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社会人3ヶ月目、都会人6ヶ月目

再就職をして3ヶ月、生まれ育った土地を出て6ヶ月が経ったので、日々気づいたこと、思ったことをここらでまとめておこうと思う。

環境、土地、人間、仕事、価値観がこれまで触れてきたものとまるで違うので、未だに戸惑い、自分を見失いかける日々。
大人になってから、ある程度自分ができてから触れる新しい世界というのは、どちらかというと否定的な気持ちになる方が強い気がする。
これまで見てきた世界をぶち壊すことから始まるから、自分の見てきたものを信じるために、否定的な姿勢になってしまうのかもしれない。
それか、単に尊敬できない事象が多すぎるからか。
今のわたしには、まだ判別ができない。
それをひとつひとつ、自分の気持ちと一緒に吐き出せていけたらなと思う。


①人間はすぐに限界を迎える。

都会に来て思ったのは、あまりにギリギリで生きてる人間が多すぎるということだ。

毎朝たくさんの知らない人間と、互いに押し込みながら詰まりに詰まった電車に乗る。
会社に行くと仕事に追われ、たった一つの作業を進めるにあたっても感情的なやり取りが行われる。
終わりのないまま時間に見切りをつけて退勤し、朝よりかは多少人口密度が下がった電車に揺られて家に着く。
仕事終わりに飲みに行くにしても、休日に出かけるにしても、あまりに人が多すぎてゆったりと過ごす時間は無い。
どこを歩いても人間や車が行き交う。

あまりに広大な土地で育ったわたしからしたら、毎日が異常に思えてしまう。
そして、人間は距離感が近いとバグるから、だいたい都会の人間は関係ができてしまうと自他の区別ができてない人が多い。
社会や環境、仕事の状況と自分が一体だと思ってしまって、今いる環境の良くない点をあげると、自分が否定された気になって、否定を取り消すために必死になる。
そうならないために、本音を奥底に隠したまま、けれどほのかに匂わせながら、対人関係を続けていく。

田舎にもそういうやり取りがなかったわけじゃない。
それにしても、都会に来てからは多すぎる。

そして、日々当たり前のように他者の限界を目の当たりにしてる。
ギリギリで生きてることを実感する。
それはわたしも。

余裕が無くなると自分の良くない部分が露呈する。
キツイ発言をストレートですること、感情的になること、尊敬できない人間に対して攻撃性を持った思考で関わってしまうこと、視野が狭くなり、せっかちでカッとなること。
本当に嫌になる。
わたしは都会に来てから、随分性格が悪くなったように感じる。
本当は、今まで出さなくて済んでいた、自覚しているだけで済んでいた自分の黒い部分が露呈しただけだと思うけれど。

ラストマイルを見てあんなに感情移入したのは、そういう社会の仕組みの中で生きていると実感したからだろう。

人身事故で電車がよく止まる。
電車の乗り継ぎで目の前で大人同士の喧嘩が始まる。
隣に座った人が感情を制御できなくて言動で周りを威圧する。
朝の電車のホームで「もう無理もう無理もう無理!」と突然叫び出す人が居る。
仕事の話をしているだけなのに唐突に感情的に怒りをぶつけられる。
0時を回る残業を続けていた上司や先輩が続々と体調不良で休む。
1ヶ月で何人もの人が辞めていく。

命が、心が壊れていく人々を、日々目の当たりにする。
決して他人事ではない。
明日は我が身だと思う。

そんな社会に生きてる。
そりゃあみんな死ぬよね、こんな社会が世界の全てだと思ってたら。

②他者に依存した価値観で生きている人間は多い。

人間が多いということは、必然的に社会性を強く求められるということ。
他者の中で生きることを強いられてきた、それをあたりまえとして生きてきた人達は、自分の存在を他者と比較して保っている人間が多い。

本当に申し訳ないけど、しょうもないって思ってしまう。
本当に大事なことはそれぞれの、個々の心の中にあるはずなのに。

そもそも、他者を下に見ることも上に見ることもおこがましくて愚かな思考なのにね。わたし自身にも言えるけど。

顔がいいとか、仕事が出来るとか、頭がいいとか、そんなのどうでもいいのにね。
そんなしょうもないことで、劣等感を抱いたり、優越感を抱いたり、本当に馬鹿らしいし、人としてかなり程度が低いんだなと思ってしまう。

人にやさしく、自分にやさしく、思いやりを持って穏やかに生きていけるかどうかが大事だと思っているわたしとは価値観が合わなくて、アレルギー反応が出てしまう。

ああ、他者を否定しない自分でありたいという理想は、ここで崩れ落ちるわけだ。嫌な自分をまた目の当たりにしている。

勝手にそうやって生きてればいいけど、人と比べて自分の価値を図る思想を目の当たりにするのも、比べられる対象にされるのも、心の底から嫌だなと思っている。
つまんない価値観に巻き込まないで欲しい。
そんなことで、わたしはわたしを見失いたくない。

③ユーモアを交えて生きていきたい。

真面目な話も大事だけど、視点や発言にはユーモアを交えて生きていきたい。
ふっと笑えて、肩の力が抜けるような、そんな会話をしたい。
頭をフルで使ってと言うよりは、肩の力を抜いて、世界をゆるい視点で見ていきたい。

自分の気持ちを理解してもらおうだとか、相手に潰されないようにとか、そんなことはどうでもいいから、もっと適当にゆるくのんびり会話の時間を楽しみたい。
それができるようになるには、自分と他者の距離をグッと離して、相手のフィールドで戦おうとせずに、自分の心を大事にすることなんだと思う。
相手の話にガッツリ乗らない。
話半分に聞いて、まともに受けずに、要点だけ掴んであとはサラッと受け流す。
自分を出しすぎず、自分の中で自分を大事にすればいいんだと思う。

④分かり合おうとしない。

元も子もないんだけど、人間はみんな愚かだし、理想を語ったって毎日争いや衝突は起こるし、自分ひとりだけが穏やかに過ごそうとしても集団の中ではまるで無意味なので、そもそも戦わないという手段をとることも大事だと気づいた。

分かり合おうとするには相手との対話が必要なんだけど、そもそも対話すらできない人間ってめちゃくちゃ多い。

話し合いすらせずに裏でコソコソ噂流してハブってっていう胸糞悪い対応をしていた田舎の村社会と違って、
都会は互いの意見のぶつけ合いで、殴りあってでも血が流れても、自分の意見をぶち通してやる、っていうファイトスタイルが多い。
どっちも他者の意見を聞かないのは変わらないし、どっちも思考ができる唯一の動物として如何なものか?とは思うけれど。

話し合いができるってのは、互いに同じだけの知能が必要で、他者の意見を聞く力と、話をまとめる力と、自分の意見を冷静に伝える力ってのが必要で。
対話可能なことが当たり前だ思ってたけど、違った。
本当は逆で、ほとんどの人間が対話不可能。そういう人相手に対話を試みても無理なもんは無理。

わたしも未熟だし、まだまだ感情的になることもあるし、自分の意見をぶつけることしか出来ない時も多い。
だから、わたしは学んでいこうと思う。

他者への期待は捨てる。
できないもんはできない。
それが悪いって訳でもない。
ただ、わたしは対話ができるのは当たり前じゃないって知っただけ。

変えることができるのは自分だけ。
わたしは対話ができるようになりたいから、対話ができる人を見習って勉強していこうと思う。

もう本当にしゃーない。他人は変わらんし、変わって欲しいと思うのは自分のエゴだし、そもそも自分の思考が正しいとも限らんし。

自分を大事にして生きていくというのは、他者の思考と自分の思考を切り離して生きていくってことなのかもしれない。

⑤毎日にご褒美や楽しいことが必要。

普通に生きてたら人生ってしんどいことに気づいてしまった。
出来事は自分でコントロール出来ないし、嫌なことも腹立つこともどうしようと無いことも毎日毎日たくさん起こる。
平和に終わる日があったらラッキーって感じ。

だからこそ、毎日ご褒美を作ることが大事。
先の予定に楽しいことを入れることが大事。
美味しいご飯を食べる、人と会う、好きな映画を見る、ずっと欲しかったものを買う。
正直お金も時間もかかるけど、窮屈に生きて病んで死ぬよかマシ。
死ぬくらいなら金無くなった方がマシ。

全然毎日死にたくなるし、腹立つ出来事に脳内支配されるし、自己嫌悪ぱないし、マジでしんどい。
これまでの人生に比べたらマシだし、ガチで死ぬことは無い状況だから今のままでとりあえず生きてるけど、本当に死ぬくらいならいつだってすぐ逃げ出す。

死んで解決することなんてない。
「生きてれば負けることはない」という、三澄ミコトのお母さんの言葉を大事にして生きてる。

死ぬくらいなら、生まれ育った街に帰っておばあちゃんに会いにいく。
北欧に行ってオーロラを見に行く。
全財産を使ってでも、今の環境から抜け出してやる。

なぜなら、わたしの人生だから。
わたしが幸せならそれでいいから。
今はまだ人生を探している段階だから、まだここでやることがあるからいるだけ。
いつか満足したら、わたしはまた次の場所へ旅立つんだ。

⑥わたしの価値観が変わることは無い。

ここまでの環境の変化を味わって思うのは、わたしは産まれた時からわたしだってこと。
もしかしたら、産まれる前からずっとわたしかもしれない。

どれだけ環境が変わっても、嫌なことがあっても、死にかけても、わたしはわたしであることは変わりない。

核が揺らがない。
見失いそうになることはあっても、喪失することは無い。
むしろ、より強固になっていく感覚がある。

わたしはやっぱり知ってるんだと思う。
自分にとって大事なもの、大事にしたいもの、そういう姿勢やあり方がわかる。

おばあちゃんが「あなたは大事なことがわかってるから、どんなことがあっても大丈夫。生きていける」と言ってくれた。
尊敬しているおばあちゃんからそう言ってもらえるのは本当に心強い。

たとえ違う道に行こうとしても、間違ったとしても、わたしは気づくことが出来る。
そうやって生きてきたから。

正直ね、もう相当人間が嫌いよ!
大好きな人の方が数少ないんだって知った。
わたしが思うまともな人間ってほとんど居ないんだって、さすがに25年も生きてきたらわかってきた。
だからこそ、自分を大事にしながら、わたしを大切にしてくれる人たちを大切にしていくことが大事なんだ思う。

攻撃的な人や嫌なことをしてくる人の相手はするだけ無駄!
そういう人間が多すぎる!
人間ってそういうもんなんだなって思って、他者を大事にできる人と出会えたらその出会いに感謝して見習ってくしかないんだと思う。
素敵な人を見つけることがわたしにはできるから。

失敗することも、嫌なことも沢山あるけど、そういうもんだ。
仕方ない、人生は苦行だ。
楽しいことも、幸せなことも沢山あるから、「あれっ人生って楽しいじゃん!?」って錯覚する時もあって困っちゃうんだけどね。

たくさん毒をぶちまけたけど、わたしね、みんなが幸せになればいいのになって本当に思ってるよ。
こんな社会でよく生きてるな、人間っていう大変な生き物に生まれてしまって、苦しみながらもみんな頑張ってるもんなって思ってるよ。
わたしも含めね。

まあでも、幸せは願ってるけど、みんなを幸せにすることは出来ないからね。
わたしはわたしと、わたしを大切にしてくれる人と幸せになりたいなって思ってるから、またね!って感じ。

みんなを幸せにしたかったわたしは、ここで一区切りついたんだと思う。
少し前のわたしならそんな自分に悲しんでいたと思う。
今は正直そんな余裕ない。
悲しいけど、他人に振り回されてたらわたしが死んでしまう。

ある程度まで生きたら、わたしは都会を離れるだろうなと思った。

都会って物理的なものはなんでもあるけど、大事なものを見失ってしまう場所だね。
みんな心無いものに振り回されて、心を失って苦しんでる。
なんでもあるように見えて、空虚だ。
まだ田舎の方が余裕で平和ボケしている。

どちらも小さな小さな世界で生きてるな変わりないけどね。
それはわたしもそうなんだけどさ。

⑦壁の外を見たい。

広い世界を見たいね。
広い視野で、深く物事を理解して、大事なものを大事にしていきたいね。
何も知らずに今いる環境でしんどさを抱えて死んでいくくらいなら、今いる場所を飛び出して、外の世界に飛び込みたいね。

自分が小さく小さくならないように、そんな社会で生きてることを自覚していきたいね。

そして、アルミンが話していたように、なにか意味を探して生きるってよりも、ふとした時に「このために生まれてきたんだ」っていう感覚を持って生きていきたいな。

今回、生まれ育った土地を出て、遠く遠くに来てしまって、きっと気持ちはエレンと一緒でさ。
どこへ行ったって地獄なんだって、自由はないんだって、なにかに囚われて生きていくんだって思った。

でもね、わたしこっち来て初めてユニバに行った日、あまりに楽しくて、あまりに幸せで、「ああ、この経験をするためにあの土地を出たんだな」って思ったの。

進撃の巨人の映画を見に行った時も、「この日のためにこれまで生きてきたんだな」って思い出したの。

多分これからもそういう経験をたくさんするんだと思う。
そして、これまでも宝物みたいな経験をたくさんしてきたから、今生きてるんだと思うの。

生まれ育った土地に一時的に帰って、おばあちゃんとピクニックに行った日。
友達と箱根に行って人類について語り明かした夜。
どうでもいいことで笑い転げて、笑い死にそうになったこと。
友達と寒波の時期に朝日を見に行ったこと。
綺麗な夕日をカメラに収めるために川に通った日々。
進撃の巨人をリアルタイムで追えた日々。
辛い時にお風呂で好きな曲を流して涙を流した日。
久しぶりに再会した親友と辛かった日々を支えてくれた感謝を伝え合った夜。
親友が「あなたが死んだら悲しいよ」って言ってくれた日。
高校を中退した日、同級生や先生にあたたかく送り出してもらったこと。
中学の部活の大会で、みんなと同じ景色を見たこと。
あまり眠れずに迎えた受験日の朝、真っ赤な朝日を見たこと。
受験が終わったあと、部屋で待っていた母と会った瞬間泣き崩れて、抱きしめてもらったこと。
そのあと近くのスーパーでハーゲンダッツを買ってふたりで食べたこと。
「あなたはママにとって誕生日プレゼントだったんだよ」と誕生日の度に母が話してくれたこと。
小さい頃に母と真夏日にふたりで公園に行って、おばあちゃんちで水風呂を入ったこと。

振り返りすぎたけど、たくさん、たくさんあるんだ。
泣いた日も、笑った日も、辛かった日も、嬉しかった日も、全部全部今のわたしにとって大事な思い出としてわたしを形作ってるんだ。

だから、わたしは大丈夫。
どんな場所に行っても、そういう大事な経験を大事にして生きていけるから。

心ゆくまで色んな経験をして、色んな物事を目で見て、幸も不幸も知っていこう。

今はね、きっとそういう期間。
どこにいても最初はしんどいから、慣れるまでは環境や人に翻弄されながら揉みに揉まれていくのよ。
嫌な自分を自覚しながら、大事なことも自覚しながら、わたしはわたしとして生きてくのよ。

あとがき

は〜〜〜〜久しぶりに文字にしたらスッキリした!!!
やっぱりわたしはわたしなんだな〜と思った。

まあでもね、多分この土地は好きになれない!笑 ごめんなさい!
わたしはやっぱり程よい田舎が好きだ〜〜〜

今のところ、10年間育った嫌だった場所とあんまり変わらないくらい好きじゃない!笑
価値観が合わない!!!こればっかりはどうしようもない!!!

多分このふたつの土地に共通してるのは、人の出入りが少ないことなんだよね。
要は地元民が圧倒的数を占めるから、価値観が閉鎖的で、エッって息が詰まるような常識がまかり通っているところがある。
しかもそれがこの世の全ての常識だと思ってるところがある。
狭い世界で生きてることを自覚してないことが、わたしにとって本当に嫌なことなんでしょうね。

閉鎖的ってことは、他者の価値観を受け入れる余地もないってことだからね。
プライドも高いからちょっぴり面倒。

な〜んでわざわざこの土地を選んだかね〜とは自分に対して思うけど、自分で決めたことだし、メリットもあるし、学べることもあるからしばらくはここにいるかな。
友達もできたし。

ある程度社会経験積んで、楽しいことやり尽くして、旅行しまくって満足したらとっととやりたい仕事探して次行こって気持ち。

とりあえずメンタルや体調だけは第一に、自分を労りつつ、大事に大事に生きていきたいね。
こっちの土地でも、価値観の合う、背中を追いたい人と出会えたら嬉しいな。

フェアリーゴッドマザーになるまでの道のりは長いな。

じゃ!生きてまた会おうね!
読んでくれてありがとう!
あなたも幸せだといいな!

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