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明和元年(1764年)10月8日は、尾張七代目藩主の徳川宗春が亡くなった日です

明和元年(1764年)10月8日は、尾張七代目藩主の徳川宗春が亡くなった日です。
「贅沢は敵」とする政策多めの江戸時代にあって「じゃんじゃん使って楽しもうぜ!」という経済活性化を導入した御方。
「名古屋の繁華に京(興)がさめた」と言われるほど盛り上がりましたが、時は「倹約」を推奨する徳川吉宗の治世だった、お上に公然と盾突くNO.2、これにはほとほと参ってしまった。宗春は三代目の20男と言う部屋詰め穀潰しの一生のはずだったが、4代で兄の吉通に可愛がられいつも食事を一緒に摂った。その後の尾張藩は災難続き、藩主は次々と早逝、家臣の間で毒殺事件など、そして連枝の梁川藩主の死で宗春に4万石大名が回ってきた。抜群の根回しで綱吉将軍就任で空位だった舘林藩に兄を、前田家に姉を嫁し着々と尾張復権をさせる。兄継友の遺言で7代藩主へ、当初は将軍吉宗のお気に入りだったが、財政政策で激突、国を小さくし民を苦しめる超緊縮と規制緩和と財政出動で経済を熱くする積極。名古屋は空前の賑わいを見せたが、吉宗は激怒、隠居に追い込まれ罪人として死んで行った #光る君へ #大河ドラマ

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