市川雛菜の哲学を鬱病の私が考える【シャニマス】
市川雛菜とは、アイドルマスターシャイニーカラーズ、通称シャニマスのアイドルの1人。
高校1年生。
ノクチルという幼馴染4人組ユニットのメンバーでもある。
雛菜をはじめ、ノクチルの4人は初期からシャニマスにいたわけではなく、リリースからしばらく経った後に 追加 される形で登場した。
その時の自己紹介で
「雛菜はね、雛菜がしあわせ~って思えることだけでいいの」
と言い切っていた。
正直地雷臭がした。同じようなPも多いと思う。
でもこの考え方、いわゆる雛菜のしあわせ哲学は現代人に必須だと言ってもいい。
雛菜には確固たる軸がある。
しあわせかどうか、それだけのシンプルなもの。
雛菜がしあわせになれないことはやらない。
Pに「~したほうがいいんじゃないか」と提案されても、それに従うかどうかは雛菜がしあわせになれるかどうかだ。
余談だが、雛菜のこの姿勢は小糸と真逆で、それを考えると2人の家庭環境が大きく影響しているように思う…。小糸ママ怖い。
have to や must という考え方は雛菜には基本存在しない。
want to だけで雛菜はできている。
私は鬱病だ。
たまたま最近こういう病名がついただけで、思えば昔から同じような苦しみ方をしていた。
あえて関連付けるのであれば、小糸と同じような性格だ。
完璧主義で、いつも「~しなきゃ」という使命感に追われている。
人の顔色を伺い、プライドは高いが自信はない。
中でも私(小糸も?)には顕著な考え方がある。
自分が辛くないと、頑張ったことにならない。
でも雛菜はというと、、
雛菜…ごめん…。
これを読んだ当時は、よく言った!!くらいに思っていたが、今改めて読むとほんと…。
ダンスレッスンから1人で帰ってきた雛菜に、他の3人みたいに居残り練習しなくていいのか?とPが聞いたシーンだ。
雛菜としては、
・本来のレッスン時間はちゃんとやってる
・ダンスは問題なく踊れている
そして最後に、辛くて大変じゃないと頑張ったことにならないの?と。
日本人の、仕事がそんなに残っていないのに定時で帰りにくいから結局みんなで残業する、みたいな空気感を雛菜はぶち壊してくれる。
決して最低限やればいい、というわけではない。
あくまでこの場合は、雛菜のしあわせになる選択がこれだったというだけだ。
ファン感謝祭のコミュでは家でひそかにアイデアノートを書いていた雛菜だ、雛菜にとってそれがしあわせになれることだったから彼女は頑張ることが出来たのだ。
雛菜の軸はいつだって自分。
雛菜のすごいところは、自分にとってのしあわせと相手にとってのしあわせを区別できるところ。
鬱病あるある(私見)だが、自分の価値観と他人の価値観の境界線が曖昧になりがちだ。
一般的な正しさや、しあわせに囚われて、自分が本当は何を望んでいるかが分からなくなる。
他人軸で生きてしまうので、何かを成し遂げたとしても達成感がない。
雛菜の言う通り、自分のことは自分しか知らないはずなのに!
自分のしあわせを今一度考え直すこと、それが世間的にどうとか、そういうのは置いておく。
雛菜がダンスレッスンから1人で戻ってきた時のように。
たのしそう、と思ったら素直に飛び込んでみる。
雛菜が透につられてオーディションを受けに来た時みたいに。
自分と価値観が違う相手を否定しない、そっちにもってかれない。
雛菜がバラバラなノクチルの3人を受け入れているみたいに。
【S!GNATURE】良かったよ雛菜…。