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 問題は、眠れないことだった。眠れないというよりは、寒くて眠れないことが問題だった。私は確かに、眠いのに。
「寒い」
 布団の中で、私は独りごつ。熱いシャワーを浴びたところで、すぐに冷えるこの体。おしりと肩が、とくに冷たくなっていた。あと、鼻先。膝の裏であたためた指先で、そっと自分の鼻の頭に触れてみる。やっぱり、雪のように冷たかった。

 ぼんやりと、祖父のことを思い出した。

 祖父は、恐い人だった。カートン買いのセブンスターと、『北の国から』のビデオカセット。鋭い眼光を持ち、滅多に声を出さない人だった。たまに声を出すときには、「こら!」とか「おい!」とかを、大きな声で一気に言う。小さい頃、私は祖父が恐かった。
 祖父の最期の五年は、闘病生活だった。まず、言葉を話せなくなった。「あ……」とか「う……」とかを、小さい声で少しずつ言う。脳梗塞による、言語障害だった。施設に入ってから、祖父はみるみる痩せていった。会うたび、「この人は祖父じゃない」と信じたくなるほどに。セブンスターを咥えていた頃、祖父はどちらかというとふくよかな体型だった。その丸顔は、たぶん私にも、ちゃんと遺伝している。
 とにかく、そんな祖父は十年ほど前に亡くなった。あのとき、私は生まれてはじめて亡骸に触った。本当に、びっくりした。あの、石のような、底の知れない冷たさ。悲しみや絶望が、そのまま温度になったかのような冷たさ。人間の体が、ああまで冷えることのできる有機物だということを、私はそれまで知らなかったのだ。

 私は布団の中で、もう一度、自分の鼻の頭を触る。相変わらず、冷たい。でも、生きている。生きている。生きている。なんとか、生きているよ。おじいちゃん。

 そして私は、布団を抜け出した。大至急、台所で一人分の牛乳をあたためる必要を感じたから。






(ご多用の中読んでいただき、ありがとうございました。藤崎)

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