面白がっているのが伝わってくる。僕の知り合いが「CHAIはとにかく “グルーブがすごい”」って言っていたんですけど、実際に観たらそれがあまりに圧倒的で笑ってしまいました。この高揚感が、映画の最後で(主人公の)ユマが未来に向かっていくフィーリングと合致していて。そういえば、ライブでも披露していた新曲には笑い声が入っていたでしょ?
マナ 笑い声とか喋り声が入っている曲って他にもけっこうあって、私たちが個人的に好きなの。
大東 うまく言語化できないんですが、そういう、フリーダムで何事も楽しもうというムードが、この映画全体に与えたものはとても大きかったと思うんです。最初に、「この映画とCHAIのメッセージが同期している」という話をしましたが、そもそも4人がコンプレックスを音楽のテーマとして扱うようになったきっかけは何ですか?
マナ 日本特有の「可愛い/可愛くない」っていう価値観があるじゃないですか。この国じゃ、みんなその基準に照らし合わせて生きないといけない。で、例えば学校のクラスでも「可愛い人」なんて1人か2人しかいなくて、残りは「ブス」でまとめられる。そうやって基本的にけなして育てる文化をずっとおかしいなって思ってた。私たちはその「可愛い」の枠にずーっと入ってこなかったし、朝起きて髪型とか肌とかの調子が悪い時もある。だからこそ伝えられるものがあると思った。
ユウキ アーティストなんて星の数ほどいる中で、誰かの真似をしたくないし、真似されたくもない。じゃあ、自分たちだから言えること……ミュージシャンとしての強みは何だろうって考えた時に、それは「負の感情をアートに昇華させること」じゃないかなって。
ユナ(ドラム) それもこのメンバーがいるから言えることなんだよね。私たちの間では褒め合うのがずっと当たり前だったから。
私たちはこう生きる、それを見て、自由に感じてもらえればいいんじゃないっていうスタンス。―ユウキ
大東 このコンセプトでいくぞっていうのは、何年くらい前に決断したんですか?
カナ 6年くらい前かな〜。「グラミー獲りたい!」っていう目標が先にあって、それには確固たるコンセプトがないとダメだと思って。それに、難しくて普段言えないような言葉も音楽なら柔らかく包んで伝えられるなって気付いた。それを表に出せるのは私たちだけだよね、っていう話をみんなでしてました。
ユウキ それに、「ガールズバンドはヘタウマがいい」みたいな固定観念も納得できなくて。だから自分たちでガールズバンドって言いたくもない。
大東 その思いをぶつけるアプローチが最終的に音楽だったのはなぜですか?
カナ 音楽って、たとえ言葉がわからなくても泣けることが普通にある。私たちの間には、同じところで泣いたり、あるいはダサいと思うものが同じだったから、音楽だったら一緒に表現していけるんじゃないかと思った。
ユウキ そう、いつも音楽が先にあるから、曲作りにおいても歌詞から始まることがないね。
大東 実際にそのテーマを音楽で扱うと、コンプレックスを持っている人はたしかに勇気づけられる。みんなはその人たちのために楽曲を作っているという意識はありますか?
ユウキ 歌詞にする時は……なんだろうな、全部ね、一人称も「私たち」にすることが多いんだよね。そこには「4人」っていう強さもこめられていて。だから、私たちはこう生きる、それを見て、自由勝手に感じてもらえればいいんじゃないっていうスタンス。あくまでの私たちの姿勢を見せるための歌詞だから。1つのコンプレックスを扱う歌詞にしても、人に投げかけるようなことはしない。応援歌じゃないの。「できるよ、大丈夫だよ」っていう歌が嫌いだから(笑)。
大東 その感覚はすごくよくわかります。音楽はともすれば宗教になりうる。そういうパフォーマンスをするミュージシャンも少なくない中で、「お前はそんな神様みたいな生き方しているのか?」って思うことも正直あって。一方、CHAIのライブはただ楽しく終わっていくじゃないですか。‘sayonara complex’っていう曲の「かわいいだけの私じゃつまらない」っていうラインを聴いた時に、「おおその先を言うんだ」ってびっくりしたんですよね。「NEOかわいい」に引っ張られるかと思いきや、その先を歌うんだと。
マナ うわああ、それはすごく嬉しい!
大東 俳優をやっていると、常に「個性」みたいなものを求められる。僕は若い頃に『花ざかりの君たちへ~イケメン♂パラダイス~』に出たりしたことで、「イケメン俳優」で一括りにされたから、余計に「個性を出すには」ってもがくわけで。
カナ ああ〜、なるほど。
大東 でも、周りに彫刻みたいな本物のイケメンがいる中で、客観的に見れば僕の顔は中の中くらいだった。
マナ ええ、そうなの? すごく目立ってたのに。そこで悩んでいたのなんてぜんぜん知らなかった。
大東 ここで慰めてもらうなんて(笑)。でね、そこで「コンプレックスって一番強い個性やん」って思ったんです。笑ったらアホみたいで、あと口がちょっと歪んでいるのも強みになるなと(笑)。それから、例えば演技中も普段通り笑うことを意識し出すと、どんどん人に認めてもらえるようになった。要は、CHAIが打ち出している「NEOかわいい」を自分の中にも見つけたっていうか。
マナ 最高の話だ〜。
いろんな感情がある中で、その真ん中をいくのってすごく難しい。でもだから、「猿に戻ればいいんだ!」って思えた。―カナ
大東 うん。ちょっと話が遠回りしていまったんですが、映画の中のユマも「障害」というコンプレックスと向き合う場面が出てくる。みなさんは彼女のことをどのように見ていたんですか?
ユナ 細胞レベルで心を揺さぶられた。自分の感情に素直になって、どこまでも突き進んでいく、これってなかなか難しい。だからそれをやっている彼女に勝手に勇気づけられたというか。ただ生きている姿に感動しちゃった。この感情を言葉にするのがすごく難しいんだけど……。
ユウキ 私は、ユマが双子のお姉さんを「もう怖くなくなった?」って抱きしめた時に、ブワッて泣いちゃった。障害を持っている人にどう接したらいいかわからない怖さ……どうやったら穏便に済ませられるか、失礼にあたらないかっていう、そういう思いが自分の中にもあることに気付いてしまって、自然と涙が出てきた。同時に、「ああ、私は間違っていたな」っていう反省もあったし。
カナ 私は単純に勇気をもらった。いろんな感情がある中で、その真ん中をいくのってすごく難しい。でもだから、「猿に戻ればいいんだ!」って思えた。身近にユマのような人がいなかった分、ああやって生きている姿は斬新だった。死ぬ映像を見るよりも何よりも、「生」を感じることができて。
ユウキ 本来はそこに壁なんかなかったのに、自分たちで勝手に作っていたんだよね。
カナ 携帯がない時代は人と直接話すしかコミュニケーションの方法がなかったのに、いつの間にか“親指の恋”になってしまって……だから、今は本能に戻っていきたい。あと、もう自分の素直な感情を抑圧してこようとする“オトナ”に負けたくない。
注1 当初の脚本では純粋なラブストーリーになる予定だったが、主演の佳山明さんが実際に体験したものごとや背景を加えていくうちに、特に後半はまったく異なる展開に変更された。
*第一回ここまで。第二回は次週公開予定です。
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