日常が終わるということ|「ということ。」第2回
久しぶりにカラオケに行った日のこと。
昔のことを思い出した。
高校時代、そのとき付き合っていたひとと、1時間100円(田舎価格! )のカラオケボックスに頻繁に行った。
当時の私がよく歌ったのは、
aikoの「星のない世界」やAqua Timezの「掌」、YUIの「LOVE&TRUTH」、Every Little Thingの「恋文」などだ。
J-POP好きというわけではなかったが、閉鎖的な田舎にも確実に届く音楽しか知らなかった。
そのひととは、大学1年生の冬まで付き合っていた。
ふたりとも大学進学を機に上京することになっていたので、高校3年生の冬の終わりに、“最後のカラオケ”をしに行った。
最後の日には、お互いが1番好きな歌を歌い合う約束をしていたので、私は柄にもなく加藤ミリヤの曲を家で練習したものだった。
ふたりとも、これが本当に“最後のカラオケ”になるわけではないことを知っていた。
東京には、もっと曲数があって、音質も良く、個室も綺麗なカラオケボックスがたくさんあることだって知っていた。
けれど、そのときの私たちにとって、1時間100円のカラオケボックスに通う習慣の終わりは特別だったのだ。
大学時代もそうだった。
私はどうやら歌うのが好きなようで、大学でもカラオケボックスに通った。大学から駅までの途中にある、東京にしては安いカラオケボックス。
そのときに私がよく歌ったのは、
LUNKHEADの「体温」やthe band apartの「Eric.w」、ONE OK ROCKの「C.h.a.o.s.m.y.t.h.」、Taylor Swiftの「Our Song」だった。
東京には音楽が溢れていて、自分の好きな音楽を、自分で決めることができた。
大学卒業の頃、いつもいっしょに歌っていた友達と、これまた“最後のカラオケ”をした。
残り時間がもう無くなったとき、全員でkiroroの「Best Friend」をマイク無しで歌った。あれは、まさしく青春だった。
でもやっぱりこのときも、私たちはそれぞれ、これからの人生であと数えきれないくらいにはカラオケボックスに行くことを知っていた。なのに、”最後のカラオケ”と銘打って、マイクを握ったのだ。
私は、卒園式を経験した。
小学校も、中学校も、高校も、大学まで、ぜんぶに卒業式があった。
上京する前の日には10年間お世話になった自室を大掃除したし、大学4年間勤めたアルバイトの最終日には一人ひとりにお礼の手紙を書いた。
どこもかしこも、行こうと思えばいまでも行ける場所なのに。その場所はいまでもあるのに。まるで本当に最後のように、それは特別だった。
私は日常のなかに自分がいることをつい忘れてしまう。
時の流れに身をゆだねて、ゆらりゆらりと漂うばかりだ。
それでも、河口に近づくと「あっ」となる。
「あっ、ここで終わりだ……」
日常は忘れてしまうもので、でも忘れたくない日常も必ずあって。
だから「忘れたくない」と思ったそのときに、日常の一片を特別にするしかないのだ。なにかとっておきのことをして、記憶に刻むことでしか、私たちは日常を覚えていられない。
“最後のカラオケ”も、たぶんそれと同じだった。
私にとって、実にくだらなく、絶対に忘れたくない日常だったのだ。