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うつ病からの回復期に感じること

 今まで、何回かうつ病について書いてきた。

 うつ病の辛さについては結構書いたと思うが、逆にうつ病から回復する時、どういう変化があるかについてはあまり書いていない。

 例によって個人的な経験にはなるが、当事者や周りの方が希望を持てるかもしれないので、この機会に書いてみる。

 うつ病の急性期というか、いわゆる激うつとか言われる状態では、何をやってもつまらないとか、何を食べても感じないとか、そもそも食欲もなければ身動きもできない状態になっている。

 だからそれが回復してくるときには逆のことが起きる。

楽しさを感じること。

 それはちょっとしたことで、私だったら絵を描くとか、ピアノを弾くとか、ゲームをするといったようなことだ。

 うつの時はそもそもできないことも多いし、やっても砂を噛むようで楽しくないのだが、治ってくると久しぶりに「楽しい」と感じる。これって、こんなに楽しかったんだ! という新鮮な驚きと共に、調子の良さを実感するのだ。

 その喜びは、ノドがカラカラになるまで走った後、飲む水のように新鮮できらきらとしている。

何かを美しいと思うこと。

 見上げた空の美しさや、風が頬を撫でる感覚の気持ちよさ。草や木、お花の可憐さに胸を熱くする。

 そんな感覚も、うつ状態だと失われてしまう。でも、何かが美しいと感じられるようになれば、心は明るく弾むようだ。
 本当に幸せだと思う。美しさへの感動は、生きる活力を与えてくれる。

ごはんを美味しく食べること。

 うつ状態だと何を食べてもなにも感じなかったりする。

 「美味しい」なんてとんでもない。食べ物を「美味しい」と感じるのはとても幸運なことだ

 もしこれを読んでいる方が、ごはんを美味しく食べられるなら、その感覚を大事にして欲しい。

 うつから回復してきて、ごはんが「あっ、美味しい!」と気づくことは目からウロコが落ちるような経験だ。ごはんが美味しいことなんて久しく忘れているのだから。

まとめ

 ここに書いてきたようなことは、今、元気な人からとってみると、当たり前のことで、「何を当然のことを言ってるんだ」と思われるかもしれない。

 でもひとたび、うつ状態になってしまうと、それらの「当たり前」は失われてしまう。人間が人間として喜びを感じるような機能のすべてが。

 ハリー・ポッターシリーズを書いたイギリスの作家、J.K.ローリングさんは、作中で自身のうつ体験を元に吸魂鬼ディメンターというモンスターを作った。

 そのモンスターがやってくると、体が凍り付いたように寒くなって、すべての幸せな記憶や思いを奪ってしまう。それが近くにいる時、二度と幸せにはなれないような気がする

 そして、吸魂鬼ディメンターを撃退するのはその人の『もっとも幸せな記憶』が作る守護霊だ。襲われた人はうつの圧倒的な絶望に耐えながら、必死に自身の幸福な記憶に意識を集中する。

 幸せな記憶とは、愛だ。そのあたたかい力が、闇を払ってくれることを願ってひたすら耐え続ける。

 実際のうつに対しても、結局はそうするしかない。すべての希望を奪ってしまうようなものに対して、我々が出来ることは少ない。

 でも失ってみて初めて、普段の当たり前がありがたく、得難いものかということも理解できたような気がする。決して病気になって良かったとは思わないのだが、病気になる前とは、物事の見方も少し変わったかもしれない。

 今元気な方も、そうでない方も、当たり前と感じられるような日々を毎日大事に過ごしていただければと思う。それは結構もろく失われやすいことだからだ。

 私もまた、ちょっとしたことに感じる幸せや喜びに、感謝して過ごしていきたい。


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YeKu@エッセイとか書いてる
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