私がおのぼりを辞めた理由
こんにちは!さいとうともあきです!
今回の記事では私が2020年1月~2022年12月まで
約3年間所属していた『おのぼりレコーズ』
について書きたいと思います。
できれば最後まで読んでいただきたいですが、
タイトルにもあるとおり、
私がおのぼりを辞めた理由の
結論から先に申し上げますと、
「自主レーベルとしての役目を終えたから」
だと思います。
『おのぼりレコーズ』
まずは『おのぼりレコーズ』について
軽く説明すると、新潟市古町通4番町にあった
弾き語りライブができるミュージックバー
『ムムリックマーフィーニイガタ』(通称:ムム)
というお店で意気投合した同志6人が
お店が閉店するのを機に立ち上げた自主レーベルです。
始まりのきっかけは当時、店主だった
川村ケイタさんの一言
「せっかく集まったのにバラバラになるのはもったいないよね」
から始まったように思います。
その言葉が直接的に『おのぼりレコーズ』発足に
繋がっているかどうかは定かではありませんが、
自然と次のステージへと導かれた感覚は
"あの場"にいた全員が持っていたと思います。
"あの場"と表現するしかない程に薄い記憶ではありますが、
気づけば閉店間際までムムに残っていたのが
6人だったと記憶しています。
『新曲会』
ムム開店当初~2020年2月までの約3年半の間続いた
『新曲会』という月1回のイベントがありました。
これが『おのぼりレコーズ』の前身となるイベントです。
コロナウイルスの流行により、ムムの閉店を待たずして
このイベントは一足先に終了することとなり、
1月から参加した私とリーダーの笠間健人さんは
最後のわずか2回のみレギュラーメンバーでした。
今思えば当時『おのぼりレコーズ』という
名前はまだ無いものの、あの時点で『新曲会』のメンバーだった
多賀将大、takuya minemura、マキタショウタ、はち
の4人は、流れに身を任せつつも今後について
ぼんやりと話を進めていたのではないかと思います。
私が『新曲会』に誘われた時点で、それ以前から
ムムが閉店することは知らされていましたし、
私は仕事の関係で半年ほど新潟を離れていたのですが、
ちょうど帰ってきたタイミングが重なったり、
『新曲会』に淡い憧れのようなものもあったりして、
これも巡り合わせと感じ、自然と加入しました。
当時の自分からすれば、音楽に対してストイックさで
一段上の環境に誘われたことは純粋に嬉しかった
というのと同時に少し落ち込んでいた状態
だったこともあってか、打ち込める対象を見つけて
向上心が一気に引き上げられました。
「オノボリサン」
"6人の弾き語り集団"ということで
活動名を決めるところから話は始まりました。
我々6人の他にもムムで切磋琢磨していた仲間が
たくさんいたのですが、その中の一人
ミヤコシヨウスケのオリジナル曲で
「オノボリサン」という曲があるのですが、
彼が歌う度にオーディエンスとしてその場にいた
我々は、~どんぶらぁどんぶらぁ♬
と毎回のように大合唱していた記憶が
脳裏に焼き付いており、その曲のタイトルから
『おのぼりレコーズ』と満場一致で決まりました。
拠点さがし
今までみんなが集まっていた場所がなくなる
となれば、ひとまず今後も集まれる場所が必要でした。
目的なんてものは"集まれること"以外に特になく、
ただ漠然としていました。
その漠然とした状態がむしろ妄想として膨んで、
やりたい事や楽しみをさらに増加させていったのは、
我々の初期の活動を観ていただいていれば
言うまでもないでしょう。
そしてムムが閉店したその後、沼垂に誕生したのが
『おのぼりスタジオ』です。
約3年間の活動を経て
数年も経てば生活環境や音楽に対するモチベーションは
それぞれのペースで変化していくものです。
コンピ(合同制作音源)を年1回リリースするという目標に
対して、全員が同じ方向を向けなくなってしまったタイミングで
私は脱退を申し出ました。
発足当初から張り切りすぎていた私は、
正直少し浮いていたと思います。
準備段階~こけら落としまでの勢いというのは、
今思えば凄まじいものでした。
ライブ配信を始めてみたり、
オンラインショップを開設して物販を用意したり、
当番制ブログで情報発信をしたり、
知り合いづてに活動場所を紹介してもらい
沼垂という場所にたどり着き、
物件を借りて家賃を出し合い、
貯めていた積立資金で改装DIYをしたり、
ライブイベントを開催したりしました。
その後も初めて自分たちの力で
音源を制作したり、映像を撮ってみたり、
なにもせずただただくだらない話を
している日々がまた心地よかったり、
・・・落ち着いて今振り返ってみると
常に自分が率先していたような気がします。
普通じゃない状況にのめり込んでいく程に
何かやらなきゃ!という自意識が過剰に
働いてしまったことで、初期衝動が収まった頃には
他のメンバーとの温度差やせっかく整えた環境を
活用しきれていない物足りなさを
感じるようになってしまったんだと思います。
"物足りなさ"という表現に対して
マイナスなイメージを抱くのが通常かと思いますが、
このような状況の中で私は、恐ろしいほどに
自分のポジティブさに気付くことになります。
実際のところ、自分ひとりだけが張り切ってしまったな
という感覚は一切なく、
商店街の方々とのコミュニケーションであったり、
SNS活用術、動画編集、レコーディングの知識、DTM操作、
気付けばおのぼりの活動を通して数えきれないほど
着実に様々なスキルが自分に還元されているなと、
とても実感しています。
なので一緒に活動というよりも
『おのぼりレコーズ』を共に立ち上げて
成長のきっかけをくれたみんなには
感謝の気持ちでいっぱいです。
なんなら『おのぼりレコーズ』を辞めるつもりはない
というか考えたこともなかったし、
脱退を申し出ておきながら矛盾していますが、
一番辞めたくない気持ちが誰よりも強い自信がありました。
個人的には一気に駆け抜けた感覚に近く、
とにかく濃い3年間でした。
大袈裟なんかじゃなく
『おのぼりレコーズ』で培ったこれらの経験は
音楽はもちろん、仕事であったり人間関係など
確実に今後の人生に活きていくと思います。
『おのぼりレコーズ』がなかったら
今の自分はいないし、みんなともこんなに
仲良くなれていなかったと思うし、
人前で歌うことも続けていなかったと思います。
自主レーベルとしての役目を終えたから
と冒頭で書きましたが、ここまで読んでいただけたなら
その理由を感じ取ってもらえたのではないかなと思います。
最後まで読んでいただきまして
ありがとうございました。
そしてオノボリサンたちのそれぞれの今後の活動を
温かく見守っていただけたら嬉しいです!