「自分が一番本気になれる場所って?」Uターン叶えた森の守り人の『道しるべ』
佐見地域出身で、関東等でのキャリアを経て地元に帰ってきた安江 葵(やすえ あおい)さん。
隣村の東白川村の『森の守り人』として働きながら、地元の活動に関わっている葵さんに、仕事と地元についての想いをお聞きしました!
ー 「山しかないんだよね」と自虐的にいうけど…
ーー葵さん、宜しくお願いいたします!今は白川町の隣の『東白川村』の森のド真ん中ですが、ここが葵さんの仕事場なんですよね?
そうです!私が働いている東白川村にある会社、『株式会社山共*』の森林レンタルサービス「forenta(フォレンタ)」の森ですね。
ーーフォレンタはTVでも見たことあります!隣村で面白いことやってるな~って思って見てました!
実は全国でも先駆けのサービスなんです。山共での仕事のひとつにフォレンタの森の見回りがあるので、週に1回~2回はこうやって森の中を歩きながら異常がないかチェックしています。
ーー葵さんの見回りもあり綺麗ですが、自然のままの『森感』がします!
環境保全のこともあるので重機での整地はしてないですね。綺麗に整えられているキャンプ場では満足できない利用者の方も多くて…キャンプ歴20年以上の方もいますよ!
ーー流行を超越している玄人の方だ…。白川でも森林の管理が問題になってますが、森の利活用にも繋がっていそうです。
そうなんです。レンタルの売上で山の管理費用を賄うことができますし、収益があること、人に必要とされていることは山主さんが山を持ち続けるモチベーションの維持にも繋がると思います。
あとオープンする前は不法投棄があったみたいですが、人の気配があるためか今は見かけないです。しかもフォレンタの理念に共感して借りている人が殆どなので、自分の家みたいなものなのですごく綺麗に使って頂いています!
ーー森の区画を1年単位で貸出す形だから、別荘のような感覚なんですね!
しかも普通のキャンプ場と違って『森のそのまま』を活かすから、木材生産とかの林業と連携できるんです。
ーー 一石三鳥じゃないですか…
山しかないんだよね、と田舎の人は自虐的にいうけど…整ったキャンプ場じゃない『山』を求めている人がいる。山をうらやましがっている人がいるということを地元の人に知ってもらうことで、地元に対しての自信につながるといいな~と思っています!
ーー無理にトレンドを取り入れるんじゃなく、今ある山の雰囲気や景色を価値に変える。個人的には白川町でももっと広がってほしいです!
葵さんはUターンで白川に戻られたと思いますが、前から山の仕事をしたいと思っていたんですか?
全然思ってませんでした(笑)ただ、いつかは地元に帰って何かしたい!と昔から思っていたので、そのために会社や仕事を選んでいたかもしれません。
ー わからないままスーツを着て行くことも、よくわからん
ーー地元に帰って何かしたいと思ったのはいつ頃からですか?
はっきり自覚したのは大学生の就活の時期だったと思います。
ーー色々と強制的に自分について考えさせられるタイミングだと思いますが、決定的な出来事が何かあったとか…?
周りが就活しているから自然な流れで就活しましたけど、目標とかがわからなかったんです。それがわからないままリクルートスーツ着て合同説明会行くのも、違和感というか…よくわからんくて。
ーーそれは…何かすごくわかります…(就職氷河期を経験したから、共感しかない…)
そんなよくわからん状態のまま、夏休みになり実家に帰ったときに「地元ってめっちゃいいトコやなぁ…」って思ったんです(笑)
ーーでも、葵さんのそれはただのセンチメンタルじゃなさそう…。
こんないいところやけど、みんな出てっちゃうよな…と思った時に、ふとその理由を考えました。私と同じ年代の人なら出ていく理由は仕事かな~と思ったんですが、その時にフィリピンでのインターンシップのことも思い出したんです。
ーフィリピン??それは大学の時ですか?
そうです。沖縄の大学でアジアの文化圏をメインで学ぶ学部にいたんですが…フィリピンにて2週間住み込みで『現地のお土産の石鹸』を現地の人と一緒につくる、という内容のインターンシップに参加したんです。
ーー実際に現地の仕事を!土着の文化にどっぷり浸かれそうです。
まあ、海外にいながら単位貰えるという事もあって参加したんですけどね(笑)
フィリピンって7,000個以上の島で出来ているんですが、1週するのに15分もかからないような小さい島から、出稼ぎに来ている若い人も多いんです。
ーー島の数が白川町の人口と同じくらいあるとは!(笑)葵さんはそんな出稼ぎの人達とも一緒に働いていたんですね。
そうなんです。フィリピン人ってすごく家族思いなんですが…出稼ぎで来ている人が夜になると家族を想って泣いていたりするんです。
ーーうわ、、つらい、、、
それを見て「人が住みたいところに仕事があることって大事なんだなぁ」ってすごく思ったんですよね。
ーー確かに、出稼ぎに来ているのは地元に仕事がないのが原因ですもんね…。その経験が就活の時の経験と繋がったと。
そうです!なんか白川町に似てるな~って。だから、地元に帰りたいけど仕事がないと思っている人に対して、仕事をつくれるようなことが出来たらいいなと思ったんです。
ーーめっちゃ目標が明確になりましたね!『仕事がつくれる人』になるために会社や仕事を選んでいたという事ですが、最初はどんな会社に就職したんですか?
ー 自分の目標をもって乗り越えられる場所
最初は、温泉施設やグランピング施設をやっている会社に就職しました。自主独立的な精神があったのですごく色々やらせてもらったんですが…やり過ぎました(笑)
ーーある意味、燃え尽きてしまったとか?
そうですね(笑)会社としてはすごく好きだったんですが、一回環境を変えた方がいいと思い、次は山梨で叔父がやっている貸別荘の仕事に就きました。たまたまでしたけど。
ーー図らずも同じアウトドア系の施設ですね!
でも、その年の冬にコロナが始まっちゃって…。新天地で友達とかつくるのを楽しみにしていたんですが、そんな機会もなく。お客さん以外と関わる事がかなり少なくなったんですが、貸別荘の仕組み的にお客さんともそこまで深く関わることなく……
なんか寂しすぎん??!!ってなったんです(笑)
ーー山の中でそれは寂しい!(笑)流行の始めは特に人との接触がしづらい時期でしたしね…。
人としてのつながりが薄いままというのもあったけど、なんで地元以外の他県で死にそうになりながらやってんだろう…?と思っちゃったんです(笑)
「自分が一番本気になれる場所って?」と考えた時にやっぱり地元なんだろうな~って、その時改めて感じたんです。
ーー大学から複数の県に住んで仕事をやり切ってきたからこそ、改めて地元への想いが強くなったんですね。
仕事を辞めたタイミングを今思い返すと『その土地で絶対頑張らなきゃならない理由』が無くなった瞬間だったんです。だから『自分の目標をもって乗り越えられる場所』はやっぱり地元だろうなと思う事が出来ました。
ーーそれで満を持して、地元に帰還することにしたんですね!
そうですね(笑)あと地元の中学校も最近無くなってしまったり、過疎化がかなり進んでます。だからいつまでも自分の力を蓄える時間に費やせないと思ったんです。前職でやりきった経験もあったしね。
ーー葵さんのご経験や地元への想いは、地元の人にとってもめっちゃ頼もしいと思います!
地元ですぐ活かせるものは持ってないかもしれないけど、今まで通ってきた道はよかったなと思っています!
ー 「最終的に私しかおらんくならんか?」
ーー実際に地元に戻ってきていかがですか?
結構色んな人と関わることができて楽しいですよ!水曜は佐見で小学生のバレーボールの見守り活動、金曜は大人のバレーボールクラブに参加。あとは里山を守る会にも入っていて、東白川の地歌舞伎にも参加してます!(笑)
(取材後、佐見の小学生の放課後見守り活動「さみサポ」にも参加)
ーえ、何も活動してない日あります?(笑)
ありますよ(笑)あと、空き家の1軒屋を借りて1人暮らししてるので自治会にも入ってます。自治会の活動や草刈りもそうですが、まずは積極的に色々参加しようと思って関わらせて貰ってます。
ー2021年の12月に引っ越されて約半年しか経っていないのに、そんなに色々活動されているのはすごいです。(取材は2022年の夏)
でも帰ってくる前は、「地元に帰っても、最終的に私しかおらんくならんか?」という謎の恐怖がありました(笑)
ー人が少なくなっているからですか?
それもあるけど、どんな人達が地元にいるかわからないのもありましたね。高校から町外だったから、知り合いが少なかったんです。
ー確かに、子供の頃の記憶だけだと心もとないです。
なので、帰ってくるまえにツテを辿って15人くらいの方にお会いしました。「帰ろうと思っているんですが話聞いてもらえませんか?」って。
ー15人も!かなり大変だったんじゃないですか?
全員とお会いしたあと燃え尽きましたね(笑)ただ、それよりみなさん丁寧に話を聞いてくれてほんと有難かったです!町にどういう人がいるのか知れたので安心しましたし!
ーーそれで帰ってくるときの恐怖も薄らいだんですね。あと、そもそもの『地元への愛着のルーツ』って、子供の頃の経験や記憶が強いんでしょうか?
そうですね。でも自分でも最初気づかなくって、町の人に相談にのってもらっている時に気づいたんです。こども会のクリスマス会やスキー遠征とか色々あったなって。だから子供ながら「田舎だからなんもない」とかは思わなかったです。
ーー葵さんの今の活動のように、大人が子供と一緒に活動する機会が沢山あったんですね。
あと、下校のときに地元の人が「葵ちゃんおかえり!」とか言ってくれて、自分のことをわかって声をかけてくれる人が多かったのを憶えてます。そういうのがあったから、私も地元に帰りたいと強く想うようになったんだと思います。
ーー地元の人達との記憶が愛着になっていたんですね。
もちろん、地元に愛着を持ちながら別の所にいたっていいと思うんです。一方で私みたいに帰ってきてもいいと思う。
でもどんな形で暮らしてたとしても「お盆の時には帰りたいな~」とか、そう思えるような地元であってほしいし、これからもそうしていきたいと思うんです。
ーいつでも帰れる場所としての安心感…。
そうですね。だから最初は過疎化の問題に対して「大人をどうにかしよう」と思っていたけど『今いる子供』に対しても意識するようになりました。
ーそれが今の見守り活動にもつながっているんですね。
今は地元に入って地元を知る期間なので、出来る限り色々やってみたいです!
ー頼もしすぎます!ただ、燃え尽きには注意して頂ければと…(笑)
地元の記憶から育った愛着や、学生~社会人でのやりきった経験が、葵さんの道しるべになっているんだなと感じました。
葵さんの活動やこれからの佐見地域が楽しみです!今日はありがとうございました!
取材執筆:纐纈 翼 @tsubabo_sakuraya
写真:榊間 歩 @ratatoskr_617
編集:宮澤 優輝@yuki_m_629
取材月:2022.07
※記事中の年月は取材当時のもの。