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#1 「先生になんてなるもんじゃない」と思っていたのに・・・

こんばんは、今日もお疲れ様でした。
水曜は平日の折り返しですが、なんだか一番疲れる気がするのは何ででしょう。美味しいものでも食べて、明日からもボチボチ行きましょう。

今日は昔の話、私が「先生」とい職業を選ぶに至った話を書きたいと思います。世の中には色んな仕事があるけど、それぞれどんな思いでその職業に就いたんだろう・・・聞いてみたい。
今日の内容です。


◽︎自転車が校内を走る中学校は普通ですか?

東北の山形県山形市で生まれ、蔵王山の麓の中学校に通っていました。3つの小学校から進学してくる母校は中規模の学校で、なぜか帰りの会と清掃の間に生徒全員外に出て学校の周りの田んぼの周り2kmを毎日走ることが習慣になっている変な学校でした。(そのころから太っていた私にとっては地獄でした。)

ここ数年で一番荒れているといわれていた私たちの学年は先輩が目を光らせているうちはまだ大人しくしていましたが、2年生になることからポツポツと目立つ子が増え始め、3年生になる頃には問題学年と呼ばれるようになっていました。

K先生という40代後半の男の先生がいました。いわゆるバーコードで女子生徒には若干遠巻きにされていましたが、おとなしい男子にはとても慕われていました。

ある日の授業で一番派手なグループの男子がくしゃくしゃに丸めたプリントやノートの切れ端をK先生の頭めがけて投げつけました。それを見た他の男子数人も同じように紙を投げました。どうもK先生のバーコードの部分をペロンと反対側に流す競争をしていたようです。当然K先生は何度も注意しましたが止まりません。諦めたK先生は淡々と授業を続け、数人の男子は紙を笑いながら先生の頭めがけて投げ続け、それを周りの生徒はなんとも言えない顔で見ている、というカオスな状況でした。

他にもよくあの時代あったタバコをトイレでふかしたり、授業を抜け出して裏山に逃げ込んでみたり、自転車で校内を爆走してみたり・・・。

それを「あーあ・・・」と眺める他の生徒。そんな感じでした。

先生たちはいつも疲れた顔をしていて、「先生お疲れですね・・・」といつも思っていました。たまに「お疲れ様です」と偉そうにも声をかけると「ははは・・・」と力なく笑う担任の先生のひきつった顔が今でも忘れられません。

そんな環境だったので中学校時代は「教員なんてなるもんじゃない」と心から思っていました。ただ英語と美術だけは大好きでどちらかをいかした職業につきたいなぁとぼんやり思っていました。

◽︎180度変わった高校生活。そしてその後。

高校からはちょっと都会な所に引っ越した私は初め自分の訛りを隠そうと必死でしたが、中学校とは打って変わって、学校が大好きになりました。一番早く出勤する先生と同じ、もしくはちょっと早いくらいの時間に登校し、部活後残れるギリギリまで残り、先生たちから「学校の主」と呼ばれていました。多分かなり変なやつと思われていたでしょう。(その後その学校で教育実習をした時に、当時の先生たちに「お前変だったよ。いい意味で。」と言われました。いい意味で変って何!?)

学校が大好き過ぎて、卒業したくなさ過ぎて、「学校に入れて、大好きな英語に関われる職業・・・教師じゃん!!!」と、中学時代の都合の悪い記憶を完全に脳みその奥に押しやった私はたどりついてしまったのでした。

そこからは教育大学を目指しましたが、昔のセンター試験の前日にインフルにかかり、撃沈・・・。地元の私立大学に両親に頭を下げて入学させてもらったのでした・・・。


思い出すと、胃のあたりがきゅっとする。K先生元気かな・・・。


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長い稚拙な文を最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回は教員採用試験2度の失敗、講師、初任校でのお話を書きたいと思います。お時間あればぜひまたお付き合いいただけますと嬉しいです。

ではおやすみなさい🌛

                             からす

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